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2007年6月30日 (土)

4日ぶりの朝練

実はこの4日ほど、朝練出来なかった。仕事で心配事があって。
でも仕事に光明が見えてきたので、今朝は久々に朝練した。練習といってもフィジカルなギタープレイトレーニングではなく、いまはひたすら耳コピー&採譜(Power TAB Editor)。

朝練は精神衛生上はあまりよろしくない。部屋の中でやることだからどうしても心が内へ内へと向かっちまう。心配事がある時にはつらい。自転車乗ってぱーっと出てしまった方が気持ちはいい。でも今朝は久々にじっくり音楽に対峙したくなった。

朝練はどんな占いよりも自分の状態がわかる。

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2007年6月25日 (月)

いちばん好きなギタリストは?

曽田正人さんという好きな漫画家さんがいる。
「シャカリキ」「め組の大吾」「昴」「cappeta」などで知られる人。何故か取り上げるテーマが僕のツボに全部ハマって(自転車、消防官、バレエ…)、怖くなることが多い。完璧に年齢はタメ。押尾コータローさんといい、自分の愛したものにかけたパワーの大きさ、その成功には全くかないはしないが、何となく、同世代感がある。

曽田さんがある新人漫画コンクールに寄せた、投稿者に向けたエール、今まで見た漫画家さんのエールの中で、最高に痛快で面白かった。

「別にあなたが漫画を描かなくたって
  誰も困りはしません。描きたければ描いてください」

爆笑した。その通りなんだもの。情熱がなくなったんならやめちまえばいい。世の中、ワクワク出来ることはそれだけじゃないしね。自分で身体の中から喜びを生み出せない、工夫して自分なりのやり方見つけられない奴に、確かにプロになる資格ない。消えてったほうが、迷惑する人が少なくてすむ(^^)。

さだまさしさんが山崎まさよしさんとの対談の中(雑誌『BREaTH』23号、2002年)でいってた言葉もクールで痛快だった。

「俺なんかいなくても世の中は動いてゆく。スペアはいくらでもある。確かにさだまさしが忽然と消え失せれば、僕の熱心なお客さんはしばらくは途方に暮れるだろうけど(必ずスペアは見つけるもんだよ)。『私は貴方の歌しか聴きません』っていう人もいるけど、それは違うよね。いろいろ聴いて欲しい」

人はそんなに弱いもんじゃない。
これはさびしいことではなくてとても素敵なことだと思う。

だからこそ、いい仕事、いい趣味をやるためにも自分を大切にしたいね。たまたま自分のしたことに感動してくれるにせよ、まずそれが先だと思う。自分がワクワクしてないものが、人に伝わるわけがない。
誰かのためにやるんじゃない。全部自分のため。
僕が世界でいちばん大好きなギタリストは、他ならぬ僕自身だ。これだけヘタクソでズボラな奴でも、いちばんあきらめて欲しくないんだから。

さ、寝よっと(^^)。

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自転車、タイヤ細くした

僕の自転車(MTB風の方)、700×38Cから28Cタイヤにした。リムを替えずとも28Cタイヤまでなら着くよ、ってアドバイス受けて。こいつでオフロード走るつもりもないし。

走り、軽くなりました(^_^)v。同じ負荷でいままでより一枚重めのギアを回す気になります。前後輪チューブも共に替えて6900円したけど、それでもう一台新車買った気分です。週末の峠攻め(ジローさんに比べたらカワイイもんだけど)が楽しみっす(*^_^*)。

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2007年6月24日 (日)

音楽として自然な流れになるか

最近朝練でピアノの歌伴奏(シンドウさんの曲ね)を、ギターでやるならどうやるか、検討しながらコピー&採譜してる。そうすると痛感するのは、自分は気を抜くとすぐ「フォーク上がりのギター好き」になっちまうってこと。「音楽の横の滑らかな流れを無視しがち」なのね。単に手慣れたコードフォームのチェンジのみで伴奏を作ってしまい、主旋律に対しては甚だゴツゴツして汚いサウンドを作りがち。これは音楽じゃない。「フォーク伴奏者的にパッと聞き」で採ったコード進行をつぶさに聴き直してみると、コードはGでもBのonコードになっていたり、トップノートや内声を重ね方変えて(これをヴォイシングっていうのかな)、いろいろな響きをつくっていることがわかる。コードネームの変化なんてのは音楽の変化の曲がり角を単に示してあるだけ、その間に自然な流れを作らないと、音楽にはならない。シンドウさんにはコードチェンジという認識はない。あるのは音楽的情景にあった滑らかなサウンドチェンジ。これ、すごいよ~。だからこれ無視して伴奏したりするとサウンドを汚し、曲の世界をブッ壊すだけになる。怖いぜ~。本人はよく謙遜するけど、だからこそシンドウさんは怖い(爆)、じゃなかった(笑)、シンドウさんと音楽することは怖いし、おおざっぱな僕にはすっげぇ楽しい勉強になる。コードをたくさん知って繋げることより、もっと大切なことを自然にやってやがる(^^)からね。

