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2007年4月30日 (月)

また見っけ(^^)、初代谷村線鉄塔

国土地理院2万5千分の1地形図「八王子」(昭和29年資料修正)と、平成10年修正測量「八王子」図幅を細かに照らし合わせると、送電線「初代谷村線」は図の青線のように通っていた。

Image001_3



これでアタリをつけていってみると、、、
ありましたありました(^^)。ピンぼけしちゃってるけど小高い林の中に、放置された初代鉄塔がありました(図中のカメラアイコン位置、写真参照)。
Rscn9124





写真

やはりこれも「朽ち果てた鉄塔」でgoogle検索すると、ヒットします。このWEBの方が冬の撮影なのでさらによくわかります。管理人さんが探索された時にはさらに複数の鉄塔も残っていたようです。

それにしてもよく撤去されずに放置されていたなぁ。
まだ八王子市内は南浅川町にもあるようです。
見に行ってみよっと(^^)。

鉄塔探訪は、「相模原畑地かんがい用水探訪」以来の、
ワクワクテーマになってるなぁ(^^)

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2007年4月29日 (日)

やっぱりギターはスカッと弾きたい!!

久々にメインギターのSanta Cruzをフルパワーで弾いた。
面白がってひっついてくるガキ共を
「ジャマすんじゃねぇ!! 入ってくんな!」って怒鳴りとばしながら。
「いいお父さん」なんかしてたら、家で弾けねぇもん。
最近夜にピアニッシモで練習してたけどツマラナかったぁ。
背中が縮こまって来るようでね。
やっぱりすかっと弾いてあげると気持ちいいね。

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2007年4月28日 (土)

送電路線探しとGoogleマップ

JR送電線にこだわり続けてる(^^)。
鉄塔の路線プレートに「敷設年月」があるのがいい。

ところで、このJR東日本送電線「八王子大月線」は、最近また路線が変わっている。2万5千分の1地形図「八王子」図幅の平成5年発行版では、JR東日本八王子変電所への給電は、「捨てられた鉄塔」の図1に描かれた「八王子大月線」から行われていた。その様子を見ようと、先日3月31日に八王子駅から片倉駅まで歩いてみた(古めかしい矩形鉄塔が見られるのもあってね)。すると片倉駅東側で送電線は東方面へと向かい、平成5年版まであった西方面への送電線は、跡形もない。
最新の平成10年修正測量「八王子」図幅を見ると、それまであった山を越えて西からやってくる送電線は、八王子みなみ野の造成地に入るぐらいのところで止まって、いや消えている(図1参照)。きっとこのニュータウン造成によって、早い話が送電線がジャマになり、送電経路も変更になったのだろう。

Image001_2



図1 この青線のように繋がってた。

実踏する前に、これをGoogleマップでも確かめてみた。ちゃんとわかる。地図モードにするとちゃんと地図記号の「高塔」がでているし、衛星写真に切り替えてもしっかり写っている。光の具合によっては送電線すら写っているところもある。「初代谷村線」のような小さい鉄塔はさすがに無理だけど。「Googleマップは恐ろしい」とは以前この日々雑感でも書いたが、送電路線探しでも使えそうなのがわかった。

Dscn8949 さてこの消えた送電線、実踏してみたらそこにある鉄塔(図1のカメラアイコンの場所。写真がその鉄塔、「八上野原1号」って黄色いプレートがついてた)で電線は地中へと消えていた。ここからはわからない。いったいどこへ行くのやら。鉄道を走らせるインフラとしての高圧送電線。まだまだこだわってみたい。

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2007年4月27日 (金)

高圧送電線の路線名は?

高圧送電線の路線名は、
いったいどうやって着いていくのだろう?

