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2007年2月28日 (水)

女人禁制、男子禁制

今日、職場のある街の、ある焼鳥屋に行った。
そのお店は、土曜日以外は「女人禁制」。入れてもらえない。
僕も賛成だ。場所によっては女性の声の高いトーン、ジャマ。
少なくともあの店では、空間の静寂が、一気に壊れる。
それともう一つ、下手に女なんかにいられると、
男は「エエカッコッシイ」だから、心の裃を脱げない。
あそこに女の「性」はジャマだ。

数ヶ月前、JR中央線のある駅だった。若い女性の駅員がいた。
夕方のラッシュ時、ホームでアナウンスをしていた。
ただそのアナウンス、聞いててつらい。「声のトーンが高すぎ」て。
ラッシュ時の緊迫、一日の疲れでストレスのたまった客。
そんな神経にヤスリをかけられる感じがした。
多少無愛想に思えてもいいから、あの女性駅員さんには
数音、トーンを下げて欲しい気がした。
それがプロとしてのたしなみだと思う。
無愛想ではない。落ち着いた声は、お客様の安心のため。

僕は、「女人禁制」は肯定派だ。
当然その逆、「男子禁制」だってあるべきだ。
(女湯などは当たり前、それ以外でね)
変に男女平等で、均してしまう方がよっぽどツマラナイ。
互いの性がジャマになる空間ってあると思う。
悪しき平等で一緒にする方が、僕はよくないと思う。

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2007年2月25日 (日)

NHK-AMラジオ「夢のハーモニー」

カラべリグランド、マントヴァー二…、どちらも「艶っぽい夜のムードむぅんむぅん(^~^)」のムードミュージックオーケストラ。僕も普通ならあまり自分からは聞かない(ハッキリ言ってチト気持ち悪い(^_^;;;;)。でもある思い出から、ちょっとばっか聞きたくなってしまった。

小学四年生ころ、ウチは小さかったから、父と川の字ならぬ二の字で寝てた。父は寝る時、小さくラジオでNHKかけてた。僕が夜更かししちまってまどろみはじめる頃、聞こえてくる番組、「夢のハーモニー」。雰囲気としてはTOKYO-FMの「ジェットストリーム」が近い。上記のようなムードミュージックがたくさんかかる番組だった。
昨晩家族で川の字で寝てたら、そんな思い出とともに、耳の奥にこの番組のテーマ曲が流れ出して、聞きたくなった。Googleで「夢のハーモニー NHK」と入れて検索したら、わかった。曲名は「今宵の君は」、あの雰囲気でこの曲名かよ。ヤッラシいなぁ(笑)。演奏はマントヴァー二・オーケストラだった。で、Amazonで注文しちゃいました(^^)。

NHKのAMラジオ放送の雰囲気は好きだ。神経を逆なでしてこないから。そういえば上記の父との思い出の頃は、NHKは午前0時には放送を終えていたなぁ。「君が代」がかかって「JOAK・NHK東京放送です。本日の放送はこれで終わらせていただきます。どちらさまも火の元・戸締まりには充分お気を付け下さい」とアナウンスが入った後、オルゴールが流れ、放送が終わる。このオルゴールの曲も好きだったな。曲名は知らない。まだガキだったから「ああ、こんな時間まで起きちゃってる」という小さな罪の心の端に、一人で眠る前の暗闇の世界に戻されちゃう寂しさと、知らない大人の世界をちょっぴり味わってる感じがした。

しかしこうして、「終わり」があったのはよかったのではないか。
いま世の中が皆「総24時間営業化」している。テレビもラジオもコンビニも全然休まない。特に東京には、もう夜がない。これはちょっと異常だ。95年に長崎に行った時感じたのは夜の暗さ、あの街にはちゃんと夜があった。健康だと思う。消防や警察は大変だが仕方ないが、商業まで20時以降やり続ける必要は、果たしてあるのだろうか? 地球温暖化や人間の活動リズムから考えても、あまりいい事とも思えない。

現代人はもう少し夜を取り戻してもいいんじゃないかなぁ。
まずそれこそLOHASだと思うけど。。。

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2007年2月23日 (金)