要は「音楽として自然な流れになるか、そこで伝えたい情景にとって必要なサウンドになっているか」が大切なんだよな。横の滑らかな流れを作ってあげないと美しくない。単にコードフォームチェンジでおおざっぱにすましてちゃダメっす。>自分 尊敬するギタリスト須古典明さんのレベルだと、もっと別の意味で他楽器から盗むものがあるんだろうけど、僕のレベルでもこの程度はわかる(^^)。やっぱり耳コピーは素晴らしい。本だけじゃ、ダメだわ(笑)。

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2007年6月23日 (土)

登坂ありのショートロードコース(^^)

070616_065501 カミさんに「ちょっと痩せないと三大成人疾患一直線」と言われ(^_^;;;;)、自転車熱を再燃「させて」いる(笑)。で、ウチの近くで勾配20%(左写真の標識参照)のいい坂のあるコース、作った(^^)。この図1のコースがそう。家からちょっと離れたところでGPSをスタート&ストップさせてるけど、これで約21.5キロ。コースの勾配断面図を作るとこんなカンジ(図2)。


Photo_1 Photo_10



図1(左)、図2(右)

相模川にかかる高田橋の所を起点に輪になってるけど、ここを反時計回りすると、図2の断面図になる。標高70mちょいから220mまで2kmほどの道程で一気に登らされる(ここに勾配20%がある)。ダラダラ登りたい時は時計回りに変更すればいい。気分で選ぼうと思う。自宅付近から高田橋までの往復は流す。気合いを入れるのはキツイ登りのある15分だけ。ほかは車通りの多い公道だから下手に気合い入れると危ないしね。今日の総タイムは1時間19分18秒、移動平均時速は17.5Km/hってなところ。総タイム計るのは今日だけにする。流してどれほど時間かかるかわかったし。ただあの「短いけど激坂」の部分だけは燃えたいから計ろうかな。安物でいいからストップウォッチ買おうかな。

週一ぐらいで走ろうっ。(^^)
ジローさんほど体力無いから、この程度で十分です。

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2007年6月22日 (金)

村治奏一コンサート

橋本図書館寄ったら、ホールのコンサートに当日券があったので急遽聞いてみることにした。

CDではイマイチだったんだけど、生はよかった。なんだかんだ言って金のとれる芸はすげぇ。音のすみずみまでアンコが詰まってる。やはりアマチュアはアマチュアだ。所詮僕のギターはお客様『に』お金払って(笑)、聞いていただく程度のもんだわ(笑)。

プロのいい生、たくさん聞きたくなった。よかった。

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2007年6月21日 (木)

宮本信子さん

ふと買った『週刊文春』、
大好きな阿川佐和子対談が宮本信子さんだった。

読んでて思った。
「眉山」の龍子にはこれ以上ないベストキャストだったって。
かわいらしくて、そして強くて。

惚れました。

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2007年6月20日 (水)

雑感

自分の人生の形すら掴めない
悲しい人生だったとかいうけど
楽しいことだってあったはず
だから皆こうして生きている
ある一色で塗る方が人生を解釈するのは楽だけど
それだけでないのがきっと人生の真実
頭ではわかってる

息子ども見てるとウラヤマシイ
子どもらしくって、理不尽で、ワガママで

亡父の人生が、かなりうらやましい

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2007年6月19日 (火)

「じぶんであるくぅ」「でもね」

今朝、通勤中に3才くらいの男の子を連れたお父さんを見た。保育施設に預けてこれから仕事の雰囲気。抱っこして階段登ってるとその子が「ぼく、じぶんであるくぅ」って。するとお父さん「ごめんね、気持ちわかるけど時間ないんだ。あっちで歩いていいからさ(^^)」って。

