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2006年4月30日 (日)

音楽との付き合い方

ここんところ、朝練していない。
夜、サイレントギターをちょっと手にとってイタズラする程度。
仕事の編集作業が大詰め、120頁程度の雑誌でも、昼は「活字漬け」で頭が痛くなる。見えるものも思いこみで見えなくなる。だから出来るだけ頭を休めておきたい。だが、なんとか編集は28日に校了。いま放心しながらもちょっと落ち着いている。

ところで、弾かずにいたら昨日2曲、曲のタマゴができた。
いろいろ考えることもあって(ボクだって考えるのだ・笑)、心の中のもの吐き出したくてしょうがなくなり、1曲はほぼワンコーラス、一気に出来上がった。早速PowerTAB Editorで譜面書いてメモしておいた。

楽器弾きって「アスリート」の部分あるだから、弾かないでいるとやはり"動き"は落ちる、単なる運指記憶は少々飛ぶ。でも「メロディを作る」それと「フレーズを歌う」って意味では、ただ単に毎日弾いているだけは良くないなと思った。飽きてイマジネーションが落ちる。大きな意味で音楽からは離れたくないんだから、いろいろやってみるのがいいんだな。

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2006年4月24日 (月)

犬の十戒

今日、床屋に行った時、お店においてあったあるHPのプリントアウト。
思わずホロリと来た。飼い犬ってのは、動物ではなく家族なんだよね。
「犬の十戒」、是非読んでみてください。
ご存じだったら失礼(^^)

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2006年4月17日 (月)

カシミール3D

今日もTon's歩き(長距離散歩)。今日はJR相模線倉見駅から小田急江ノ島線湘南台駅まで、3時間かけて歩いた。朝練しないで6:00前に家を出て、倉見駅に着いたのが6:40。しっかり歩いて帰ってきても11:00。午後はちゃんと家事の手伝いや仕事が出来る。いいペースが出来てきた。

途中で写真もばしばし撮る。植物、畑の作物、石仏、オモシロイ物。単に風景。メモ替わりにもしている。それらは「20060417倉見駅-湘南台駅」というタイトルのフォルダを作って、整理している。
でもそれらの写真には場所データがない。自分で歩いたところだから大体どこで撮ったか覚えているが10年たったら自信がない。どうしようかと思っていたところに、ウミユスリカさんに紹介された地図ソフトが「カシミール3D」だった。

これは数値地図を三次元映像にしたりできるソフト(なんとフリーソフト)。僕が何より唸ったのは、GPSのトラックデータ(通った経路各地点の位置〈緯度・経度・高度〉・時間のデータ)と、デジカメ写真一つ一つをリンクさせると、そのカシミール3Dに表示される地図上に、「この写真はここの辺り」という推定地点を表示してくれること
だから撮った写真のフォルダに、写真と一緒にGPSのトラックデータも保存しておけば、後でカシミール3Dを使って、どこで撮った写真かまでを図示出来る。このトラックデータは高度データも入ってる。だから、カシミール3Dの3次元映像と組み合わせれば、セスナフライトの飛行経路を3次元でパソコンモニター上に図示出来る。

今日はまずカシミール3Dの入門書をAmazonで注文して手に入れた(カシミール3Dのソフトも入ってる)。まずは何が出来るのかをもっとくわしく予習。携帯用GPSも英語表示の物ならば2万円を切ってる(ジローさんがハワイに持ってったの、いくらのだろう?)。今年中には手に入れたい。まさにこれは僕のためのソフトだ。

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2006年4月16日 (日)

アンチ・エイジング

「いかに若さを保ち続けるか」って、この言葉。僕は嫌い。

僕は「ポジティブ・エイジング」。きたないものも、きれいなものも、
年食ってちゃんと見えていくことの方が、たのしそうだ。
早くなりたいワケじゃなく、追々、すてきなジイさんになりたい。

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2006年4月15日 (土)

一度じゃ見えない

わかんなくても縁があれば、何でも身体に通しておけばいいんだろう。
今朝のTon's歩きでは、出来るだけ裏道沿いに自宅から相模大野まで歩いたんだけど、相模原木もれ日の森の際で、畑地かんがい用水(以下"畑かん")大野支線からの小支線跡を発見した。