「詩」に、出会う

また『智恵子抄』(新潮文庫)を読んでる。
ぱらぱらと、気に入った頁を開ける。
そうすると新鮮に飛び込んでくる。
今日は第二次大戦後の詩が沁みる。

カミさんはカミさんで
『和泉式部集 和泉式部続集』(岩波文庫)にハマッってる。

「人の身も 恋にはかへつ 夏虫の
    あらはに燃ゆと 見えぬばかりぞ」

これがすごいって、しきりに言ってる。

どっからでも読めるから、歌集や詩集っていいな。

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2007年2月22日 (木)

結婚向き

こないだ引き出しを整理してたら、婚約直後に高校の友達が撮ってくれた僕ら夫婦のツーショット写真が出てきた。
まぁ「これから結婚する雰囲気ゼロ」の二人(笑)。

カミさんは、恋愛するならジツにツマラない(爆)人間だ。

婚約前、付き合っている時のことだが、

こちらから電話しなけりゃ、奴からは数週間はない。
僕は折にふれて手紙を出したが、奴からの返事はゼロ。
こうなると当たり前だが、婚前交渉もゼロ(笑)。
チューも婚約前はナシ。婚約してから結婚までの約1年で2回だけ。僕がガマンできずにお願いして、させていただいたようなもん(爆)。
博物館・美術館はよく行ったが(今も行く)、二人並んで展示を見たことありゃしない(これは今も僕もイヤ)。お互い見方が違うから、かえって互いがジャマなだけだし。付き合ってるのかどうか、自分でも不思議だった。
カミさんはあれでモテた時期もあったらしいが(オモシロイ奴ではある)、これじゃ大抵の男は付き合ってみたら不安に耐えられないだろう。「もう後がない」崖っぷちの僕だから耐えられたのだ(笑)。

なんちゃってね(^^)(^^)(^^)(^^)。
耐えたつもりは全然ない(チューを除く・笑)。

婚約直前ぐらいに、小田原の曽我梅林に梅見のデートに行った時、朝、当時乗ってたポンコツミラで迎えに行った。そしてカミさんの実家でコーヒーをご馳走になった。朝ご飯を終えたぐらいのカミさんの家族。ゆっくりコーヒー淹れて、ゆっくり過ごす日曜の朝。あの時に僕はカミさんの時間感覚をつかんだ。「あ、こいつはただの~~んびりしてるだけなんだ」って。そう思ったら上に書いたこと全てが楽になった。ほっといていいんだから。こんな楽な奴はいない。

そういや僕だって色気はない。洒落っ気もない。女性をドキドキなんかさせられない。トキメキなんて言葉とは無縁な、ジツに「子宮に響かない(笑)」男だ。ソロでステージセンターに立つべき人間ではない。ただハデなことは出来ないが、生活上役に立つ人間である自信はある。

俺ら夫婦は恋愛に向かなかっただけだと思う。ただ生活してみたらほっとける性質のおかげで、ホント一緒にいて楽。結婚向きだったんだな。

来月2日で、結婚10年か。。まだまだとは思うが、早いもんだ。

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2007年2月20日 (火)

遊歴雑記

「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで、¥60,000もする本を買っちゃった(15回払い・笑)。江戸時代の文化・文政の頃)に出版された紀行文、十方庵大浄敬順の『遊歴雑記』。三弥井書店からでている影印本(江戸時代の紀行文を写真版でそのまま復刻した物)だ。

この十方庵大浄敬順という人、小日向水道端(現在の文京区水道2丁目)にあった廓然寺というお寺の第四代住職で、まぁほんとよく歩いている。江戸のあちこちや近郊の多摩だけでなく、秩父や東松山の辺り、相模の江ノ島やら。風景を賞美するのが好きで、携帯コンロもってって、行った先で煎茶を点てて飲むのが好きというくそ坊主、あ、いや風流人だ(笑)。