やり取り見てて、俺、ちょっとだけ涙ぐんでしまった。同じように長男預けた時のこと、お迎えの時、僕に気付いて保育園の廊下の向こうから走ってくる長男の姿思い出しちまって。

長男にも淋しさと苦労かけてるな。精一杯やってるつもりだが、こちらの恣意であいつを振り回してるところも、ないとはいえないよな。

週の初日だってのに、心が疲れてんのかな。ちょっと弱気だ。

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安価なチャリの可能性

最近自転車が脚光を浴びている。

国道を走っていると、タイヤの細~~い自転車(レーサーってやつ)をよく見る。フレームやパーツを見ると、"自転車石器人"な僕ですら「20万円以上はするぞ、これ」と思うような自転車を、あたりまえに見るようになった。ジャージやシューズもばっちりキメて(^^)。自転車が「『着る』&『歌舞く』楽しみの一つ」になって、ポピュラーになってきたこと、細く長くであれ30年以上自転車を愛し続けて来ただけに嬉しくもある。

さびしいこともある。オタクの趣味だった20年前は、オタク同士の連帯感があるから、レース派・ツーリング派、様々あれど、すれ違うと会釈しあった。キツい峠道の登りなんかでこれがあると、とっても元気をもらった。いまはポピュラーになった分、それはきわめて少ない。ちょっとサビしい。でもジローさんのブログみてると、レース仲間同士には競い合いこそすれ、健闘を称え合う意識があるのはいいな。

こうしてポピュラーになってくると、機材に関するウンチクも浸透し、ほんとにいい自転車が出回っている。すると、細く長くずっと乗ってきた僕は反抗したくなってくる。
いいパーツ・フレームで構成された、いい自転車を使えば、誰でも100キロ程度は一日かければ走れて当たり前なのだ。当たり前な機材で当たり前のことやったって面白くない。1万円前後で売ってるママチャリクラスでどこまで出来るかの方が、面白い気がする。
レースするんじゃないんだもん。「あれがないとダメ」で考えるんじゃなく、「道具の使い方次第でこんなことだって出来るぜ」って方向でいきたい。自転車バカはキツい坂で止まっちゃって足つきをするのは「坂への敗北」になるからとても嫌うが、そんなくだらないプライドは捨てちゃう(^^)。乗って上れない坂は押せばいい(笑)。長く乗ってお尻が痛くなるなら休憩を増やせばいい。スピードが出ないならその自転車にあったスピードで走ればいい。どんな自転車でも歩くより速いんだから。僕は「歩く人」だから、身体でそれがわかる。

やっぱりオタクだな、僕は。

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2007年6月18日 (月)

…にして

ほんのついさっきだが、タンスとタンスの4mmほどの隙間に、次男が長男が学校で使う物差しを落とし込んでしまった。途方に暮れるカミさんと長男。そこにすかさず、600mmの鋼尺をもって颯爽と現れた僕。あっという間に、物差しを取り出し、問題解決。カミさんはのたまった。

「Tonにしてよかった!」

・・・・・・・。。。
「Ton『にして』」、、、ねぇ。

するってーと
君には「他に選択肢があった」ってことか(T_T)。
僕には選択肢はなかったってーのに(^_^;;;;。

まー選ばれたんだからいいや。

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『のだめカンタービレ』18巻

いい!! 俺は泣いた! 胸も痛くなった。

女性向けの漫画って、心の機微の表現にリアリティがありすぎてキツい時あるけど、音楽の話だから読める。同じ二ノ宮知子作品でも『GREEN』のように日常生活が舞台になると、「漫画でまで見たくない」になっちゃう。

二ノ宮知子さん、スゴいアーティストだ。

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2007年6月17日 (日)

性と音楽と生命力-『眉山』を読んで-

さだまさし・前田祥丈『われても末に』(八曜社、1994年)という対談本がある。この中のさださんは世間的イメージとちょっと違う。素の佐田雅志さんがいる。ご自分の姿もコマーシャル的にいろいろな面からすごくクールに見ておられる。さださんに限らず中島みゆきさんや吉田拓郎さんなどこの辺りの方々は、本読んだりインタビュー聞いてると皆、クールで知的だ。「商品として自分をどう生かすか」をとても冷静に見てる。彼らはファンであるこちらが熱狂し本人と同一視している部分も、私生活とはある部分で切り離し、「芸」としてやっている。でなきゃクオリティを維持できないし、あの芸能界で自分や家族を守れない。これほど生き残ってもこれないだろうと思う。