前記事「捨てられた鉄塔」の中で、僕はこう書いている。
『図1にも見える現在もある送電路線だが、これはJR東日本の送電路線「八王子大月線」。鉄塔には敷設年月が「昭和5年7月」と記されている』と。そしてこの送電路線を『電化に向けてのインフラとして、まず最初に敷設された送電路線なのかな?』としている。だが、国土地理院2万5千分の1地形図「八王子」図幅には、昭和29年資料修正のもの以前に、この位置に送電線は描かれていない。鉄塔のプレートには送電路線敷設年として「昭和5年7月」とはあっても、昭和20年代半ば以前にはこの送電線自体は地形図上はないのよ。ちゅーことは中央線の浅川-甲府間電化時に、他の場所を通っていた送電路線が昭和20年代にこちらが本線化し、送電線名がここにやってきたってことなのかな。

電気機関車・電車を走らせるには、一定の距離で給電することは不可欠。では電化開始時はいったいどこで給電していたんだろう? なにかそれを物語る史料ってあるのかなぁ? 現在僕がこの目で見て知っているのは、八王子駅すぐ東の中央線・横浜線の合流点にある変電所と小仏トンネル高尾側の変電所。小仏トンネル側の変電所の方は、大垂水峠の1.5キロほど南東でこの八王子大月線から分岐して北へ進み、高尾山の西側、一丁平附近を通って変電所へ行く(下の写真)。
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これの送電線鉄塔には「昭和39年4月」の敷設年月が着いている。いったい昭和5年に電化に向けて最初に敷設された「八王子大月線」はどこなんだろう?

用途や名前は変われども、送電路線が継承されるのかなって思うこと、地図を見て、実踏してると感じる。「捨てられた鉄塔」の「初代谷村線」。めじろ台までの送電線路は所々に鉄塔だけを残して消滅しているが、めじろ台から先は「小比企線」などになって使われているみたい。また昭和初期にはなくなっている駒橋から早稲田への遠距離送電線は「八王子線」となって同じような位置で浅川を渡っている。送電線を敷設するには架空線部分と鉄塔の建つ地面、両方の権利問題があるらしい。既得権益はやはり継承していくということなのだろうか。

興味持ってものを見ると、疑問ははてしなく広がる。
つくづく「送電鉄塔見聞録」の考察はすごい。
いったいどういう史資料で、考察してるんだろう。

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2007年4月23日 (月)

捨てられた鉄塔

電極観測鉄塔隊(笑)歴史地理担当、
隊員のサカタです(^^)。

いくつか調べなおして、
中盤以降を少々書き直しました(2007/04/25)


さて、2005年1月24日、僕はJR横浜線相原駅から城山湖(人造の発電用ダム)を通って、町田市最高点の草戸山を経て尾根づたいに京王線高尾山口駅まで歩いた。
その時見つけたのがこの矩形鉄塔(写真1)。
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写真1

こぢんまりしていて送電線もついていない。その時はなにやらサッパリ判らない。林業用のロープウェイ支柱鉄塔なのか? 送電線鉄塔なのか? まずは写真を撮っておいた。

この鉄塔や送電線とは無関係ではあるのだが、最近になって僕は、『水力電気事業実況』(1908年、東京電燈株式会社〈現在の東京電力の前身の一つ〉刊)という写真集を見る機会を得た。明治末期、山梨県猿橋と大月の間にある駒橋水力発電所から中央線沿いを通り、小仏峠を越えて早稲田に向けて行われた、6万6千ボルト遠距離高圧送電。それを記念する写真集だ。そこには中央線小仏トンネルの相模湖側出口付近を通る送電線の写真があった。上にのせた写真のように、明治時代の鉄塔はなくても、山間部ならその「基台」だけでも残っていないかと思い小仏峠付近を探したが、やはり見つけることは不可能だった。でも、この駒橋からの送電線路を、国土地理院関東地方測量部で明治~平成の地形図を閲覧して調査中に、別の収穫があった。

