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2007年3月12日 (月)

祈る母

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僕は洗礼は受けてないけど、小学校低学年ぐらいまではこの母によくミサにつれてかれた。だから典礼聖歌は断片的にソラで歌えてしまう。教会で聞くオルガンや聖歌の響きっていいんだよね。キリスト教の唯一絶対神の考えは、身体に合わないけど、教会の御聖堂(おみどう)は好きだ。ここでぼーーっとするのがいい。

母の部屋の契約更新の帰りに寄った、
母の通う教会・カトリック立川教会にて。

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コメント

さかたさんもですか??
私の実家のそばにプロテスタントの教会がありものごころついた頃から通ってました。幼稚園も系列の~病院もです。
部活で忙しくなるまで土曜日は通っていました。教えというより、あの空間、時間が体になじんですきだったのかもしれません。今でも聖書の暗唱句は覚えてます。
賛美歌を聴くとなんか落ち着くんです。
オルガンの響きもすきでした。

投稿: ねも | 2007年3月12日 (月) 22時46分

キリスト教の信仰を云々出来るほど知ってはいないけれど「慈愛の精神」というのはすてきだと思う。
日本の仏教だって本当は人身救済のためなのだから「葬式仏教」から本来の姿に立ち戻って欲しいと思ったりなんかする。
そんなに偉そうに言える立場にもないけど(^-^;)

投稿: をんばせ | 2007年3月13日 (火) 00時14分

キリスト教はあまり得意ではないけど、教会は良いね。

何と言ってもオルガンの音。
この音色は、自分にとって原点のような気がします。

投稿: Real Man | 2007年3月13日 (火) 00時58分

>ねもさん、Real Manさん
>オルガンの響きもすきでした。
>Real Manさん
>何と言ってもオルガンの音。

オルガンと教会の建物で"一つの楽器"って言ってもいいですよね。
昨日は御聖堂の中では母と僕だけだったので、母の祈りが落ち着いた頃、あえて手を叩いてみました。長い残響…、ここでオルガンが鳴ったら、ギターのサウンドホールの中にいるようなもの。気持ちいい。音楽としての"天国の現出"ですよ。
今まで行った教会で、いちばん響きが好きなのは鎌倉の若宮大路沿いにある「雪の下教会」。壁の据え付けではない小型のパイプオルガンではありますが、オーソドックスなヨーロッパスタイルの天井の高い教会で、頭の上の方で残響が気持ちよく回ってる。通奏低音がすげー気持ちよかったです。こんなとこでバッハ聞いたら最高だろうな。

Real Manさんは最初に弾いた楽器が電子オルガンだものね。鴨志田の家にあったドリマトーンは持っていったのかな? まだたまには弾いてるの? ドローバーでいろいろ音替えて遊んだの、覚えてまっせ。大学時代にいきなりバッハの「小フーガ」をメロディの追っかけっこ部分もしっかり再現して弾いてるの聞いて驚嘆しましたよ。

>ねもさん
>賛美歌を聴くとなんか落ち着くんです。

お互い、音楽に惹かれてしまうのは、そこに原点があるかも知れませんね。いろいろなスケールも、もとは「教会旋法」、教会の賛美歌のメロディが原点ですものね。

>をんばせさん
>キリスト教の信仰を
>「慈愛の精神」というのはすてきだと思う。

宗教って「人間の脳や感覚が創り出したもの」だから、表現方法の違いでどこもそう変わらないと思ってます。仏教にも「慈悲」がありますしね。どの宗教も「その土地の環境で、自分の心を生きやすくするための『方便』」に過ぎない。

玄侑宗久の受け売りだけど、原始キリスト教のグノーシス派の一派には、至高的存在に絶対神を置かず、「光」を置くものがあるそうです。これは仏教のうちの阿弥陀如来の考えと同じです。阿弥陀如来はサンスクリット語の「アミターバ(無量の光)」を象徴化したものだし。旧約聖書の冒頭は「『まず光あれ(let there be light)』と神は言った」ですしね。これも臨死体験時に生理的に人間が見ることがある「光り輝く何か」に原点を求めることが出来ますしね。

>日本の仏教だって本当は人身救済のためなのだから
>「葬式仏教」から本来の姿に立ち戻って欲しいと思ったりなんかする。

ほんと「心を生きやすくするための方便」なんですよね
なのにお経を「呪文」だと思ってる人もいますもん。そういう人は一度「漢文」として読めるだけ意味読んでみろ、って勧めたいです。阿弥陀経なんか法事で読誦するときに、そういう気持ちで読んでみるとオモシロイですよ。僕が感じるにあれは「あの世のガイドブック」。釈迦の十大弟子が出てきて、なんか妙なる音楽が流れてて云々。それほど大切な人を亡くした「生きてる人」がその悲しみの癒しを、「亡くなった人は安寧の中にいる」と信じさせる儀式の中で求めてるんだってのが、伝わってきますね。

人心救済といえば、鎌倉仏教だけど、お題目・お念仏・座禅だけに集中してその三昧境に入ることでの救済を考えたところなんかも、繰り返しのなかでトランス状態に入る人間の生理を見事に突いているなと思います。ダンスクラブなんかでのコンピューターミュージックでの超速の同じリズムのシークエンスで、トランスに入っていく感覚と近い気もします。

投稿: さかた | 2007年3月13日 (火) 12時39分

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