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2006年3月18日 (土)

神奈川県立海老名高校

僕の人生でいちばんの転換点はまちがいなく高校時代。神奈川県立海老名高校に行ったことが大きい。人にしろ、学ぶ対象にしろ、ここでの縁にいちばん影響をうけている。カミさんにはじめて出会ったのもこの高校だ。新設校なだけに僕は6期生。入学した当時「県央部トップの県立厚木高校に大学入学実績で追いつけ」みたいな勢いで、一部の先生方に気合が入っていた。ヤな雰囲気。僕はあまり気にしなかったなぁ。でも、この学校はより大きなものに出会わせてくれた

入学時の書類の中には、数学や英語の宿題と一緒に、高校周辺のほぼ最新の25000分の1地形図と明治時代の同じ範囲の地形図を、裏表に編集したものが入っていた。それは最初の地理の時間までに、土地利用(畑・水田・市街地etc)を色鉛筆で塗り分けてこいという宿題だった。1時間目はそれを元に授業。それからは海老名という古代に相模国国分寺が置かれた地域の歴史や、相模川が作った河岸段丘地形についてのプリントを完成してこいという宿題が続いた。並行して、10キロほど地域の歴史を語る場所(相模国国分寺跡、清水寺、瓢塚古墳、五社神社、浜田山遺跡、古東海道、古条里地名)の遠足。極めつけは、自分で調査テーマを決めて400字詰め原稿用紙にして50枚ほどのレポートを書けという課題があった。
理系の奴、受験一辺倒の奴、遊びたい奴はさぞかしイヤだったろう。大学受験の点数稼ぎにはちっとも役に立たない、好きでもねぇテーマについてこんな重荷を課されるなんて。でも僕は、自分でテーマを選んで好きに調べられるのがすごく楽しかった。

僕の選んだテーマは、昨日の日々雑感に書いた、中学時代に見た石仏が関係する「大山街道」。神奈川県丹沢山地の大山への参詣は江戸時代に大変人気で、大山に向かう道は南関東のいたるところで「大山道」とよばれ、今も地名・道路名に残っている。落語にも「大山詣」がある。その大山道のうち、青山通り大山街道(矢倉沢往還)といわれた現在の国道246号線に対応する道を、港区赤坂から伊勢原市の大山まで自転車で走り、旧道や路傍の石仏・沿道のエピソードをまとめ、レポートにした。
自分の好きな自転車で走って見聞きしたこと、様々な文献(「新編相模国風土記稿」などなど)にあたった事柄が、レポートにできるんだから楽しくて仕方ない。与えられた紙幅なんぞあっさりとクリアした。それで楽しくなって結局、大学時代に歴史地理を学ぶことを選んじゃった。まぁ、大学入ったら入ったで、学ぶことや自立することについて悩んだし、音楽もしたかったしで、学問一辺倒にはなれやしなかったけど。

あのころの海老名高校社会科の先生方は、やはり地理が、フィールドワークから学ぶことが好きな人が、全部とは言わねぇが揃ってた。その信念を素直にカリキュラムに反映してくれていた。これが大嫌いな奴は死ぬほどヤだったろうけど、その思いがシンクロした人間には、本当の意味で「自分でテーマを決めて学ぶ楽しさ」が伝わったはずだ。僕のように。人に伝わるものは、自分が本当に誠実に愛しているものだけなのだ。

もう卒業から今年で20年。当時の社会科の先生方はもういない。この郷土学習もなくなってしまった。僕としては非常に悲しい。だが、別にこの郷土学習でなくてもかまわない。数学であれ、理科であれ、文学であれ、スポーツであれ、自分のほんとに愛するものを持って、その分野の探求が好きな先生が、本気になってそれを伝えようと作ったカリキュラムがあってくれることを祈る。とにかく人には、自分が本当に誠実に愛しているものしか伝わらない。これからの時代、ただブランドで大学いったって、何の価値も無い。卒業後の人生で生きるのは「悩んでまわり道しようが、何を本気で学んできたか?」「自分で学ぶ楽しさ、感覚を知っている」ってことだ。