趣味人はいまでもそうだが、自分の趣味の合わない物に出会うと、テッテー的にコキおろす(笑)。この敬順和尚もすごい。
向島百花園のお話しだと、初代園主菊塢のことを「タイコモチ(幇間)的な人物で雅人ではない」と酷評。秩父の方に行ったとき、その土地で江戸風だと聞いて食べたものは、「甘ったるいだけで何の味もわかってないひどいもんだ」と書いたり。往々に客観的描写が心がけられているが、自分の「風雅」の基準に合わないものはほんとにボロクソ。いったいこれで坊さんなのかよ(^_^;;;;。口は驕ってるは、文句たらたらだわ(笑)。およそ「悟っている存在」とは思えない。こうして「心のありのままになる」のが「悟り」なのかねぇ(笑)。

他にも江戸時代には面白い本がある。喜多川守貞著『守貞漫稿』といわれる本なんかだと、吉原の遊郭までいかない低級な淫売"切見世"の、図入りの克明な描写までしてやがる。今で言うなら「風俗店のルポ」じゃん(笑)。よくまぁこんな記録が残ったもんだ。猥雑なまでに庶民の暮らしが見える。これ、当時のお芝居や料理の話しも書いてある。岩波文庫から『近世風俗史(1)~(5)』として出ています。

でもだからこそ大好き。本音を書いてるからこそ、面白い。官選地誌の「新編武蔵風土記稿」なんかだと、こうはいかない。それなりに村が見えるが、お上に提出した文書なだけに、猥雑な部分は一切ないもん。こうした本音の記録をありがたくは思ってるが、ハッキリ言って、喜多川守貞も十方庵大浄敬順も「ヒマ人だなぁ」とも思った(笑)。まぁよくもこんなに細かいこと、こだわって書き記しておくことが出来たもんだ。生きること自体大変な人もいたと思うが、これだけの余裕を持って暮らしていた人もいたんだなぁ。

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2007年2月19日 (月)

次のコピー曲

次のコピー曲は、ヘンリー・マンシーニの「Two for the road」にした。
Charlie Haden&Pat Methenyのアルバム「beyond the Missouri Sky」に入ってるバージョンから耳コピしてる。1967年のアメリカ映画「いつも二人で」(邦題、オードリー・ヘップバーンとアルバート・フィニー主演)の主題曲だって。エンニオ・モリコーネも泣かせるメロディたくさんあるけど、ヘンリー・マンシーニもそうかもなぁ。ええメロディっす。

スケールやコード的にワカラネェことはそのままにして、まずはたくさんコピー・採譜・アレンジ・曲作りしようと思う。無い知識で考えたってムダだ(笑)。「Tonも歩けば棒に当たる」式で行くべぇ。

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2007年2月18日 (日)

大井町の「レモン哀歌」碑

先日あるきっかけで読んだ高村光太郎『智恵子抄』、はずかしながらそこで初めて知ったことがある。智恵子が亡くなった病院は他でもない、僕の故郷・品川区「大井町」にあったのだ。ゼームス坂病院、智恵子は昭和13年10月5日にそこで亡くなった。病院はもうないが、病院のあった場所に文学碑があると大学時代の友人に聞いたので、父の家に行くついでに、ちょっと行ってみた(写真はその碑)。

Photo_13 Photo_15







黒御影の大きな石に、光太郎の原稿からとった筆跡で「レモン哀歌」が刻まれている。石碑の前にはレモン。連れ合いを失うなんて想像するだに嫌だ。僕はカミさんほど強い人間じゃないから、先立たれるなんて絶対イヤ。願わくば俺が先に死にたい。ここで光太郎は自らの半身を失ったのか。

この石碑、高さにも意味がある。智恵子の背の高さ(推定)だそう。僕の口元くらいまであった。この推定身長が正しいなら、当時の女性にしては長身だったんじゃないかな。シンドウさんの観た「智恵子の切り絵の復原品の展示」は、その数日前に僕も見たが、作品もさることながら、智恵子の写真に驚いた。27歳頃の写真と、40代後半の光太郎とのツーショットの写真があったのだが、後者の智恵子の表情の方がはるかにピュアだった。「あなたはどんどんうつくしくなる」って光太郎の詩がぐっときた。

