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2007年1月11日 (木)

智恵子抄

誰でも知ってる、高村光太郎の詩集。
昨年末、ふと眺めていた日経文化欄の端にあるコラム「私の履歴書」。
12月の書き手はナベツネさんだった。最終話でずっとナベツネさんを支えて来、病に倒れ認知症になった奥さんのことを書いていた。その中の、高村光太郎「智恵子抄」から引いてきた一節にガツンと来た。

 あなたは本当に私の半身です
 あなたがいちばんたしかに私の信を握り
 あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
 わたしにはあなたがある
 あなたがある
(『智恵子抄』「人類の泉」より)

「半身」…。この実感、単にセックスを回数したからって芽生えるもんじゃないと思う。アレ(好きは好きだし、単なる排泄的な衝動もあるのは認める・爆)は、夫婦二人で日常生活に起こり来る大小様々な事柄を、一つ一つ話しあい協力して乗り越える信頼のはぐくみがあるからこそ、あの「ぬくもり」が輝くものだ。

早速『智恵子抄』(新潮文庫)を、買って読んでみた。
僕は言葉にあまり酔えない。言葉が美しいだけでぐっと来ない詩も結構あった。ナマナマしいのも、あった。それは忌み嫌うべきものでない"にんげん礼賛"、大正デモクラシーを感じた。「レモン哀歌」の前後、飾らない言葉が突き刺さる。そして智恵子を精神分裂症の後、結核で失った直後の「亡き人へ」。次の一節に出会った。

 あなたはまだゐる其処にゐる
 あなたは万物となってそこにゐる

 私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
 あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

不覚にもちょっと涙してしまった。ひとりじゃないって、有り難い。
「わたしにはあなたがある」、本当に有り難い。
「半身」…、カミさんがどう思ってようがそれは奴の勝手だ。
だが確かに「半身」、僕はそう思ってる。ほんとうに身体の一部だ。

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コメント

中学のとき、部活の先輩に「智恵子さん」がいました。
授業でこの作品が紹介されたときから、この詩を目にするたびに、僕のイメージの世界ではその智惠子さんが『智惠子抄』の智惠子です。

部活が美術部なので、実際の智惠子とは油絵を描くという共通点はありましたけどね。

というわけで、僕の中のイメージの智惠子抄の智惠子は、なぜか病床でも「デビルマン」のすばらしさかっこよさを延々と語り続ける、確かにあどけない永井豪ファンの女性です。
以前、南果歩がドラマで智惠子を演じてましたが、その南果歩をもう少し膨らました感じが智惠子先輩です。

いろんな作曲家が歌曲やオペラの素材にこの詩集を使っていますね。
僕は知らないけどフォーク歌手あたりでもいるんじゃないですか?
いや、ヒップホップな智恵子抄があってもいいけど(山ほどあるかも、Yo!Yo!あたたらやまYo!とか)。

数年前から合唱曲や詩のための音楽に興味があっていくつか詩集を読み返してますけどね。
高村光太郎は触れてなかったですね。
読み返してみようかな。

それとも、智惠子先輩のこと曲にしてみようかな。。。

投稿: かずき | 2007年1月14日 (日) 00時44分

改めて、智恵子抄を読みたくなりました。昔読んだときよりも、今読むと更に感覚が違うのでしょうね。私の阪神、じゃなくて半身は・・・今は見えなくとも結構近いところにいるような、そんな気がしています。

投稿: kazuko | 2007年1月14日 (日) 01時30分

>かずきさん

かずきさんの智恵子さん、入院されてたんだ。

>いろんな作曲家が歌曲やオペラの素材にこの詩集を使っていますね。

確かにモチーフになりそうな詩はいくつもありますね。

>ヒップホップな智恵子抄

「東京にはほんとうの空がない」ってあれは
たしかにヒッピホップのモチーフにはなりそうだな。
ナマナマしいのもかっこいいかも知れない。

>高村光太郎は触れてなかったですね。

彫刻の方はどう? 「手」とかは結構いい感じだったけど。

>それとも、智惠子先輩のこと曲にしてみようかな。。。

そっちも聞いてみたい。

>kazuko♪さん
>昔読んだときよりも、今読むと更に感覚が違うのでしょうね。

そういう作品、作家に出会えるって幸せですよね。
ポール・サイモンとか僕、そうですよ。

>私の阪神、じゃなくて半身は・・・

「はんしん」と入れると、僕のPCでも「阪神」と変換されます(笑)。
でも確かに、阪神ファンにとっては、阪神は"半身"ですよね(^^)。
まさに身体の一部と言っていい。血液の通い方が、他の球団の
ファンに比べて、全然違う気がしますもの。

>今は見えなくとも結構近いところにいるような、そんな気がしています。

それ、真実だと思います。僕のカミさんがまさにそう。
高校時代は女とも思ってなかった人間ですから。
当時「フザケンナ!」って怒りをぶつけることの出来た、唯一の女。
お互い飾らないとこ見せ合えたのが、いまになってみたらいちばん
でしたね。それまでは「恋に憧れていただけ」、その当人そのものを
しっかり見ることが出来なかった。

投稿: さかた | 2007年1月16日 (火) 23時56分

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