(これは以前"Ton's歩記"で掲載したものの再録です)

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コメント

さださんから、Pistolsへ流れた高校同期でわかるかな?
HP2周年おめでとう。よらせてもらいました。
タイトルに惹かれて、つまらない横やりを入れます。

>入学当時「県央部トップの県立厚木高校に追いつけ」
厚木にいけなかったコンプレックスのある奴(自分含)が多ったね。それゆえ、稀に都内で地元を知る方との会話に、照れ隠しで「高校は海老名」と話すと、「すごいですね」っていったい今はどんな学校になってるんだろ。

>地形図を色鉛筆で塗り分けてこいという宿題
>地域の歴史や地形についての宿題
こ、これはきつかった。進学校を意識してるのと相反して、宿題の目的がわからず、当時はこれが早く終わって、大好きな世界地理の勉強をしたかったよ。だから、
>入学書類の中には、数学や英語の宿題と一緒に
という、他の宿題があったなんて覚えてないな。今なら歴史を背景にして地理は勉強になることがわかるけど、歴史や古文・漢文という古いものが苦手なため、当時は自分の不勉強を棚に上げて文句ばかりだったな(だから、40前にもなって教養が全然無い)。その後この勉強のおかげで、大学のレポートが簡単に書けるようになって、その意義が少しわかったよ。

>極めつけは、自分で調査テーマを決めて400字詰め原稿用紙にして50枚ほどのレポート
をいをい、高校1年生が2万字なんて、大学の卒論並の大作を書いたのは、学年では坂田と数名程度ぢゃない。上記の宿題ですっかりまいった自分は、地域問題として交通事故の多い地元署につきレポートしたけど、その1年後になんと自転車で事故して同署に出頭したときは顔が上げられなかった(恥)。そのせいで、体育祭も修学旅行も欠席したのはさらに情けなかったよ。この宿題には、本当に嫌なおちがついちゃったよ(苦笑)。

最後のレポートは、自分のやりたい事を探すいい機会でもあったと今なら気付くけど、高校時代は、何が勉強したいかではなくて、どこの大学にいけるかばかりが気がかりで、自分の落としどころがわからなかったしね。また、自分のやりたい事を見つけるのは時間がかかる上に、同時にしっかり勉強しておかないと見つからないしね。いい年して初めて(十数年振りに)勉強した日にゃ、もう頭がついてかないし、それこそ本当に遠回り(涙)。「勉強しろ」という親の言葉って、そのためだったのね(名言「親の言葉と冷や酒は、後から後から効いてくる」)。

そんな不勉強でも、淫に戻ることになったので、あらためて挨拶させてもらいます。版汚し申し訳ない。

投稿: おやぢ陰棲(4月から) | 2006年3月19日 (日) 20時15分

をー、誰だか分かるぞ。いらっしゃい!

>厚木にいけなかったコンプレックスのある奴(自分含)が
>多かったね

そうかもね。俺、どうだったかな。
あの地理のレポートが楽しくて、忘れちゃったよ。

>高校1年生が2万字なんて、大学の卒論並の大作を
>書いたのは、学年では坂田と数名程度ぢゃない。

あれ、そうだっけ? 僕のクラスの地理担当のS先生は、「そのぐらい書け」って言ってた気が。。。僕の勘違いか(笑)。あのレポートがなくなったのがショックで僕はS爺に手紙書いたことがある("こつ"が懐かしいぞ)。丁重なお返事をいただいたよ。

>自分のやりたい事を見つけるのは時間がかかる

これだってただ小さい頃から自転車で神奈川中走っていろいろ見ていたことの延長に過ぎないんだよね。僕って幸せだなと思う。やりたいことがない時なんてないんだもん。自然にやりたいことが前からやってくる。やりたいことばっかりでパンクしちゃうぐらいに。