それから父の家に行って一仕事。帰りに大井町の駅の近くで、名前の気になった焼き鳥屋(店名はJACO。あの"JACO"です)に入って、ちょっと飲んだ。お通しの煮物がいきなり美味しかったのでふと、「ここで親父と飲みたかったな」と思った。でも悔やむまい。親父は「万物となってそこにゐる」。僕の命そのものだ。だから美味しく食って帰ることにした(笑)。

ま、いろいろ淡々とやるべ(^O^)。

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2007年2月17日 (土)

久々の朝練

父の死以来、ほとんどギターに触ってなかった。
たまににポロポロ弾くことはあっても、全然没頭してない。
悲しみのあまりなんてことはなく、疲れちゃって弾けなかった。
自分の時間取り戻したくて、夜更かししたりしてたから、
そうすると朝起きられなかった。

今朝久々に朝練した。
先日コピーしたトゥーツのハーモニカソロをギターで弾いて、
どんなスケールで弾いてるのか考えてみたり。
「枯葉」のコード進行を練習してみたり。

好きに弾けばいいんだ。

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宮本先生がうらやましい

僕が今、散歩しながら写真を撮っていると、
宮本常一先生をうらやましく思うことがある。

『宮本常一 写真日記集成』全2巻・別巻1(毎日新聞社刊 2005年 \60,000)という本がある。宮本先生が日本中を歩き回って撮りまくった写真が、たくさん載っている。昭和20~56年の、ごく普通の日本の生活風景。家々、物干しに干された洗濯物、働く人、生活する人、元気の遊ぶ子どもたち、生き生きと記録されている。

僕も、歩きつつ写真を撮る。「おやっ」と思ったらシャッターを切る。
でも、いま家や子ども、人を撮るには、この僕でも、すごく躊躇するのだ。
撮られる側から見れば、僕は「知らない人」。もっとひどく言えば「不審人物」だ。好奇心たっぷりにきょろきょろしながら歩いてる。"空き巣の下見"と思うことだって可能だ。子どもを撮ろうものなら、誘拐犯か児童フェチと思うことだって可能だ。プライバシーにウルサい昨今でもあるしね。
一度、横浜の上大岡のほうで、とてもいい地層の露頭を見つけて、その崖の写真を撮らせてもらおうと、近くにいたその土地の所有者っぽい人に「撮ってもいいですか?」と聞いた。そうしたら間髪入れずに「ダメッ!」。「すみませんでした」と一礼し、その場所を離れる背中からも「何考えてんだ、バカ」という声が聞こえた。ただ歩いているだけでも、向こうにとってはインパクトかも知れないな。

宮本先生もきっとこういう思いを何度もされたんだと思う。そうして日本中を旅し記録する中で、そこの空気に同化する術、懐に入り込む笑顔、憎まれない図々しさ(^^)を身につけられたんだろう。僕も歩き、撮っているからこそ、その凄さを感じる。ただ、やはり、人と人と関係のありかたが変わってきているんじゃないかな。隣の人が何を考えているのか、わからない世の中になってきているのかなぁ。
「昔は良かった」という言葉は、僕は余り使いたくない。だが、これから僕でも初めていった土地のその空気に、入り込めるようになるのかなぁ。

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2007年2月16日 (金)

何の遊び?(^^)

10~12日、珍しく土日シフトの関係で職場は3連休。
でも、法事があったり、出版記念会があったり、伝統芸能公演の裏方があったりで、休みにはならなかった。充実はしてたけど。そんな中でも、"ある中(歩き中毒・笑)"の僕は、1、2時間は歩く時間を無理矢理とった(笑)。

Dscn7345




写真は11日に八王子まで伝統芸能公演のリハーサルに行く途中、一つ手前の片倉駅で降りて歩いた時に見つけた、道路の落書き。間取り図が描いてあって、いったい何の遊びしてたんだろう(^^)。ままごとにしちゃ、ずいぶんナマナマしいなぁ。「不動産ごっこ」なんてのあるのかなぁ(笑)。

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2007年2月15日 (木)

オルガスムスって…

のっけから、性の話題だが(^^;;;;、、「イク」という感覚がある。
僕は男だから「射精」だが、それはとんでもない快楽である。
これ以上、単純かつその後の鎮静効果のある行為は、そうはないと思う。
音楽で近い絶頂感を味わうことはあるが、その確率はそう高くない。
また音楽で得られるそれは、練習なり探求をしっかり積んだ後でないと、
まず、、ない。