この本の中でさださんがこんなこといってた。
「10周年記念コンサートのツアー中、兄貴分だったギタリストの福田幾太郎さんを亡くした。ショックでアル中になりかけるぐらい酒飲んだし、ずいぶん泣いて過ごした。でもある時期が経つと、食欲が出て、女を抱きたくなった。勃ったのよ。いつかこの『勃つ』を歌ってみたい。でもいまは生臭くてだめ。もっと枯れなきゃダメだな」みたいなことを。面白くてロマンチックな女の子向けの歌を書く歌手だなんて思ってる人には驚く言葉だと思う。「性の部分をどう下卑ずに本質もつかみながら表現するか」のテーマと向き合ってるんだな、と思った。

そのテーマへの回答の一つが、
小説『眉山』の中にあったと、僕は思ってる。

抑制に抑制を重ねて爆発する阿波踊りの本質を描いた一節(文庫では23頁2行目~10行目)。ここ読んだとき、「これ、セックスじゃん」と思ったもん。音楽的快楽がためてためて爆発する過程は、性的快楽のそれにとてもよく似ていると思う。「よしこの囃子」の女踊りについて書いた一節、「両の足で整然とそれを繰り返し、跳ねながらも決して乱れず暴れない。ここでも不自由との闘いになる。しかしその不自由さによって沸点がさらに高く、熱くなるのだから人の心の働きは面白い。じっと耐えながら踊っていると頭の芯まで真っ白になって、そのくせ身体の奥から感動に似た波が湧きおこってくるのだ」。これもそう。リズムの快楽を語る上でとてもリアルで美しい。だが僕にはすごく性的にも読める。そしてこれ、まさに龍子の人生そのものに。単につらいことを耐えたのではない。生理として身体のどこかでそれが快楽に変わらない限り、決して出来ない。男と女では性的快楽のあり方は違う。それが全てではないが、そういう部分も女性の生命力の強さのバックボーンにはなっているのではないか、と。

僕のような下卑た人間が書くと、とてもイヤラシく読めるかも知れないけど、性とは生命力の一つであると思っている。単に汚いものとして目を背けることは、人のもつ「動物としての生命力」の半分以上を捨てることだ。
『眉山』を読んで、「とうとうさださん、この部分に斬り込んできたんだ」と思った。誰かを傷つけるような下卑た筆致ではない。しっかりと生命力の礼賛になっている。僕が単に愛されたという意味で育ちがいいからそうとれるだけかも知れないけどね。

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2007年6月16日 (土)

映画「眉山」、本音の感想

ロードショー公開がほぼ終わったから本音を書く。
もろネタバレだし、極めて否定的な意見である。映画だけ見て原作を読んでない方には気分が悪いと思う。この下は読まない方がいいです。まだ映画見てない人も同じ。ですから「余計な改行」をして、本文を見えないようにしときます。























映画の「眉山」。僕にとってはこれは駄作だ。大っ嫌いだ。
さだまさしの小説「眉山」とは全く別の作品。
原作はあんな三文芝居ではないっ!
別のタイトルにしてくれ。

宮本信子の演じた龍子、これが原作と全っ然っ違ってる。原作の龍子のスピリットを10倍以上薄め、単なるちょっと気っ風がよくってかわいらしいオバハンにしちまいやがった。yahooの映画レビューに「不倫肯定で道徳観を疑う」ってレビューもあったが、映画のような描き方ならそう思われるのも納得できる。そう思われてしまう脚本に「原作・さだまさし」とつくのもイヤだ。あれで原作を読まないまま、さだまさしの底を計られてしまうのもイヤ。事実、否定的なレビューには原作も読んでしっかり比較した上で書いたものがほとんどなかった。

