« Breakfast in the Field | トップページ | 兄の命日 »

2006年3月23日 (木)

痛い噺

時折、落語は耳に痛い。笑えない。

たとえば「大工調べ」。大マヌケだが腕のいい大工・与太郎が、長屋の家賃(たな賃)を1両800文溜めちまったために大家に商売道具(大工道具)を持って行かれてしまう。「しょうがねえ野郎だ、どうにも」とは言いながら、棟梁・政五郎が、与太郎のために大家の元へ行き、何とか1両で返してくれないかとかけあう。

最初はいい具合に話をしていたが、政五郎もちょっと口を滑らしてしまう。
「こいつ(与太郎)はね、バカだが腕はいいんだ。
  なーに一寸はたらきゃ800文ぐらいすぐ稼ぎまさぁ。」
この「800文ぐらい」に大家は怒った。

「何? 800文がたいした金じゃないってぇ言うのかい?
  ほー、棟梁ずいぶんエラクおなりなさった。
   そんなに簡単に稼げる金ならなんで「たな賃」払えないんだい?
    何としても800文はまけないよ」

口が滑る。そんな意味じゃなくても、別の意味でとられてしまうことなんて、フツーに生きてりゃ、僕だっていくらも経験がある。思い上がりだって日常茶飯事だ。そんなことが思い出されて、もうつらくてここで聴くの止めようと思った。
言い過ぎを詫びつつ掛け合う政五郎。頑固な大家。
だがついに政五郎も堪忍袋の緒が切れた。

「下手に出てあやまってやりゃー、いい気になりやがって。
  町の人間がてめーのことケチだって言ってるのを知っているか?
   前の大家の時は、焼き芋もいいもの売ってたが、
    お前は元をケチって、小せぇ芋ばっか売りやがる。
     いま誰も買いに来やしねぇじゃねえか
 お前が落ちぶれてここへ来た時のこと覚えてるか!
  何も着るものもなくぶるぶる震えてやがったじゃねーか!
   それを町のもんが「かわいそう」だってんで、
    なんとかしてやったんじゃねーか。 
 おまえのかかぁは何だ。大家んとこで未亡人になったところ、
  入り込んで大家になったんじゃねぇか。
   それを忘れて、他人へはしみったれたことしやがって!」

結局、奉行所でのお裁き。家賃を払わなかった与太郎も悪いが、質屋株(質屋開業の許し)も持たずに、事もあろうに商売道具を質草にとった大家も悪いというお裁きが下り、大団円というお話しだ。

こうして痛いが、落語はホントに優しい。誰しもしくじりはある。弱みはある。
しちゃいけねぇことはいけねぇが、それをやっちまうのが人間ってやつ。だからお互い許し合おうやっていう思いやりがある。「唐茄子屋政談」では、遊びでしくじった若旦那・徳の売りあるく唐茄子(カボチャ)を、「おれも遊びでしくじったことがあらぁ」と徳に代わって売ってやる町の人もいる。

しくじったってその後、それを知恵にしてがんばればば、他人を優しく理解する元にもなる。それをこうして教えてくれる。
こんな落語の暖かい笑いが好きだ。

|

« Breakfast in the Field | トップページ | 兄の命日 »

コメント

落語の大家さんって、現代世界のオーナー大家じゃなくて、土地持ち町人に雇用された中間管理職だもんね。上位者の横暴って見ちゃ、この落語の味はわからないよね。中間管理職の悲哀も読み取ってやらなくちゃ人情ばなしにゃならない。

落語って、笑いをとればいいって芸じゃないからね。泣き笑いの人生の味わい深さをかみしめるために味わう芸だよね。大昔、修士課程の院生のときにつらいことがあるとラジオの落語に聞き入っていたなぁ。

投稿: ウミユスリカ | 2006年3月23日 (木) 20時49分

>中間管理職の悲哀も読み取ってやらなくちゃ
>人情ばなしにゃならない。

そうですね。どちらにも立場があって、持ちつ持たれつっていうのがベースにある。その広さがいいな。最近の自虐系の芸は一発性はあっても、そういう大きさがなくてどうもダメ。
でも、教養がないと聞けなくなっていくって、悲しいね。

投稿: さかた | 2006年3月23日 (木) 22時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 痛い噺:

« Breakfast in the Field | トップページ | 兄の命日 »