写真1の鉄塔が何かわかったのよ(^_^)。

昭和初期の2万5千分の1地形図「与瀬」「八王子」図幅上で、この鉄塔のあたりを通るよう描かれていた送電線。それは昭和29年資料修正・昭和30年5月30日発行の2万5千分の1地形図「八王子」までは、図1の青線のような送電線路で描かれており(赤線は僕の歩いたルート)、北東方面では、八王子のめじろ台に現在通っている高圧送電線「小比企線」と同じような経路をたどっている。その後、この送電線は消え、それとほぼ同時に、少し南に同じような経路を通って別の送電線が出現し(この図1に描いてある送電線)、現在に至っている。この捨てられた鉄塔は、まさにその送電線路のものだったのね。

Photo





図1

で、もう一度位置を確かめるために、2007年4月23日(月)、再度この尾根を訪ねてみた。その時撮った写真がこれ(写真2)。位置は図1の左側のカメラマーク。ところが今日、「鉄塔を探すぞ!」って目で探すと、もう一個見つけちゃいました(図1の右側のカメラマーク、写真3)。嬉しかったっす。見ていたのかもしれないけど「それが何か見えてなかった」んだよね。
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写真2(左)、写真3(右)


いったいこれは、なんて名前の送電線だったのだろう?

最近、鉄塔に興味を持ち、ネット上で検索してWEBをいろいろみているが、「送電鉄塔見聞録」というWEBでこんな写真を見つけた(ページ中の上から2・3段目の写真をご覧下さい)。まさにこのタイプだ。さらに「送電 谷村線」でgoogle検索すると、この鉄塔に関する情報がかなりヒットする。これは「初代谷村線」鉄塔でまず間違いないだろう。他にもこのタイプの鉄塔がこの地点の東西にかなり残っている様子だ。

ところでもうひとつ、図1にも見える現在もある送電路線だが、これはJR東日本の送電路線「八王子-大月線」。鉄塔には敷設年月が「昭和5年7月」と記されている(写真4)。

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写真4


この「昭和5年7月」、実に興味深い。中央線が甲府まで電化開業するのが昭和6年4月1日、その電化に向けてのインフラとして、まず最初に敷設された送電路線なのかな?

ほぼ50年前に廃止された鉄塔に、僕は出会えてしまったようだ。これから東西に、またこの鉄塔を探してみたいと思う。

(2007/04/25改稿) 

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2007年4月22日 (日)

このバス停、なんじゃこりゃ(笑)

Photo_4 土曜日に千葉市内で見つけたバス停。見つけるなり大笑いしてしまった。このバス停の前のマンションがこういう名前らしい。




ジョージ・ウィンストンやら
マイケル・ヘッジスが好きな人が
住んでたら笑ってしまう。

知っててつけたのかなぁ?(^^)
「千葉 ウインダムヒル」でgoogleで検索して出てきたこのマンションのホームページを見ると、英語表記のスペルを微妙に変えてるのが、ちょっとヤラシイ。

たしか本家は「windham hill」っす。

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義従兄弟同士の珍道中

昨日21日は、マイミクさん、というよりカミさんの従兄(僕からすれば義従兄)のウミユスリカさんと、彼の郷里であるJR総武線船橋駅から新検見川駅までを散歩してきた。

とにかく「濃いいいぃぃぃ」散歩だった。

Image001_1 直線距離なら9.6㎞ってなもん(カシミール3Dで計測)。ところが歩き終えて、GPS見てびっくり、「19.8㎞」なんて表示が出てやんの(笑)。千葉街道の旧道を通ったのもあるが、お互いが歩きながら見つけたものに引っ張られ、寄り道&道草ばっかり食ってたのだ(実は「本当に道草を食べ」もした・笑)。
ほぼ10時にスタートして、新検見川駅に到着したのは18時(^^)。その間ほとんど、歩いてる・観察してる・写真撮ってる・景観について「あーだこーだ」楽しく議論してる・解説してもらってる、だった。お昼ごはんは、途中の豆腐屋で買った生豆乳とお米屋さん自体が売ってる鮭と梅干しのオニギリ2個。それも歩きながら食った。でも、メチャクチャエキサイティングで楽しかった(具体的に歩いたコースは上の地図をご参照下さい)。