これが発見した支線跡。殆ど埋まっちゃってるけど。
Photo_5







ここは"畑かん"に興味を持ちだした頃、自転車で見に来た。その時はナンとも思わずに見過ごしていた。ところが今は"畑かん"のほぼ全域をこの足で歩き、この眼で見てきたから、いくら僕だって眼が違う。すぐ目についた。もう相模原市内は大体歩いちゃったからソソられる場所は本当に少ないが(旧相模湖町・城山町を除く)、気が向いた時にそっと歩いてみるだけで、こうして発見するものは多そうだ。"畑かん"に限らずね。

本や音楽もそうかもしれない。
活字を視線で撫でるだけ、聞き流すだけでもいいんだろう。

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2006年4月11日 (火)

高いところへ上ってみよ

昨日のTon's歩き(長距離散歩)は、JR横浜線鴨居駅からJR京浜東北・根岸線桜木町駅まで、3時間ほど掛けて歩いた。意外に近いもんだ。

鴨居駅を出て1時間ほど歩いたところで、横浜市神奈川区羽沢町のだだっぴろい畑に出た。一角には旭硝子の工場や市立羽沢小学校がある。「これも横浜?」って感じのでっかい畑。昨日は車道を歩くことが多かったから、とても嬉しかった。心まで広くなる思いがする。だがそこを歩いているウチにふと思った。
「この景色、見たことがある」って。次の瞬間「あっ」と思い出した。
車で通ったんじゃない、「空から見た」んだ。

昨年5月、ここのBBSでおなじみの非行中年もとい飛行中年・すがぬまさんと、ジローさん(旧ハンドル・knowtheshowさん)、僕、パイロットMさんの4人で軽飛行機(セスナ172)に乗って調布飛行場を離陸、横浜・東京上空を約1時間かけて飛んでもらった。その時「なんと美しい集約的利用をされた、畑地の景観だろう」と思って見惚れたのが、恐らくこの畑。昨日はまだいろいろ植える前だから土がたくさん見えていたけど、空から見た時は色とりどりでとてもきれいだった(下の写真ね)。

これが昨日見た畑
Hatake_edited



昨年空から見た景色がこれ。写真まん中へんの左側の畑だ。
Flight







googleローカルでその感覚を味わうことが出来るが、空中からの景色は素晴らしい。
職場でも空中写真を整理しているが、思いがけないものが写っている。実体視鏡を使って立体視しようものなら、下界の喧噪が聞こえてくるようだ。思わず仕事の手が止まってしまうことすらある。ましてや軽飛行機の飛行高度は低いから、景色が語りかける声がやかましいぐらい聞えてくる。それも写真で切りとられた過去の一時点の景観ではない。たったいまライブで動いている景色。そういえば僕の尊敬する民俗学者・宮本常一のお父さんのこんな言葉があったなぁ。

「村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つ物を見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見。周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない」(宮本常一『民俗学の旅』講談社学術文庫1104より引用)

って。ほんとそうだ。いい言葉だな。

ハイ(^^)、「馬鹿と地理屋は高いところが好き」です(笑)。

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2006年4月10日 (月)

おシモの世話f(^_^;;;;;

今朝も早よからTon's歩きに行って眠い。帰ってゴロゴロしてた。
昼寝から覚めた次男が泣き出したのでお腹の上に乗せてあやす。
そこへ近所に回覧板を届けて帰ってきたカミさんがやってきた。

Ton's女房「さぁ、○○ちゃん(次男の名前)、オムツを替えよう(^^)」
オムツを替えやすいよう寝転がったまま、両足を上げる「僕」(爆)。

Ton's女房「あはははは、おシモの世話が必要なのね~(^^)」
すかさず僕は答えた。

「うん(^_^)、『別の意味』のね~(爆)」

二人で大笑い。ウチの日常会話はこんなもんでございます。
アホな夫婦ですみましぇん。。。

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2006年4月 9日 (日)

マクラが重い??