>淫に戻ることになったので、

をいをい「淫」ってなんだい(^^)。僕も終生「淫生(ミダらに生きてます・笑)」っす~(笑) 今度はDrか? どこ~? メールででも教えて~(^^)

>版汚し申し訳ない。

何言ってやがる。これからもよろしくね(^^)

投稿: さかた | 2006年3月19日 (日) 23時35分

新設校って、妙なエネルギーがあって面白いよね。

僕は千葉県立津田沼高等学校の5期生だけど、当時教師全員のライフワークの研究をネタにしたセミナーっていうのがあってね。自分の好きなテーマを掲げた教師のところに学年クラス関係なく出かけていってゼミをやるって形式だったんだけど、あれは面白かったなぁ。あの時はゲーテをライフワークにしている先生のところにいったんだけど、それから今までずっとファウストが心の中に引っかかっている。その先生は、僕が高校を卒業した次の年に、交通事故で亡くなってしまったけど・・・。

実は、その後進学した千葉大学に、「教養部のセミナー」っていうのがあって、教養部のときから少人数で本格的なゼミみたいのをするシステムがあったんだよ。僕が取ったのは「比較解剖学」。大学1年生から毎週月曜日には夜の10時ぐらいまで粘りに粘ってゼミ三昧だった。あそこら辺の経験が、僕の血肉のベースの部分になっていると今でも感じる。先日その教養部のセミナーでお世話になった先生の最終講義があったんで、聴きに行って懇親会までお邪魔したんだけど、当時その先生が深刻な健康問題を抱えながらも、学生(熱心さ余って毎週深夜まで粘りやがるとんでもない連中ばかりの)につきあって下さっていたことを知ってびっくり。本当に感謝の念をいくらささげても足りないとはこの事です。

すでに数年前から再び「淫」に浸りきっているウミユスリカより

投稿: ウミユスリカ | 2006年3月22日 (水) 00時10分

>新設校って、妙なエネルギーがあって面白いよね。

おたがい、学問といい出会いしてますね。
ただウミユスリカさんの方が深く活かしてて、
僕は下手の横好きで。(笑)

最近大学の地理学教室行くと「お前らがいたころが懐かしい」って
言われちゃう時がある。「最近ゼミで議論にならないんだよ」って。
僕らの代1年生の頃からゼミに通って、「地理学を猛勉する」という
より「楽しんでいた」ヤツが結構多かったんすよ。

ただ、音楽の世界見てると、いまも楽しんでいるヤツいそうな気が
するんですけどね。あまり「昔はよかった」って言い方したくない。

投稿: さかた | 2006年3月23日 (木) 00時00分

>>あまり「昔はよかった」って言い方したくない。

うん、うん。

僕は「学問」とはいい出会いをしているけど、実は「ライフワーク」とはあんまりいい出会いをしていないんだよね。というのは、僕のライフワーク自体にかなり癖があるんで、かなりドンピシャな研究室行かないと実現不能な部分を最初っから抱え込んでいたわけ。ところがね、昔は情報ルートがすごく限られていたから、そういうライフワーク実現可能性の高い研究室のある大学の探査自体がかなり難しかった。

僕のやっている野外生物学系の業界でやたらと早くから頭角を現してバリバリ活躍する超早熟なタイプがいるんだけど、たいてい親がすでにアマチュア自然史研究家であるとか、博物館の市民講座の常連だったりして、業界のプロやセミプロとガキの頃から接して育っている。だから、確保しているん人脈筋がやたらいいんだよね。で、もう中高生の頃にはライフワークの研究を始めてて、どこの研究室に行けばそれが自分の個性に合ったやり方で継続できるかもがっちり情報をつかんでる。だから、それなりに苦労は経験しているんだろうけど、僕なんかから見ると信じられないくらい自分のやりたいことをストレートに実現しているんだよね。

でも、現在だと各種のプロアマ交えた研究会、学会、大学の研究室、博物館学芸員なんかがインターネットにどんどん情報開示しているから、自分の中でもやもやしたライフワークへの漠たる希望を持っている青少年が、昔だと限られた幸運な環境にいた子供でないと手に入れられなかった生身の交流ネットワークを用意に手に入れられるようになっているんだよ。