ただ今日、ふと思った。「イク瞬間が来ずに快楽がそのまま続いたら、人間どうなっちゃうんだろう」って。ひょっとしたら死んじゃうんじゃないか。

そこで気づいたのは、この「イク」って瞬間は、生命の危険を未然に防ぐための"ブレーカー"なんじゃないじゃないかってこと。そのまま行ったら危ないからある一定の程度でそれを止める機能なんじゃないかって。

性医学の方では、どう捉えられてるんだろうなぁ。

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2007年2月12日 (月)

エプロンを新調した

Photo_11 今まで、カミさんの実家からもらった青いエプロンをしていたのだが、今度は黒いやつ。カミさんに「『のだめカンタービレ』で千秋が使ってるような「黒い」の、どう?」と言われ、たまたま「無印良品」で見つけたので(\735ナリ)、買ってきた。

ガキ共を寝かせ、「さて茶碗を洗うか」とこのエプロンをつけ、カミさんの方に向き直る。開口一番、カミさんはこうのたまった(^^)。

「う"…、玉木宏(TV版『のだめ…』での千秋真一役)と全然…、違う。。」

ヴァッカヤロー!!
テメーが「黒買ってこい」って言ったんじゃねぇか!!(笑)
わかりきったこと言って、追い打ちかけんでもええやんか(T_T)

でも、ほんと玉木宏って男が見ても、かっこいいなぁ。
「ミラリーゲ・アラ・パンナ・コン・イ・ブロッコリ」
いつか作ってみたいなぁ(^^)。

この写真はおニューの携帯で撮りました。

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無意識過剰

10日に、昨年亡くなったカミさんの祖母の1周忌があった。
法要を終えての精進落とし、料理の前に皆のグラスにビールが注がれ、今かと乾杯を待っていた。ふと、カミさんの方を見ると。

もう、ビール、飲んじゃってやんの(笑)。
「え、飲んじゃいけなかったの??」だって。みんな大笑い。

あなた、無意識過剰すぎです(^^)。

『無意識過剰』、、阿川佐和子さんのエッセイのタイトルにありましたね。
面白かったです。

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2007年2月 9日 (金)

再起動(^~^)

携帯を替えた。僕の携帯はTU-KAだったんだけど、KDDIとしてauと統合。「来年3月にサービス自体が終わってしまうから、auに替えてね」って通知が来てて。あまり考えずにauに替えた。docomoにはしたくないし。機種は東芝のA5523T。僕は電話とメールと鉄道路線検索が出来ればいいので、winタイプとかにしないで、これにした。カメラはいま標準装備なんだね。130万画素のが着いてる。

今までのに比べてそれでも高機能なのか、スイッチ入れてからの起動に少々時間がかかる。今朝、出かけに僕が、「スイッチ入れてから起動に、ちょっと時間がかかるんだよな~」とかしゃべった。カミさんも「なんかアップルのコンピューターかなにかで、再起動の時間が早いとかいう商品が出たんだって~」とかべちゃくちゃ。

そしたらカミさん、次の瞬間ナニを思ったか、
僕の股間を指さしてのたまった。

「再起動!!(^~^)」

あの、ボクの場合、まだこちらの再起動には時間はかかりません(爆)。

やっぱりバカ夫婦でスミマセン。

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2007年2月 8日 (木)

長男が不安定

おじいちゃん(僕の父)が亡くなって、僕も通夜・告別式・四十九日の準備、いろいろな手続きで忙しくて、休みの日も家を空けることが多い。長男にとっても激動だったんだな。なにせ年末に顔を見たおじいちゃんが、死んで冷たくなって、骨になっちゃってるんだから。次男の甘えも自己主張も強くなってきてる(しかも2歳児、自制心はまだまだ)、お母さんも次男の方に行きがちになるし。寂しいよな。