原作の龍子はあんなつまんない女性じゃないっ! どこまでも筋をびしっと通しつづけるスピリットがあるんだ! 映画の龍子にはひ・ど・く薄いっ。宮本信子がそう変えたのでなく脚本段階で変わってる。龍子が僕にとってこの小説の主役であったので、どうにもがまんができなかった。きっと宮本信子なら、原作のままの龍子だって絶対演じられたはず。もったいない。これまたyahooの映画レビューだが「シナリオ全て原作の方が上です。私が原作者なら上映延期で撮り直しです」って意見あったが、これもまた同感だった。

最後の阿波踊りシーンは、「踊り自体の映像がスゴイ」だけ、芝居のシナリオは全くの茶番。原作はこここそがスゴイのだ。おのれの信念の中で毅然と生きる龍子がしびれるほど崇高。最後まで己の惚れた男に迷惑をかけず、邂逅しながらも昔死ぬほど愛した男に視線一つ送らない(何があっても迷惑はかけない。二人だけで気付いているのだからいいでしょう)。男の方は咲子と龍子に気付き涙を流しているというのに。決して不倫肯定なんかではない。もとより僕の本音としては不倫肯定もクソもないんだが。人が人を「ただ好きになる」のには結婚制度なぞ全っっったく関係ない。とにかく最後まで信念を貫き続ける龍子が、最っ高にカッコよかったのよ。なのになんだよあの映画! 小説にあった伏線をみーーーーーーーーーーーんな種明かしし、単なるお涙頂戴で、龍子と昔愛した男性が離れて見つめ合ってウルウルしちゃってからに。ふざけんじゃねぇ。

原作の龍子、女性から見たらリアリティがないかねぇ??

でも「女って、なよっとしたかわいらしい存在なんかじゃねえ」と俺ぁ思ってるぞ。本気で決心したら男なんか較べものにならねぇほどドライ、図太い、自立してる、そして崇高だ。そういうリアリティが原作の龍子像にはあったのに。女に対してそういう見方持ってるの、俺だけかね。

なんで原作のスピリットを生かして撮れねぇんだよぉ。
はっきり言ってレベルを下げすぎだ。岩波ホール系のもっとしっかりした撮り方するスタイルの方がいい。僕の感覚の浅はかさ、あるならどなたか糺してくださいまし。よろしくお願いいたします。

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2007年6月12日 (火)

聞き手として自分を聞く

ご存じの通りシンドウさんのレコーディングに参加させてもらっている。また、最近出来るだけ譜面を起こすようにしている。Power TAB editorで起こしているが、これは入力した音を自動演奏できる。

楽しいには楽しいが、
どちらもハナハダつらい。自分のヘタレが丸裸になる。
音だけではない、音楽に向かう姿勢、弱さまでが全て。

だが、

自分の音を録ってみる、譜面に書いて再現してみる。
これって自分の音の客観視。聞かされる身になるってこと。
いちばん向かい合わなくてはならないことと、つらいけどいま、向かい合えているとは思う。先日のシンドウさんレコーディングの音源、こうして追い込めた甲斐あって、自分で自分のプレイが好きになれた気がする。このプレイの僕、大好きである。無論、もっと磨くことは出来るけどね。いまの時点としては認めてやりたい。
やっとあるべき練習のあり方までは辿り着けたのだろう。

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2007年6月10日 (日)

見つからないストレス

今度の採譜、天野清継&国府弘子「Cats&Dogs」(アルバム『Heaven and beyond』所収)にしたいと思った……。
で、僕のCDライブラリーをひっくり返す。

が、

何故アルバムがないの???

持ってたんだけどなぁ。誰かに貸したっけ???
もうそれも忘れてる(笑)。いいかげんな奴だ。

amazonの中古だと1000円から買える。また、市立図書館の資料検索かけたら大野図書館に収蔵されてるのを確認。
どっちにしようか。。。

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2007年6月 8日 (金)

諏訪内晶子「詩曲(poeme)」

先日、相模原市立橋本図書館に行ったとき、
美人に弱い(笑)僕がつい借りてしまったCDがこれ。

諏訪内晶子「詩曲(poeme)」

上をクリックして、ジャケットをまず見てくださいまし(^^)。諏訪内さん、きれいっすぅぅ(^^)(^^)。19歳でチャイコフスキーコンクールで優勝した時の記念CDのジャケットをまだ覚えてるが、目がくりっとしてすごくかわいかった。ヴァイオリンのプロ奏者としての教養も兼ね備えた才色兼備、とにかく美・し・い。僕が理屈抜きに「美人」と思うのは、仲間由紀恵さん、小雪さん、諏訪内晶子さん。石田ゆり子さんも大好きだが、僕にとっての「もう理屈抜きの美人」の範疇にはない。「存在の仕方自体」でいいなと思う人だね。