だいいち船橋の街中を出るまでに1時間かかった(^^)。

船橋は、江戸からの道が成田街道・千葉街道とわかれていく、交通の結節点でもあり、東京湾水運や漁業でも栄えた街。だからお寺や神社にも面白いものがあったり、古い建て方の商家や明治・大正期の煉瓦塀なども、よく見るとあちこちに残ってるのね。その一つ一つに僕らは引っかかってしまう。さすがウミユスリカさんは、明治10年代のフランス式2万分の1地形図とゼンリン住宅地図を用意してきた。僕も『遊歴雑記 初編1』(平凡社東洋文庫)を持ち込んでたから、さらに想像が広がってしまう。じぇんじぇん前に進まない。

ウミユスリカさんは生物の専門家だ。街中のどんな植物や昆虫の名前を尋ねても、たちどころに答えが返ってくる。そして歴史・地理にもやたら造詣が深い。まるで百科事典と一緒に歩いてるようだ。僕の5倍は、目に見えるものから情報が押し寄せていることだろう。「あれがノゲシ。これはハコベラ、カタバミ、ユズリハ…」。地べた這いつくばって二人で見つめたアリ、これだけでも5種類は種名が出てきた。ファーブルさんと歩いているようだ。

いちばん笑えたのは、下総台地海食崖の関東ローム層露頭でのこと。そこに生えていたカラスノエンドウについたアブラムシとアブやテントウムシとの関係を解説してもらってるとき。崖にクモの巣網の張った巣穴を見つけた。
ウミユスリカさん「これはシモフリヤチグモの巣だね。この網に虫がかかったら、出てきて捕まえるんだよね」。
僕「手でつつけば出てくるかな?」(殆どガキの質問f^_^;;;)
ウミユスリカさん「そんなことしたらクモは逆に逃げちゃうよ。音叉でも持ってきて、この巣を震動させてみれば別だけど…」
僕「オレ、音叉持ってるよ(^^)」
これにはウミユスリカさんがヒザカックンで笑った(へへへ、ちょっとはビックリさせられたぞ。あとはこっちが博覧強記ぶりにビックリしっぱなし)。いつどこでもギターを弾けるように、「ピックとカポと音叉」は筆入れに入れて持ち歩いているのだ。さて音叉(440Hz)を震動させて巣に触れると、ウミユスリカさんの言うとおりクモが飛び出してきました。面白かった。昆虫の羽根の羽ばたきによる震動かなにかと勘違いするのかなぁ。

Photo 花見川の川縁で見つけたハマダイコン(ダイコンの原種のひとつらしい)の群落。これは海岸砂丘でよくみられる植物だとのこと。この辺りの景色は下総台地とその海食崖、台地に入り込んだ谷津、河川の流入と東京湾の潮の関係で形成された砂丘でほぼ構成されている。その群落の地面を見ると確かに砂。「まだこんな風にこういうところの原植生が残っていたりするんだね」とウミユスリカさんは言った。
Photo_1 そしてエンドウ豆みたいな実(左の写真)をもいで口に入れ、もう一つとって僕にくれた。食べてみるとホントにダイコンの味がする。「若い実は、こんな風にダイコンの甘みと辛みがあって美味しいんだよ。もう少し経つとコルク状になって美味しくなくなっちゃうけど。僕は歩いてて見つけたら食べてる。唾液がでて喉の渇きもとれるしね。」
散歩中、僕もたくさん質問を浴びせた(フィールドワークの鉄則「案内者には聞き倒す!」)。で、植物を覚える上で大切なこととしてこんなアドバイスもしてくれた。「見て形を覚えるだけじゃなくて、葉や花・実などを食べて、嗅いでみるともっとよく理解できるよ」って。この散歩でも葉っぱをもんで随分においを嗅いだ。

Photo_2 ヘビ(アオダイショウ)にも出会えたし、ものすごい濃いぃ散歩でした。また絶対、一緒に歩きたいです。でもウミユスリカさんは、僕独り占めじゃマジもったいない人。誰か一緒にいかない?
ハードだけど楽しい散歩になること請け合いです!