だから、つまらないことで、クラスのお友達にちょっかい出して泣かしたり、押した弾みでぶつかって、友達のピアニカ壊しちゃったり。昨日はそんなこんなでクラスの友達からもかなり糾弾されたらしい。極めつけは今日、塀から落ちて、右膝の上を裂傷、何針か縫合することになった。

こんな長男の現状に、僕の中の勝手な心からは
「全くこのくそ忙しい時に、心配のネタ、増やすんじゃねぇよ」
って気持ちも、正直ある。

でも、奴はまだ8歳なんだよな。僕もこれまでに友達にひどいことしてしまった中で後悔し、自分の底を知り、「自分自身の弱さや性癖とのつきあい方」を、挫折しながら学び続けてる。長男は長男であって僕ではない。奴自身の内面とのつきあい方は、奴自身が苦しんで学ぶしかない。いま、ほんと奴はつらい時だよな。

ちょっと長男と遊ぶ・話す時間も、意識してやらないとなぁ。
振り返る心の余裕を作ってやるのは、まだ僕ら親の仕事だ。
僕は酒やらいろいろで発散の方法があるけど、長男の場合、学校で友達にあれこれ言われ、家で僕らにもいわれじゃ、逃げ場がない。

ああ、俺も、いろいろほっぽりだして休みてぇなぁ。
親やるって、生きるって、ほんと大変だ。

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2007年2月 7日 (水)

葬儀以来、頭にきたこと

まぁ、とにかく毎日、香典返しやら、墓地・霊園のカタログがやってくる。大井の家にいると3時間に2本はかならず電話が入る。いったいどこから漏れるのだ。昨今やかましい「個人情報」だ。これにはかなり頭にきた。

葬儀屋に聞いたら「うちは一切提供しておりません」とのこと。父だけでなく祖母のときもすごく誠実にやってくれた葬儀屋だ(急に乗じてボッタくるヒドイのもある)。これは信用した。菩提寺も祖父母以来。こういうものリークする人たちじゃない。

会葬御礼には僕の住所が書いてあるから、これからリークしたかなとも考えたが、違うようだ。何故そう考えるか? ちゃんとハガキを見てまとめたのなら間違うわけがない僕の部屋番号が間違ってる。しかも複数社から送られてくるカタログ、すべて同じ間違いをしているのだ。おかげでこのマンションの別に部屋のご家族にまで、ご迷惑がかかっている。一社にはクレームの電話を入れた(これだって向こうの電話にナンバーディスプレイがあったら、向こうの思う壺なんだけど)。「個人情報を何だと思ってる! それに住所間違ってるぞ。別の部屋の方にご迷惑がかかってる。使えない住所だって、データ提供元にクレーム入れろ!」と。

父の実家に入ってくる分に関しては、まず町内会掲示板に貼られた「通夜・告別式」の告示だな。これをしっかりチェックしてる人がいて、住宅地図や電話帳などと照合して送ってくるのだろう。また相模原の自宅に関しては僕の嫌いな「あて推量」に過ぎないが、きっとこういう情報をまとめて売ってる会社があるのかと思う。そのデータを買ってるところがみんなして間違えているんだろう。

向こうも商売。それで食ってるんだから営業努力として理解はしよう。
「渡りに船」と、便利に使う人もいるだろう。
ただ僕の感覚としては、死肉に群がられる、とても嫌なものに感じた。

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2007年2月 6日 (火)

散歩好き向けのソフト&ツール

これは主には同じ"歩キスト"である、
Gan☆さんや一太郎さん向けの話題といえるかもしれない。

以前、図ソフト"カシミール3D"と携帯GPSで採れるトラックログ(歩行軌跡データ)で何が出来るかって書いたけど、具体的にはこれだ(下記の画像参照)。

Image001地図上の赤い線が、GPSのトラックログをカシミール3Dで取り込んで、画面の地図上に描いた歩いた経路、カメラマーク&フォルダマークがデジカメで撮った写真の位置だ(フォルダマークはその地点で複数枚写真を撮っているとそうなる)。こんな風に、歩いた経路と写真位置を同時に整理出来るのだ。