ただ、諏訪内さんのヴァイオリンプレイ、
僕にとっていままで、「つまんねぇぇ」の一言だった。

コントロールされすぎてて、壊れることが無く、「この人、感情を持って弾いてんのかなぁ」と思うことばっかりだった。逆に演奏そのものが大好きなヴァイオリニストとしては、五嶋みどりや天満敦子。僕の好みにすぎないが、この人に比べたら見てくれははるかにおよろしくない(爆)。しかしヴァイオリンプレイは爆発せんばかり。もう大好き。だから「ヴァイオリニストは美人はダメ」定説すら、僕は持っていた。

でも、このアルバム「詩曲(poeme)」では、はじめて「ををっ!!」と思った。すごく生き生きとダイナミックに歌ってる。特に好きなのは一曲目の「序奏とロンド・カプリチオーソop.28(サン=サーンス) 」。
ちなみにオケ(フィルハーモニア管弦楽団)を振ってるのはシャルル・デュトワ。たしか諏訪内さんとスキャンダルが流れたことがあったと思う(どっかの島に二人で行ったとかだったと思ったけど)。たしかにこんなアルバム作れば、そういう噂立てられるのも道理かなと思うなぁ。

このアルバム、最近、毎日聴いてます。

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2007年6月 5日 (火)

真奈美ちゃんのラグタイムピアノ

2日(土)の晩、クラスタ常連のまごさんと一緒に、国分寺駅南口のあるバーへ吉村真奈美ちゃんのラグタイムピアノを聴きに行った。

すいているかと思いきや、なんとお店は超満員。ただ、真奈美ちゃんのお客さんが全部というわけではなく、時を同じくしてお店の壁に作品を飾っているフランス人写真家さんのお仲間たちが大挙してきていて、それでガヤガヤしていたのだった。

僕が聴いたのは23時からの3rd Set。スコット・ジョプリンのエンターティナーやらラグタイムの有名曲が5,6曲。ガヤガヤする中で演奏が始まった。お店はずっとガヤガヤ。全員が聴いているわけではない。話したい人は話してる。ただ、とても音楽は心地よかった。
お客様の胸ぐらつかんで「おい、聞けぇ」と言わんばかりの気合いではない。でも真奈美ちゃんは演奏に一切手を抜いていない。心がこもっている。話したい人は話せばいい。でもふと耳を傾けたくなった人は、自然に身体を揺すってる。CDなんかでは無い。走りもモタリもする、手を抜かない生きている音楽がそこにある。

ラグタイムってこうやって聴かれる音楽なんだな、って思った。
そしてそうやって演奏する真奈美ちゃんに、懐の深さを感じた。

商売でやるなら、CDを作る人・売る人・コンサートのスタッフ等、その人を軸に生活する人がいるから数を沸かせることは大切ではある。ただ「音楽」だけでなく芸術の魅力って言うのは沸いた人の数だけではない。数や瞬間最大風速的な訴求力だけじゃないと思う。

まず手を抜かないこと、日々を七転八倒しながら一生懸命生きて、いろいろな思いを感じる心を耕し、それをもとに愛する芸を磨き続けること、そしてただ素直に表現し続ければいいんだと思う。聴く人にもその人の人生がある。こっちが「俺が俺が」で演奏したっていらないときはいらないんだもん。そういうときは音楽なんて雑音に過ぎない。胸ぐらつかんで聴かせるようなコト、俺がされたら「結構です!」っていうだろう。

音楽に限らず、好きなものは誠実に磨き続けよう。
そして押しつけがましくでなく発信し続けよう。
そんな勇気をくれるプレイでした。

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2007年6月 4日 (月)

Santa、惚れ直した

070604_164601 今日はシンドウさんのアルバムのレコーディングだった。メチャクチャ時間かかったけど、僕の担当するトラックは録れた(^_^)v。

びっくりしたことが一つ。僕のギター(Santa Cruz F Model)、レコーディングはじめて数時間経ったら、音のツヤが増してきたこと。弾き手側ではそうでもないんだけど、マイクで拾ったり前にまわって聞くとすごくいい音。ああ、日常的にもっと弾きたいっ!!

