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2007年6月16日 (土)

映画「眉山」、本音の感想

ロードショー公開がほぼ終わったから本音を書く。
もろネタバレだし、極めて否定的な意見である。映画だけ見て原作を読んでない方には気分が悪いと思う。この下は読まない方がいいです。まだ映画見てない人も同じ。ですから「余計な改行」をして、本文を見えないようにしときます。























映画の「眉山」。僕にとってはこれは駄作だ。大っ嫌いだ。
さだまさしの小説「眉山」とは全く別の作品。
原作はあんな三文芝居ではないっ!
別のタイトルにしてくれ。

宮本信子の演じた龍子、これが原作と全っ然っ違ってる。原作の龍子のスピリットを10倍以上薄め、単なるちょっと気っ風がよくってかわいらしいオバハンにしちまいやがった。yahooの映画レビューに「不倫肯定で道徳観を疑う」ってレビューもあったが、映画のような描き方ならそう思われるのも納得できる。そう思われてしまう脚本に「原作・さだまさし」とつくのもイヤだ。あれで原作を読まないまま、さだまさしの底を計られてしまうのもイヤ。事実、否定的なレビューには原作も読んでしっかり比較した上で書いたものがほとんどなかった。

原作の龍子はあんなつまんない女性じゃないっ! どこまでも筋をびしっと通しつづけるスピリットがあるんだ! 映画の龍子にはひ・ど・く薄いっ。宮本信子がそう変えたのでなく脚本段階で変わってる。龍子が僕にとってこの小説の主役であったので、どうにもがまんができなかった。きっと宮本信子なら、原作のままの龍子だって絶対演じられたはず。もったいない。これまたyahooの映画レビューだが「シナリオ全て原作の方が上です。私が原作者なら上映延期で撮り直しです」って意見あったが、これもまた同感だった。

最後の阿波踊りシーンは、「踊り自体の映像がスゴイ」だけ、芝居のシナリオは全くの茶番。原作はこここそがスゴイのだ。おのれの信念の中で毅然と生きる龍子がしびれるほど崇高。最後まで己の惚れた男に迷惑をかけず、邂逅しながらも昔死ぬほど愛した男に視線一つ送らない(何があっても迷惑はかけない。二人だけで気付いているのだからいいでしょう)。男の方は咲子と龍子に気付き涙を流しているというのに。決して不倫肯定なんかではない。もとより僕の本音としては不倫肯定もクソもないんだが。人が人を「ただ好きになる」のには結婚制度なぞ全っっったく関係ない。とにかく最後まで信念を貫き続ける龍子が、最っ高にカッコよかったのよ。なのになんだよあの映画! 小説にあった伏線をみーーーーーーーーーーーんな種明かしし、単なるお涙頂戴で、龍子と昔愛した男性が離れて見つめ合ってウルウルしちゃってからに。ふざけんじゃねぇ。

原作の龍子、女性から見たらリアリティがないかねぇ??

でも「女って、なよっとしたかわいらしい存在なんかじゃねえ」と俺ぁ思ってるぞ。本気で決心したら男なんか較べものにならねぇほどドライ、図太い、自立してる、そして崇高だ。そういうリアリティが原作の龍子像にはあったのに。女に対してそういう見方持ってるの、俺だけかね。

なんで原作のスピリットを生かして撮れねぇんだよぉ。
はっきり言ってレベルを下げすぎだ。岩波ホール系のもっとしっかりした撮り方するスタイルの方がいい。僕の感覚の浅はかさ、あるならどなたか糺してくださいまし。よろしくお願いいたします。

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コメント

まぁ、優秀な原作を映画化、ドラマ化、漫画化、アニメ化したので、秀逸な作品に出合うのって本当に少ないよね。

ところで、キネマ旬報なんかをみてつくづく感じることがあるんだけど、原作つきの映画の評論で、原作を読み込んで、しっかり踏まえて批評する映画評論家って本当にまれだよね。映画は映画って言われたら、まぁそうなのかもしれないけど、なんか映画オタクのマスターベーションみたいで、なんか釈然としないものを感じる。

投稿: ウミユスリカ | 2007年6月16日 (土) 23時33分

ごめんなさい。私まだ原作を読んではいないのですが、さかたさんの言っていること、映画だけでも十分伝わりましたよ。龍子の生き方に、震えがきたほどです。ただ、あのお祭りのときに再会できなくてもよかったんじゃないかな、あのシーンは余計なようなって気がしましたが。