鉄製のマクラで寝ているわけではない。落語の話(^^)。

最近、2002年に亡くなられた噺家・古今亭志ん朝の落語を行き帰りの電車で聴いている。CDにして15枚分ぐらいは聞いたかな。話の構成もキャラの演じ分けもとても巧みな真の名人だから、思わず唸ってしまうこともしばしば。「抜け雀」ではサゲが決まった瞬間、八王子駅の階段で思わず小さく拍手してしまった。吹き出して「ナンダコイツ?」と振り返られたことは数知れない。ほんと僕ぁヘンなオヤジだ。

ただ何故だろうと思うことがある。
時間はあっても2席続けては聴けないのだ。
一枚のCDには2席入っている。だが、風邪薬じゃないけど、朝聞いたら7時間ぐらい空けないとダメ。一度聞いた話をまた明日聞こうって感じにはならない。これが三代目三遊亭金馬とかだと立て続けで聴ける。ところが志ん朝だと無理。あたりまえにとても上手い。だがとても緻密で「噺を聞いた」のではなく「映画でも見た」ようだ。

何故か考えて思い立ったのが「マクラ」の部分だった。「マクラ」とは落語の物語の本題に入る前に、物語の聞き所をそれとなく掴んでもらえるようなエピソードを、現在の流行・感覚などを上手く使って語る部分だ。
金馬師匠の噺は大体ラジオ放送音源をまとめてあるものだから、一席が短くもあるが、マクラは軽く流して本題に入ってる。ところが志ん朝師匠のものは違う。噺のキーワード、時代背景、噺に関係する人の性根のエピソードを噛み含めるように畳みかける。そうして聞き手の頭の中に噺を書き込む下地づくり、フォーマットをしているような感じなのだ。
金馬師匠が活躍していた頃は昭和30年代。長屋に近い暮らしもそれなりにあった。また廓噺の背景も、売春防止法が施行され、それ以前の吉原のあり方が消えたのが昭和33年。噺に出てくる売春防止法以前の「廓」の雰囲気を知っている人がいる。幇間(たいこもち)だっていた。だから普通に話せばわかってくれる。
ところが現在は、噺家は羽織・着物を着ているがこんなの着て日常暮らしている人など、ほとんどいない。長屋などと言ったって、アパートなんかとは全然違う。家賃もほとんど銀行振込みで大家に直接持っていったりしないし、自治会に入らずご近所づきあいをしない人もいる。男女のあり方なんてのも、いま聞いたら「そんなん女性が許さない」ってこと、ままある。もうすでに日常にないことを語っているから、一々説明しないとわからないものなのだ。

だから志ん朝師匠は端々で言い含めてゆく。
名人だからわかりやすいが、較べて聞くと重い。
諸行無常、世界はどんどん代わっていく。
伝統芸能はもうわかってもらうには、一々説明する以外ないのかな。

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2006年4月 7日 (金)

カミさんのボケ

長男は2年生になったのだが、1年時の担任の先生が退職される。いい先生だったからショックだった。今日まで理由の説明がなかった。先生なりには気を遣わせまいと思ったのかもしれないが、チト逆効果だな。
やはり知りたい。でも、なにか言えない理由もあるかもしれない。
カミさんの心は揺れた。だが、勇気を振り絞って尋ねたそうだ。
そしたら留学だって。嬉しいねぇ。さらなる勉強にいくなんて素敵だ。
他のお母さんも聞きたくても聞けなかったみたいで感謝されたとか。

僕が帰った時、勇気を振り絞って尋ねた時の状況を、
カミさんは興奮気味に、僕に語った。

Ton's女房「あたしもうねー、柿本(かきもと)の気分だったの!」
 僕   「へ? 柿本って、人麻呂? どーゆー意味?」
Ton's女房「ほら、芸能リポーターでいるじゃない?」
 僕     「あほ! それは『梨本』だ!」

確かに「柿」も「梨」も果物である。"ボケカマシ"はまだある。

Ton's女房「あたしハワイに行ったら山に行きたい。
      ほら、あの、"デラウエア"火山」
 僕     「あほ! それは"キラウエア"! デラウエアはブドウだ」

間違えは両方とも食い物である。奴の食い意地はたいしたもんだ。

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2006年4月 5日 (水)