僕が博物館界に執着を持ち続けているのも、そういう子供たちを、生き生きとしたプロ・アマ・大人・子供こき混ぜた生身の交流に、一人でも多くつないでやりたいという願望を持っているからでもあるんだけどね。

投稿: ウミユスリカ | 2006年3月23日 (木) 10時37分

>ウミユスリカさん

このカキコ、すごく共感した。

>ところがね、昔は情報ルートがすごく限られていたから、
>そういうライフワーク実現可能性の高い研究室のある大学の
>探査自体がかなり難しかった。

そう思う。

僕も高校の時、もう少し突っ込んで勉強すればよかったんだけど、あの頃の僕には調べるノウハウがなかった。地理・歴史やりたいってだけで、まず学部選んで、行ってみてその中で知っていっただけだった。いまならまず大学にお手紙だして行って、先生自身に聞く図々しさもあるけどね(笑)。
父親にも「そんなことやって何して食っていくんだ」といわれ、自信を失っていたのもある。地理・歴史を勉強したって、手に職つくわけじゃなし、必ずどこかの学芸員になれる保証などないからね。学部だけ出て勤められる先なんか普通ないもの。いまならどんなものにも保証なんかないんだから、まずは何とか食ってやってやるって言えるけど。そこまで単なるイイ子で来ちまってたから、食わしてくれてる人間(父親)にタテつききれなかった。でもこんなもの言い訳なんだよな。バカになりきれる情熱がなかっただけなんだから。
「食わしてやってる」、父親のこの言葉がなによりも悔しかった。だから大学の時は早く家を出たかったのがいちばん。自信を失いながら何してよいかわからず五里霧中でとりあえず勉強していたのが大学の4年間だった。たまたま縁あって今の職場に入って14年。勤めて1年で、一銭たりとて親に頼らずに自立して(出ないと本当の反抗にならない)。結婚して30過ぎて、やっと、やりたいように勉強できる下地が出来た感じです。もう自分で生きて親にも文句言わせないし、10年仕事してつけた資料探しのノウハウもあるし。

だからもう一度「歩いて、見る」にもどって勉強してます。

>やたらと早くから頭角を現してバリバリ活躍する超早熟なタイプ
>僕なんかから見ると信じられないくらい自分のやりたいことを
>ストレートに実現しているんだよね。

うん、二代目の研究者は僕の周りにも何人も見てますよ。反抗してやらないのもいるけど、ごく自然にその幸せな環境を受け入れられた人は、学問することを、まるで呼吸をするようにやっている。おっしゃるとおり、ごく小さい頃から当たり前に一次資料や、それを使って学ぶ人に触れているからこそなんだろうな。僕から見たらものすごくうらやましい。むろん彼らなりにも期待との対峙という試練はあるだろうけどね。

>昔だと限られた幸運な環境にいた子供でないと手に入れられ
>なかった生身の交流ネットワークを用意に手に入れられるように
>なっているんだよ。

そうだね。インターネットなんかもそれを実現する道具の一つになっていると思う。ただその分、「ものを尋ねるマナー」というものが、Face to Faceでやってた僕らの頃に較べて、軽々しくなってる部分がある気もする。でも、これ自体いま"過渡期"。これから作られていく段階なんだろうね。

>そういう子供たちを、生き生きとしたプロ・アマ・大人・子供
>こき混ぜた生身の交流に、一人でも多くつないでやりたい

生身の交流か、Face to Face、どんな通信手段が発達しても、大切なのはほんとこれに尽きるね。人にせよ、自然にせよ史料にせよ、まず第一次資料に触れるっていちばん大切だと思う。で、前を行く人から叱責も含めた思いやりを持って教えてもらう。これだね。

それができるよう、ぼくもいろいろ頑張ってくよ。

投稿: さかた | 2006年3月23日 (木) 16時36分

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