デジカメ写真についている時間データ、それとトラックログの時間データとを、カシミール3D上でリンクしてくれて、撮った写真がどこで撮ったものかを、地図上に図示してくれる。しかもJPEGファイルにはもとから「EXIF情報」のスペースが作ってあって、撮った写真の緯度・経度情報が入れられるように「元から」なっている。このソフトを使って、撮ったデジカメの写真に緯度・経度情報を入れてやれば、どこで撮ったかまで記録に残すことが出来るのだ。

以前まで僕は、これをアルバム上に地形図のコピー貼って、プリントした写真でやっていた。手間もコストもかかって正直苦痛だった。でもこのソフトではそれをまとめて一気にやってくれる。とてもありがたい。もうばしばし撮りまくって、PC内で整理している。
さらにこのトラックログ&カシミール3Dからは、総歩行距離や平均時速、そのコースの高低差断面図なども作成出来る。ちなみに上に上げた図の総歩行距離は4.058Km、平均時速は4.6km/hという記録が残っている。

GPSも今、そんなには高くない(最近は携帯にもついてるらしいね)。
昨年、ギター仲間のKAZUさんに超安価で譲っていただいたGPSは、僕の酷使によってディスプレイがダメになり(ありがとうございました>KAZUさん)、e-trexの英語版に買い換えた。15000円ほど。これで使う程度の英語は辞書無しでも十分理解可能、全然問題ない。

宮本常一のように日本中を歩くことは出来ない。
でも多摩周辺なら僕は出来る。
これ使って、僕は出来る限りGeographer(地理屋)ならぬ
TAMA-Grapher(多摩の記録者)となりたい!
僕は歩くぞ!

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2007年2月 5日 (月)

眼底検査を受けた。

瞳孔を開く目薬さされたから、目がぼやけ、像がにじんでる。
外の光がキツイ。目がマトモに開けられない。
白い壁や、ガラス張りのビル(特に桜美林大の駅前校舎)は凶器。
淵野辺駅近くの眼科から這々の体で帰ってきた。 
4,5時間はこのままだって。"歩キスト"の僕が外に出られない。
カナシイよぅぅぅ。。。(T_T)

父の通夜・告別式、様々な名義変更、遺族年金切り替え、家の整理など奔走しまくって、28日(日)職場復帰の朝、髭を剃ろうと鏡をのぞいたら左眼球白目の左下半分が真っ赤。"充血"なんてナマヤサシイもんじゃなく、ほんとに「血の赤」そのものだった。Tonちゃん、「ブタウサギ」になっちゃいました(爆)。でも痛くもかゆくもない。視力変化も無し。でも、前日の晩、何となくそのあたりがコロコロした記憶はあったが。

29日に眼科に行って、消炎用の目薬と血止めの飲み薬もらって、
今日眼底検査。結果は異常なし。とにかく、疲れとかで一時的に血圧が上がって、白目の部分の弱い血管がぶち切れたんだろうって

先週一週間でかなり血はひいた。
でも、朝練は、お休み中です。

fourplay "Heartfelt"を聞きながら書きました。(岩橋さん風に)
最近スムースジャズが好きです(^^)。

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2007年2月 4日 (日)

父の家の整理開始

昨日は朝から、親父の家を、整理しに行った。9:30amころには到着して、1階のタンスの引き出しをひとつひとつ開けながら、整理してゆく。

ある引き出しを開けたら、ほぼ9年前からの、親父の区民健康診断の結果票がドドッと出てきた。みたら「心電図」の項目に「異常」の記載!? なになに?「冠不全傾向うんぬん」、その他訳のわからないアルファベットが並んでたり。。なんだよ、もう既に時限爆弾は、この段階でスイッチ入ってたんじゃん。一人暮らしは僕も経験したけど、男の一人暮らしはほんとダメだな。女性と違って美容にあまり興味がないから、どうしても口の快楽はあっても、コレステロール高くて体に悪いものばっかり摂りがちだ。いい仕事も趣味も健康な体からだし、口うるさく言ってくれる存在ってありがたいんだな。でも、親父はそれでも一人でいたかったんだし、それが親父の決めた生き方。しょうがねぇけど。。。僕はやはり、カミさんにいて欲しいな。どうしようもない寂しがり屋だしね。