小田急線が嫌い…、だった

コンプレックスに満ちた大学時代の4年間に利用していた小田急線。最近まで僕はこの路線が嫌いだった。無論そればかりではないけど、大体ひしゃげた心を胸に抱いて乗ってた線だけに、悪いイメージになってしまった。小田急線には全然責任ない(笑)。だが昨日は竹橋の学士会館で仕事関係の勉強会、帰りに久々にすがぬまのおとーちゃんと町田で飲むために、大手町→(千代田線)→代々木上原とまわって、小田急線を使った。

午後9時頃、祖師谷大蔵の高架複々線をひた走る、僕の乗った急行電車。南の向こうに、次男が昨秋入院した国立成育医療センターが見える。窓にはあかりが灯ってる。あの窓の一つ一つでたったいま、生命の戦いが続いてる。入院中は僕も次男を寝かせた後、こんな時間に帰ってたんだよな。いまあの窓の中で戦ってる人達も、がんばってほしい。
だからとてもとても愛おしく見えた。

いまも定期的に次男とカミさんはこの病院に通ってる。
今度は僕ら家族なりに力をあわせてがんばって乗ってる小田急線。
こんどは好きになった(^_^)。

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2006年4月 4日 (火)

「寝床」と「茶金」

最近通勤中に聴いてる志ん朝の落語。
「寝床」というお話しがある。

義太夫好きの商家の旦那、稽古した義太夫を自分の長屋の者や店の者にムリヤリ聴かせようとする。「あんなヒデェ声、誰が聴くか!」と、皆が逃げ回る言い訳が面白い。

もう一つ「茶金」という、お話しがある。

京都に茶屋金兵衛という古道具屋がいた。これが大変な目利き。鑑定を頼まれた品、たいしたものでなければ手にも取らないが、手にとって見ようものなら100両、さらに「これはなんじゃ?」と首を傾げようものならまた100両の値打ちが付くという。
その金兵衛さんがある日、日課の清水寺詣りの帰りに入った茶屋で出された茶碗、これをしげしげと眺めている。しかも"6度"も首を傾げて(笑)。この様子を見ていたのが、江戸で食い詰めて京都に出てきた八五郎。「これは600両で売れる」と茶屋の主人からムリヤリ買い取って、茶屋金兵衛の古道具屋「茶金」に持ち込み、売り付けようとする。ところがこれは単なる清水焼の量産茶碗。金兵衛がしきりに首を傾げていたのは、どこも割れていないのに中に入れたお茶が漏る"欠陥品"だったからだった(笑)。ふてくされた八五郎、いまいましいからってその茶碗置いてっちゃった。
ところが金兵衛、この茶碗をいろいろな茶会にもってってこの経緯を笑い話に出していたら、「何故か茶の漏る"ハテナ"な茶碗」ってことで、様々なお公家さんのお墨付きが付いて、茶碗としては欠陥品なのに1000両もの値打ちが付いちゃった。そのドタバタが面白い。

これ、もろアコギ界、いやアマチュアの芸事の世界そのものだなと思った。

ヘタクソにもかかわらず、練習したのを聴かせたがる「寝床」のダンナ。まさにオレ(笑)。ダンナの聴かせたがる気持、「義太夫とは…」を語りたがる気持、すんげーわかる。心に相当痛みを覚えながらも笑ってしまった。
また、クラプトンやジョン・レノンが使ったからとかいって、法外に値がつり上がっていく楽器の世界。楽器としての評価以外のところで値が付いていく。まさに「茶金」。その楽器からその音が出るのはその人が弾くから。楽器は楽器でしかない。楽曲も例えコピーして弾いても僕が弾く以上、本人のものとは似ても似つかぬ僕のものでしかない。その当たり前のこと、しっかり謙虚に認識してないと、とんでもなく大恥かくことになるな。
それでも人前で弾くの、やめられないのね~f^_^;;;。
だからクラスタみたいなお店、必要なのね~(^_^)

大笑いもしたけど、「気を付けよう」、そんな気にさせてくれるお話でした。

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2006年4月 3日 (月)