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2007年4月20日 (金)

「Two for the road」、採譜できたぁ!!

070420_120201 Pat Methenyの弾いてる主旋律(テーマ)&アドリブだけだけど。それだけは5分16秒の一曲通してぜぇ~んぶ採譜できたぞぉ!! 2月上旬に取りかかって2ヶ月半強はかかったけど、できたっ!! すっげー嬉しいっ!


ミュージックアナライザーとPower TAB Editorの威力は素晴らしい。これがなければ出来なかった。しかもどちらもフリーソフトだ。
速いパッセージなどは、速度を3分の1まで落として、10回以上聴かなきゃ音が採れないこともしばしば。1拍・32分音符8つ分のフレーズなどカタマリでは採れないから、その最初の2音だけを3分の1のスピードで10回以上聴いてまず口ずさめるようにして、そこでギターで弾いて音探すなんてこともした。だから朝30分やって1拍分しか採譜が進まないこともしばしばだった。でもそうすれば採れるんだよ。いいソフトだよこれ。

やってみて思ったこと。

「音楽雑誌はもういらない」
「ギターマガジン」やら「Jazz Life」やら、譜面ほしさに随分買ったけど、あそこに書いてあるのは「文字と譜面」。譜面からすぐに音を感じられない自分にとっては、これは「音楽そのものではなかった」のよ。耳コピーだと自分がホントに愛する「音楽やプレイそのもの」から、いろいろ感じて考えられる。愛してない音楽には、採譜してて飽きちゃうから数ヶ月向かい合うことができないしね。一度採っておけば、あとで練習しても体がフレーズをまず覚えてくれてるから、フィンガリングの検討も楽だし。音楽雑誌はほんとにこれから立ち読み(爆)でいいや、って感じだ。

「譜面には全て書き記せない」
一応譜面にはしたが、「譜面ってのは音の動きを"最大公約数"的に記したメモ」って感じた。パット自身はモタッたり、ツッコんだりほーーーんと自由に歌ってる。その歌心までを譜面にはできないな(市販の譜面もそうだろうな)、と思った。弾き手に再現してもらえて、はじめて多くの人が感動できるのが音楽。弾いてもらって音として生まれる段階で、すでに作曲家と弾き手のコラボレーションなんだよね。作曲家にとっては「こんな風に弾きやがって。オレの頭の中の音とチガウぞっ。バカヤロー」ってストレスの素でもあるだろうけど。だからこそ、その譜面の先・音楽の先の「歌心」を、弾き手なりが感じて弾かなきゃ意味ない、とも思った。

「パットにも手癖がある」
コード感からアウトした感じがするからてっきり相当難しい指使いかと思いきや、フィンガリングはあっさりしてるってのが、よくあった。採譜も進んでくると、「あ、こんな音の動きだとこんな指使いかな?」で探すとドンピシャってこともあったし。瞬時に音に反応するアドリブなだけに、やはり簡単な動きになっていくんだな。


これで採譜が終わったわけじゃなーい(^^)。今度はCharlie Hadenの弾くベースラインからコード進行を推定&採る。でもってどんなコードサウンドを背景に、パットがどういう音を反射的に選んで弾いてるのか感じたい&考えたいと思ってる。

それが終わったら今度は何を採譜しようかな(^^)。
それ考えるのもまた楽し、だぁ!!