僕の音楽伴侶"Santa"を惚れ直しました。どんな高価なギター持ってこられても、おまえが最高! ソモギもD-45もいらねぇ。シンドウさんと僕でバンバンダメ出しして録り直し(独りよがりの演奏にならずにすむ。幸せだ)、何時間も弾くことで、こいつのと信頼関係はさらに増した。人生の中で痛めつけあい、共に成長出来る最高の伴侶。

幸せな時間でした(^^)。

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早大野球部の優勝報道に思う

斉藤佑樹ががんばったから勝てたのか?
違うだろ! 野球はチームプレイだろ。
それまで先輩方ががんばってそれだけのバックアップを出来るチームを作り上げたから勝てたんだろう。こういうことするマスコミ(そればかりじゃないのは承知)はバカだ。きゃあきゃあ騒ぐ人間はもっとバカだ。こんな報道されたら、当の齋藤君が可哀想だ。彼はそういうこと、ちゃんとわかってるまともな人間のはずだ。それに単なる大学生の野球選手じゃねえか。もっと放っとけよ。こういったマスコミの連中にとっちゃ、食うだけ食って骨までしゃぶってあとはペッて吐き出してサヨナラすればいいと思ってるから、そいつが伸びようが消えようが、消えればスペアを探せばいいだけの話、どうでもいいんだろうけど。

斉藤君はこんなマスコミ、中田英寿のように無視して欲しい。バカがよってたかって才能を潰してどうする。

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子宮刺激系!?

明らかに主催者側の発表だが、ウチの次男は見てくれがカワイイ(爆)。カミさんと僕のかけあわせとは思えない。ひょっとしたら「僕」という因子は違うかもしれないが(爆爆)、とりあえずはカミさんの「Tonちゃんの子よ」を信じることにしている。

京王相模原線の中で次男を連れた僕ら夫婦の隣に、20代半ばの女性方が数人座った時は、いきなり「ああ、誰か結婚して子ども出来ないかなぁ」って話になった。一昨日も交差点で信号待ちしていただけなのに、女性ドライバーが「きゃー」といいながら手を振ってくれたらしい。僕が公園に連れて行っても中学生以上の女の子がすれ違うとほぼ毎回「きゃー、かわいい」になる。

僕ら夫婦は次男のことを「子宮刺激系」と呼んでいる。
少子化対策には、ウチの次男を見せるのがいちばんだ。
快楽に訴えなければ人は動かない。
きっと今晩がんばりたくなること(爆)、請け合いだ!

嗚呼、「親ばか」だこと。。。。。

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2007年6月 3日 (日)

片付け下手と好奇心

子どもは片づけが下手だ。
僕やカミさんは息子たちを何度も注意する。
だが、僕も母にずいぶん叱られた(笑)。「だらしがない!」って。何度もものを紛失して、「宏之っ! なんであなたはすぐ片づけが出来ないの!」と泣きながら叱られたこともある。気を付けてはいる。でもどうしても忘れてしまうのだ。そんな自分の性癖に嫌気が差し、かなりコンプレックスにもなった。いまでもカギは苦手だ。すぐなくす。

ただ最近はそれなりに片づけが出来るようになった。
何故だろう、と思う。

息子たちはやっぱり好奇心が沸騰してるのだろう。
一つ一つ興味の扉が開いていく子もいる、脈絡無く跳ね回るように連想が広がって、いろいろ手を付けたくなってしまう子もいる。子どものうちは恐らくみんな大体が後者なんじゃないかな。それが躾によって心を容器に詰め込んでって社会に順応してゆく。社会に照らし合わせると前者の方が社会の一員としては生きやすいだろう。後者は程度によっては「注意欠陥障害・多動(ADHD)」と分類されてしまう。生きにくい。僕もどっちかというと後者だろう。

息子たちは、いろいろな物を見たくてやりたくてしょうがないのだ。僕やカミさんに言われたことは覚えていても、その衝動が僕らの言葉を覆い尽くし、すぐに忘れてしまう。極めて心の熱が高く、「好奇心の分子運動量」がハンパじゃなく高いんだろう。

僕は多少片づけが出来るようにはなった。しかしそれは、息子らに比べて「好奇心の分子運動量」が小さくなって、「心の中の先生」がそいつを制御しやすくなっちまっただけ、なのかもしれない。サラリーマンとして生きるためには必要なことではあるが、少々さびしい。