生涯かけて愛した男性、その人の大事な子供だからこそと大事に育て続ける、それは大変な苦労もあったでしょうに。私もそれくらい強く思い続ける男性に出会いたいです。いえ、もう出逢っているかもしれません。先日、その人に想いを込めて恋文送りました。告白する前と変わらず何も反応はありませんが、だからこそ、思い続けてしまうのだと思います。

投稿: kazuko♪ | 2007年6月17日 (日) 01時09分

>ウミユスリカさん
ひょっとすると仕事的やっつけでレビュー書いてるプロより、
アマチュアのブログの方が誠実に評しているかもしれません。
まぁ、アマチュアは好きを軸に書いてるからでしょうけど。
だから最近、芸術系の雑誌は真剣に読みません。
CDなんかだと評論より、ジャケットから伝わってくる
オーラの方が正しい感じしますもん。

映画は映画、小説は小説、音楽は音楽。たしかにそれもわかる。
でもあそこまでいじるなら、タイトル変えて欲しかった。
それが本音ですね。

>kazuko♪さん
おそらく原作読んでないだろうなとは思ったけど、
やっぱり書いてしまいました。すみません。

>映画だけでも十分伝わりましたよ。

伝わらなくはない、とは僕も思いましたけどね。
でも、やはり僕の感覚では、「龍子」の強度不足です。

yahoo以外のレビューいろいろ見てても「原作の展開は映画で作ったら無理があるのでは? 龍子が『単なる変な人』に撮られてしまいかねない」っていう意見もありました。たしかにわかりづらいでしょうね。視線を全く送らないラストなんて。「なんて冷たい女性だろう」としか思われないって心配も分かる気します。
でも、視線は送らずとも、ここで毅然と胸を張るなかで涙を一筋流すだけで宮本信子なら十分説得力がある様に思うんです。事実僕は、この映画の冒頭で、龍子が涙を流しながら阿波踊りで踊るシーンで鳥肌が立ち、泣かされましたから。あれはすごかった。また原作にはさださんらしい笑いもあります。何か所かで腹かかえましたから。泣かすだけではない、いい人情話なんすよ、原作は。ほんとに。

>もう出逢っているかもしれません。

意外と背中にいる、と僕も思います。
僕のカミさんも最初は「あいつぁ、女じゃねぇ」ですから。
しかし一人だけいました。「そういう人が本物だよ」って
言ってくれた女性が。大学時代に僕が好きだった人の一人ですが。
僕が好きになった人、一人なんかじゃあーりません(笑)。
僕ぁ惚れっぽい人間ですので。

そういった大切な人との関係って、
意外と冷静で乾いているのでは、と思います。
カミさんと胸張り裂けるような恋愛なんぞした感じは
まっっっっったくないですが、かげがえだけはないですもん。

投稿: さかた | 2007年6月17日 (日) 12時43分

映画、未見です。

この前、さだまさしさんのコンサートに行った時にMCで映画の話も出たんですよね。
「女優さんがきれいだ」
「近くだとオーラがすごい」
ということをしきりに強調していました。
その話からすると、映画は女優さんの外見を観に行くものなのかも。☆\(- -; 

「男だから書けた話です」
この言葉が印象に残っています。
いずれレンタルDVDで観てみるつもり。

さださんの本では、『おばあちゃんのおにぎり』が一番好きです。

投稿: ちとせ | 2007年6月17日 (日) 18時59分

>ちとせさん
>「男だから書けた話です」

同感!! ひどく男よりの女性観ではあること、僕も認めます。
さださんがMCで言ってたんだ。やっぱり、クールに見てるなぁ。

投稿: さかた | 2007年6月17日 (日) 19時52分

私も眉山観に行きましたが、原作は読んでませんでした。
映画は宮本信子さんがかっこよくて美しくて、それだけでもすごくよかったのですけれど(つたない表現ですみません...)、原作の龍子さんのスピリットを感じたいので本も読んでみたいと思います。

投稿: ケヤコ | 2007年6月23日 (土) 20時11分

>ケヤコさん

僕の感想は原作を愛しすぎた人間の感想に過ぎません。

でもぜひ、原作も読んでやってくださいまし。
文庫でせいぜい500円チョイですので。
よろしくお願いいたします。

投稿: さかた | 2007年6月23日 (土) 20時58分

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