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2007年4月15日 (日)

選挙、音の暴力

国立市長選がスタートした。ハッキリ言ってうるさくて仕方がない。選挙カーが2台ぐらい鉢合わせしたら最低だ。お互いが負けるもんかとがなりたて、もう狙撃したくなるほどハラが立ってくる。

職場は博物館である。これではお客様が展示品と心静かに対峙する環境ではない。音の暴力だ。僕はこの市に選挙権はないが、こんなデリカシーのないバカに絶対投票するもんか、と思ってしまう。どうせ市民共は政治に興味ないんだから、でかい音で愚民共に名前だけ覚えてもらって、投票所で反射的に思い出してもらえるよう、印象づけるしかないとでも思ってるのかね。事実、現政権への文句を言うだけで、具体的な資料を基にした具体案などまったくない。

こういう演説はどっか閉鎖空間でやってくれないか。政策に関してはWEBなり、広報なりでまとめて読めるようにしてくれないかな。

全く集中できない。
腹が立ってしょうがない。

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2007年4月14日 (土)

夢に出た父

父が亡くなってからしっかり覚えているので3度、父は僕の夢に出ている。母の夢には出ないらしい。

一度目は亡くなってすぐの次の日の朝方。僕は大井の実家で父の亡骸の番をして、一人で泊まった。同室で寝たら凍えてしまうので(僕にあわせて部屋を暖めたら、今度は父の亡骸が腐敗してしまう)、僕は二階に寝て、父は一階。そしたら目覚めの直前にふと目の前にいた。穏やかな顔でただ立っていた。「ああ、来たな」と思った。

二度目は1ヶ月ぐらい前だったかな。
自分が何故死んだかを説明してた。

三度目は12日の朝だった。家の景色は何故か僕が大学生まで住んでいた海老名の家。部屋に入ると父が目を覚ましたまま寝ている。びっくりして「あれ、死んだんじゃないの?」と僕が聞くと、枕元の押入の奥から筆で書いたような古~い家の設計図を出して、やおら説明を始めた。そして最後はカーテンつかんで苦しみだし、「大丈夫!?」って僕が言おうとしたところで目を覚ました。

なんだったんだ。

父の納骨は7日に終えた。そろそろ父の住んでいた家をどうするか、叔父・叔母(父の兄弟)との話し合いが始まる。その意識がこういう形になって右脳に像を結んだかな。基本的には僕は「カミさん・息子二人をいかに守るか」を基準に判断を下すつもり。カミさんと出会えた縁のおかげで生まれた息子達は、まさに「生きている先祖の証拠」だもん。大切にしたい。

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2007年4月13日 (金)

高圧線の疑問

高圧線鉄塔を追っかけていて、疑問がいくつか生まれてる。

①送電新路線を敷設するとき、あの太い電線、どうやって付けていくんだろう?

②赤白で色分けされた鉄塔と、鉄色そのものにみえるシルバーの鉄塔、何本間隔で赤白が入るといった、法則性があるんだろうか

③耐張型の碍子とV字碍子、これも何本かに一本の割合で耐張型碍子が入り、あとはV字が多い。これも意味があるんだろうか?

やはりいちばんの疑問は①! ヘリコプターでも使ってやるのだろうか? 都市部を通っている送電路線は下が民家だし、山岳地帯だって、深い谷もあるだろう、地表面をずるずる引っ張ることはできそうにないと思うんだけど。。。。春日三球・照代さんの「地下鉄漫才」ではないが、いったいどうやって敷いたんだろう??? 疑問だ。

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2007年4月12日 (木)

やっぱり弱い「子別れ」もの

今朝、電車の中で「葛の葉」のお話の本を読んだ。
中西和久氏一人芝居「しのだづま」の脚本。

子別れのシーン("Tonの日々雑感バックナンバー"2004年12月24日参照)では、やはりウルウル来た。また電車の中で泣いて大恥かくとこだった(笑)。
水曜の晩は、説経節の会での大正末~昭和初期の説経台本解読会で、「佐倉宗吾郎 子別れの段」を読んだ。非道を働くお役人のおかげで困窮してしまった村を救うため、公儀直訴に及ぶ(義民伝ってやつね)宗吾郎が家を出てゆくシーン。袖や裾に取りすがる妻子。もう「い・か・に・も」なんだけど、うっすら涙ぐんでしまう。

なんて単純なんだ、オレ。
でも、昔話ってシンプルですっと入ってくる。
いいなぁ。

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2007年4月10日 (火)