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2007年6月 2日 (土)

混沌のまま…、それでベスト

25日の晩に放映開始された、山田太一脚本、渡辺謙・玉木宏の出演するドラマ「星ひとつの夜」。ふと見た瞬間に飛び込んできた渡辺謙のセリフで、とても印象的なのがあった。
まるで『のだめカンタービレ』の千秋のような(きっと意識してキャストしてるよな、これ)、白と黒を基調に無駄なくすっきりしたトレンディドラマ系の玉木の部屋。そこに入った渡辺謙が吐き捨てる。

「なんだ、この部屋は? 「洗練」なんてーものを意識したのか? ふざけんな。もっと混沌としているのが若いってこと、生きているってことじゃないのか? 洗練なんてーものは年を食ったじいさんにまかせておけばいいんだ。」

こんな意味のセリフ、すごく沁みた。

こないだ混沌そのままを書いたけど、あれでいい。だからこそ生きている。僕ら家族は沸騰している。いろいろなとこぶつかって、怒らせて、謝って、かっこわるくて、混沌のまま。うっかりミスで嫌になっちゃったり、甘えてみたり、逃げ出してみたり、がんばってみたり、メチャクチャだ。俺は聖人君子なんかではない。単なる助平な意志の弱い淫獣、当たり前だ。最近ジェットコースターのような上がり下がりの大きい精神状態。だけど、まずは生きればいい。そうでも思わなきゃやってらない。 

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2007年6月 1日 (金)

いいものは、まっすぐ心を打つ

僕が高校出て浪人・大学あたりからの音楽活動で、細々ながらもずっとお世話になってるPA屋さん・音響サービスの新井さん。先日シンドウさんレコーディングで必要があってマイクスタンドを借りに、久々に伺った。

ステージ&リハーサルマナーや機材の取り扱いなどはこの方に大体教わった。ステージモニターではとてもナチュラルに音を作ってくれる(これ怖いよ。自分の音がハダカにされる。下手くそには厳しい)。大変話がお好きなので(笑)、いつも大体貸借の儀式の他にも話し込んでしまう。この時はちょっと今までと違う話で盛り上がってしまった。浄瑠璃や新内といった"邦楽"の話、いちばん刺激的だったのは盲目のおばあちゃんが三味線の弾き語りで物語を語る、"瞽女(ごぜ)歌"の話だった。

「まだねぇ、俺が20代だったぜぇ。東大駒場祭のPAの手伝いに行ったんだよ。東大とはいっても結構荒っぽくてね。かならず近所から苦情が来てた。ロックでドンスカやってる中に、80過ぎの瞽女(ごぜ)歌のおばあちゃんが出たのよ。もうスゴイの。二、三、物語について解説したらすぐ語りに入っちゃう。かすれた声なんだけどよく通るんだ。物語はスゴイ残酷なんだけど声が明るくってさぁ。三味線も難しいフレーズ一切ないんだけど沁みるんだよ。俺、鳥肌たったぜ。ドンスカやってる前後のバンド、霞んじゃったもん。芸の力ってすごいよな」

盲目の芸人・瞽女さん、越中高田の人たちが有名だが、冬、先導の人に手を引かれて数人のパーティを組み、村々をまわって「葛の葉」「山椒大夫」「小栗判官」「信徳丸」といった物語を聞かせる。語りの稽古は冬場の川原で、喉がつぶれるまで語るような稽古と聞いたことがある。そんな稽古で通る張りのある声を作っていく。門付けしながら金がとれるかとれないかの真剣勝負。また盲目なのをいいことに少女の頃、女性として非道いことをされたこともあるらしい。新井さんが聞いたそのおばあちゃんは、かといってそんな苦労や力みは芸に一切出してはいないのだが、まっすぐにこちらに飛び込んでくるスゴい芸だったそうだ。

いいものはジャンルなんか関係ない。まっすぐこちらの心を打つ。気合いなんだろうな。このおばあちゃんみたいな力みのない境地までいくのはこりゃ相当だろう。僕に出来ることといえば、いろいろ七転八倒して考え、やめずに続けるしかないな。それにしても新井さん、ほんとジャンル関係なく音楽聴いてる人だなぁ。

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