« 捨てられた鉄塔 | トップページ | 送電路線探しとGoogleマップ »

2007年4月27日 (金)

高圧送電線の路線名は?

高圧送電線の路線名は、
いったいどうやって着いていくのだろう?

前記事「捨てられた鉄塔」の中で、僕はこう書いている。
『図1にも見える現在もある送電路線だが、これはJR東日本の送電路線「八王子大月線」。鉄塔には敷設年月が「昭和5年7月」と記されている』と。そしてこの送電路線を『電化に向けてのインフラとして、まず最初に敷設された送電路線なのかな?』としている。だが、国土地理院2万5千分の1地形図「八王子」図幅には、昭和29年資料修正のもの以前に、この位置に送電線は描かれていない。鉄塔のプレートには送電路線敷設年として「昭和5年7月」とはあっても、昭和20年代半ば以前にはこの送電線自体は地形図上はないのよ。ちゅーことは中央線の浅川-甲府間電化時に、他の場所を通っていた送電路線が昭和20年代にこちらが本線化し、送電線名がここにやってきたってことなのかな。

電気機関車・電車を走らせるには、一定の距離で給電することは不可欠。では電化開始時はいったいどこで給電していたんだろう? なにかそれを物語る史料ってあるのかなぁ? 現在僕がこの目で見て知っているのは、八王子駅すぐ東の中央線・横浜線の合流点にある変電所と小仏トンネル高尾側の変電所。小仏トンネル側の変電所の方は、大垂水峠の1.5キロほど南東でこの八王子大月線から分岐して北へ進み、高尾山の西側、一丁平附近を通って変電所へ行く(下の写真)。
Dscn8660 Dscn8659_edited









これの送電線鉄塔には「昭和39年4月」の敷設年月が着いている。いったい昭和5年に電化に向けて最初に敷設された「八王子大月線」はどこなんだろう?

用途や名前は変われども、送電路線が継承されるのかなって思うこと、地図を見て、実踏してると感じる。「捨てられた鉄塔」の「初代谷村線」。めじろ台までの送電線路は所々に鉄塔だけを残して消滅しているが、めじろ台から先は「小比企線」などになって使われているみたい。また昭和初期にはなくなっている駒橋から早稲田への遠距離送電線は「八王子線」となって同じような位置で浅川を渡っている。送電線を敷設するには架空線部分と鉄塔の建つ地面、両方の権利問題があるらしい。既得権益はやはり継承していくということなのだろうか。

興味持ってものを見ると、疑問ははてしなく広がる。
つくづく「送電鉄塔見聞録」の考察はすごい。
いったいどういう史資料で、考察してるんだろう。

|

« 捨てられた鉄塔 | トップページ | 送電路線探しとGoogleマップ »

コメント

サカタ隊員、だんだん考察が濃くなってきたな!
これからも研究に励んでくれいっ!

隊長の椅子はいつでも譲るぞ。(^_^;)

投稿: ジロー | 2007年4月28日 (土) 18時41分

をー! 励んでるぜ。
自分の目で見るからこそ、疑問は果てしなく広がる。
頭の中でいろいろ考えられるほど、頭のいい人間じゃないので(^^)。

隊長はジローさんじゃなきゃ困る。
僕は「鉄塔『を』研究する」でなく
「鉄塔『で』研究する」要素が強いもん。

隊長として"耐張"してください(笑)。

投稿: さかた | 2007年4月28日 (土) 20時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高圧送電線の路線名は?:

« 捨てられた鉄塔 | トップページ | 送電路線探しとGoogleマップ »