自転車がつらい

最近、30㎞とかの庶民的長距離(自転車人にとってはこんなの短距離)で自転車に乗ることがつらい。こぐこと自体がつらいワケじゃない。「道具に縛られる感じ」がつらい。

ある登山家の言葉で「登頂成功っていってもまだ行程の半分に来ただけ。無事に帰ってはじめて成功」みたいな言葉、聞いたことある。サイクリングも行ったらまた自転車で帰ってこなくちゃイケナイ。これが苦痛。
「輪行(自転車バラして袋に詰めて交通機関を利用する)すればいいじゃん」とも言える。けど、乗らないとなると自転車はメチャクチャな大荷物に変わる。身体の自由を奪い、周りに気を遣うことこの上ない。折り畳み自転車でも大して変わりゃしない。超コンパクトになるやつは、今度は走る上で不満のあるものが多い。
タイヤの細いロードレーサー。舗装路を軽快に走るなら素晴らしく快適。だけど、段差とかに結構気をつかってやらないとすぐパンクする。トラブルはヤだ。ならばタイヤの太いマウンテンバイク、たしかに凸凹には強いが、ちょっと走りが重ったるい。
道具を使う以上、どうしても道具の性格に縛られてしまう。
いまは何ともこれがつらい。なんて僕は自分勝手なんだろう。

「歩き」は遅い。リズムにノッテきた時ですら僕で時速6キロ。
「単なる点と点の移動手段」としては現代、非効率この上ない。
ただし…

自由で、いいかげんだ(^_^)。

これがいま何よりも魅力的。駐車・駐輪の気を遣わずに見たいと思った方向へホイホイ行ける。ヤブにだって入り込める、ガケだってよじ登れる(マジにやったf^_^;;;)。疲れたり飽きたりしたらスイッと交通機関に乗っちゃうことも可能だ。歩きながら、景色を心ゆくまで満喫し、その自然的・社会的背景を考えることが出来る。自転車や自動車じゃこうはいかない。こんな考え事したら、僕のことだ、必ず人を轢く。(爆)

こうは書いたが、自転車だってとても愛している。ただ自転車じゃ近場を走っても知った道ばっかりでもう満足出来ない。とはいえ小さい子どものいる現在、家ほったらかして泊まりがけで遠くへホイホイ出るなんて、閉鎖的にがんばってるカミさんにも申し訳ない。だからたった2時間、近所ですらも「発見溢れる旅」に変身させられる「歩き」に、僕は特化してる。でもきっとまたいつか、自転車にも僕は帰るだろうな。事実、家族4人で走るのは大好きだもん。

自転車に、歩き、、、
どっちにせよ、身体の力そのものの移動手段。
単語の意味は違うが、雰囲気は"アコースティック"だな。

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2006年4月 2日 (日)

習い事

全然習い事をしたことないワケじゃないが、僕は人に習うのが下手だ。

僕のやった習い事は、そろばん、英語(会話じゃない)、剣道、地域の野球チーム、進研ゼミ(英語・数学)。ただ意志が弱いので、週2回とかしっかり通い続けるのがつらくなってくる。予習・復習も疎かになってくる。いくら月謝を払っているとはいえ、その人が一生懸命積み上げた知恵・知識をいただくには、およそ申し訳ない態度がどうしても出ちゃう。僕の心根はフーテンなのだ。習うって事は覚悟してしばられにいくくせにあまりしばられたくない。だから進研ゼミもずいぶんヤマにしてしまったし、英語など「もっといらっしゃいな」と、先生直々に家に来て言われちゃったこともある。今も休みがちな研究会があるし。。。

ギターは完全独学。習ってみたいなとも思う。ジャズギターとか。サポートバッキングや曲作りにも活きるし。クラシックギターも習ってみたい。指弾きの基礎をやり直して演奏精度や音色のBrush upもしたい。ただ今までの自分のしてきたことから、先生に失礼になるのが見えている。習ってもドロップアウトしたものがすべて無駄、ということは決してない。そろばんはギター弾く指先の感覚にかなり貢献してるし、まず意志の弱い自分を知ることはできた。ちゃんと身体の中に知恵は残る。でもそんなんこっちの勝手な都合。やはりその分野に、ギターならその先生の音色・音楽性に惚れて通うものだから、惚れた先生には嫌われたくない。だから躊躇してしまう。

これから先、習う事ってあるのかなぁ。
やっぱり欲しいように盗んでいく方が楽だなぁ。

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