親父がやりかけた家の相続登記、この書類一式も出てきた。
これで僕がバトンタッチして取りかかれる。よかった。

見つけてたまんなかったのは、何のことはない、メモの切れっ端。
ウチの次男が生まれたときなのかな。どんな字なのか忘れないように長男の名前と次男の名前を並べて、親父特有のキッタねぇミミズのはったような字で(僕も親父のこと言える字ではない・笑)、でも一画一画一生懸命「○△チャン、□○チャン」って書いてた。泣きこそしなかったけど、「ほんとに孫たち、愛してたんだな」と。ちょっと手が止まってしまった。

その後、お寺に四十九日の段取りを相談しに行ってから、近くの銭湯へ。
通夜・告別式と町会関連で大変お世話になった、ご近所のおじさんがいた。挨拶して、風呂に浸かりながら話した。そのおじさんは、亡くなる18日の朝の、前日の晩、灯油を買いに通りへ出た父を目撃してるのだ。「ほんと、命ってわからないものだね」って。でも、僕はここでずっと暮らしてきたわけではないのに、知ってもらえてる。これも父の縁。やはりここは故郷なんだな。僕は「ドロドロど下町人間」なんだ。

一日動き回ってたけど、なんとか夜は時間が出来て、大森の「風に吹かれて」まで、「面と向かっての出演キャンセルのワビ」を入れに行くことが出来た。ウォルフィさん含め茹蛸四人で会えたのもよかったけど、演奏しないで会うのは、とーーーーーーーっても寂しかった。しっかり準備して、絶対にまたやるっ!!

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2007年2月 3日 (土)

心を原点に戻せる場所

「宗教はどれも神に帰る踏み石の一つに過ぎない」

僕の宗教観の基本はこれだ。これは『アメリカインディアンの書物より賢い言葉』(扶桑社文庫、¥600)って本で出会った、ネイティブアメリカンの人たちの素敵な格言。大好きな言葉だ。「神」については、僕は「宇宙全体」の代名詞としか思ってない。だからどの窓口(イスラムやらキリストやら仏教やらいろいろある)から祈ろうがいいんじゃないか。要は「心をスタートラインに戻せるかどうか」、その儀式にすぎない。

四十九日までの間、父のお骨は、父の愛した大井の家でなく、僕の家にある。誰もいない大井の家にほったらかせないし、孫たち(僕の息子たち)をとても愛していたし。「孫たちの大騒ぎの前にいられる方が兄貴も幸せだろう」って、叔母もそういってくれた。

で、変かもしれないが、嬉しく思っていることがある。
それは家の中に「心から拝める場所が出来たこと」。

まず朝起きてすぐ父にお線香をあげて手を合わせて、でもって家に帰って、手を洗って着替えたら、また父にお線香をあげて手を合わせる。この瞬間、僕の心はちょっとの間だけでも原点に戻してもらえてる。この父がいなければ、僕はいない。これほどスタートラインとして確かなものはない。
紀田順一郎『東京の下層社会』(ちくま学芸文庫、筑摩書房)という本がある。昭和初期ぐらいまでの、東京のスラム街のルポを集めた本。その中に「小屋と家の違いは何か?」という文章があった。それは「神棚や仏壇の有無、あれば家、なければ小屋」というような文章だったと思う。今それがとてもわかる。

ウチはごく普通の集合住宅だから、神棚のスペースも仏壇もいままでウチにはなかった。でも今、父がこんな形ででも来てくれたおかげで、心を原点に戻せる場所が出来た。父はもういない。でも、これは嬉しいことだ。

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2007年2月 2日 (金)

フォーレ/レクイエム

最近、またフォーレのレクイエムを聞いている。
岩橋さんにもらったジョン・ラッター版のもの。

第3曲の「Sanctus」。静かに始まった音楽がクレシェンドし、
天上につきぬけて光が差すようなところがある。
ここで僕は、いきなり涙しそうになってしまった。
第1曲の「Kyrie」や第4曲の「Pie Jesu」は今までも好きだったが、
「Sanctus」でこんなに揺さぶられたのははじめてだ。

ほんと光に満ちていたなぁ。

このレクイエムは、本当に美しい。

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