育児書

ウチのカミさん、長男が赤ちゃんの時、ほっとんど育児書を読まなかった。「余計に不安をあおられてイヤだ」と言って。では、何をよすがに子育てしたかというと、自分の母親や、長男を出産した都立築地産院(都立墨東病院に統合されてもうない)の助産師さん、保育園の先生方や友人たちの先輩お母さんのアドバイス。なにより心強かったのは、保育園付きの看護師さんだった(J川先生、お元気だろうか?)。僕も保育園で随~分叱られたけど、「今そこにある」長男の状態から、どうすべきかのアドバイスをくれる。とても有り難かった。

本に書いてあることは「絶対」ではない「一例」。よくある「天才子育て論」も、結構特殊な意見も多いと僕は思ってる。自分は自分、著者は著者。「自分はどうなのか」をちゃんと把握してないと、生活を壊すだけ、疲れるだけだと思う。子育ては長丁場だ。結局自分の本当に信じているものだけが自然に伝わる。ウソついたって演じきれない。ハダカのままでぶつかり合うのがいちばんだと思ってる。まずぶつかる。自分が間違っていたらたとえ子供相手だろうがちゃんと頭を下げて謝る。ウチの基本はそれだけ。

「自分は何なのか」を、「自分の浅はかさ、いやらしさ、身勝手さ」を、身を以て考えさせてくれる意味でも、「子育て」はありがたい。しゅごさんがいってた言葉だが「育児は"育自"」、まさにそう思う。

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2007年4月 3日 (火)

駅の下の駅

一太郎さんほどではないが、僕にも鉄分がある(笑)。

JR八王子駅の2番線ホーム、高尾駅側。
ホームの下に、綺麗なイギリス積み煉瓦造りのホームがある。
Dscn8463_edited



その上にコンクリートでかさ上げ、後にさらにかさ上げして現在のホームがある。いったいいつ頃のホームなんだろう。googleで「八王子駅 2番線 レンガ」と検索しても、それらしい情報にヒットはしない。明治22年に、甲武鉄道として新宿から八王子まで開通した際の駅はここではなく、京王八王子駅に近い都立繊維工業試験場の場所だった。当時のホーム構造材レンガの一部が敷地内に残っているらしい(おはずかしながらまだこの目で見たことはない)。それ以後小仏峠以西まで開通してからの駅だろうけど。。。

調べてみたら面白そうだな。

2日の長距離散歩は相模湖駅から小仏峠を越えて、摺差ってところまで10キロちょいほど歩いたんだけど、中央線小仏トンネルの東側の口でも面白い構造物を見つけた。中央線電化以前の昭和4年に作られた、蒸気機関車用の排煙設備跡とのこと。でも昭和6年には中央線は甲府まで電化。わずか2年しか使われなかったものだそうだ(下の写真。雨の中片手での撮影だったのでちょっとピンぼけ)。
Dscn8520




鉄塔や電線を追いかけ、鉄道への給電設備なども歩きながら眺めてみて思う。鉄道の電化っていうのは、発電-送電-給電と、かなり広い地域を巻き込んだインフラが必要だってこと。地域全体の変化を伴う現象なんだな、と思う。

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2007年4月 2日 (月)

千の風になって

はじめてラジオでじっくり聞いた。
でもこの詞だと、声楽系テナーで朗々と歌い上げるより、
ささやくように、話しかけるように歌う歌い方の方が、
しみじみと伝わる気が、僕にはする。

声楽系の歌い方だと、僕にはアツくてクドすぎ。

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2007年4月 1日 (日)

語学と音楽は"気合い"っしょ

スゲェ女性に会った。
「地球にハマラないわ、こいつ」ってぐらい、スケールのでかい女性。
話していて吹き飛ばされそう、いや、吹き飛ばされて帰ってきた。
その女性の言葉でいい言葉があった。

「語学と音楽は"気合い"っしょ」

激しく合点。これがないと舞台には立てない。
現在、そういう境地に至り切れてない自分も痛感。

耕してやる、自分を。

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