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2007年8月11日 (土)

真言宗の声明って、面白い!!

Dscn0232_640 高野山では宿坊に泊まった。名前は遍照尊院
宿坊(つまりお寺)なだけに、朝は6:00からお勤めがある。別に早起きは朝練で慣れてるから問題はないが、義務的で少々気が重かった。けどそれは杞憂だった。

真言宗の声明って、面白い!!

まずpぐらいの音量で声明を唱えながら、大僧正をはじめとするお坊さん5人ほどが、堂内に入ってくる。お堂の正面には手指で智拳印を結んだ金剛界大日如来が鎮座。お堂の中心、大僧正の目の前には護摩壇。お勤めが最高潮になってくると、薄暗い堂内の壁が護摩の火でメラメラと照らされる。「ヲヲッ、カッコイイじゃん、この照明」と思った。

声明が進むうち、お坊さんたちの唱える声明の音量が上がる。声明はユニゾンではないが、かといって西洋音楽的なハーモニーでもない。それぞれのお坊さんの持っているピッチで自然に合唱になる。聞いていると時折、声明の掛け合いになる。こんな効果どこかで聞いた。「あ、グレゴリオ聖歌!」と思った。
お勤めの最高潮、mfぐらいの強さで声明が続く中、シャンシャンと錫杖を振る音と不動明王の真言※がffで、お経のリズムとはちょっと外れたテンポ・リズムで轟く。これは参列者からの依頼を募って(コレが商売です)の加持祈祷。一人一人に護摩に願い事を書かせたものを焚きながら参列者の頭上で錫杖を振り、不動明王真言を唱え「エエイッ!」と降伏(ごうぶく)の気合いを轟かせるもの。何ともアヴァンギャルドだと思った。
宗教と音楽って切れない。極楽や天国、悪魔払いを体験させる幻術。いまの優れたミュージシャンだって、何ら変わらない。その芸でもって異世界へとトリップさせ、癒しなり勇気を与えるんだから。

弘法大師空海って、平安時代の優れた知識人として書の達人としても有名だが、僕は声明を聞いていて、類い希なる「舞台芸術家」「音楽プロデューサー・アーティスト」だと思った。こうした舞台装置・声明当時の朝廷の人間をナンダナンダと異世界へ誘う中で、音楽を通して救いを現出し、伝説を作り上げることが出来たんじゃないかと。そしてこれだけの伽藍をこんな山深いところに作らせる経済力を得、今なお、その物語の力で信者を引きつけている。優れたアーティストだと思う。

音楽刺激って、快楽にダイレクトに結びついてるからなぁ。。。
特に僕だが、人は快楽には弱い(笑)。
朝からいいライヴを聴かせてもらった。

※不動明王真言/ノウマクサンマンダー バーザラダンセンダン マーカロシヤダソワタヤ ウンタラターカンマン

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コメント

お帰りなさい。うちは真言宗豊山派ですが、馴染みがありますね。確かこんなのもあった。

オンアビラウンケンバザラバトバン

うーん。さすが密教。オレも行きたいな、高野山。

投稿: をーつき | 2007年8月11日 (土) 19時47分

>をーつきさん

「オン アボギャーベー ロシャノー マカモダラー」
六代目三遊亭圓生の「小言幸兵衛」で、真言のお経として
こんなの聞いたなぁ。

密教って、文字のレベルで論理で捉えていこうとしたり、
論理で腑分けしていったら、何にもなくなっちゃうだろうな。
どこかで破綻を来してワカンネーと思う。
こんな事言ったら、試験レベルでは絶対に点数とれないけど(笑)。

もっとこれ、「舞台芸術」なんじゃないかな。

投稿: さかた | 2007年8月11日 (土) 19時59分

ガーテー・ガーテー・パーラ・ガーテー・パーラ・サン・ガーテー・ボーデー・スーヴァーハー(インド式の発音で)

投稿: ウミユスリカ | 2007年8月11日 (土) 22時42分

>ウミユスリカさん
こうやって「悟りの彼岸へ」みたいなこと言うよね。
でも彼岸なんてないもんなぁ。
音から感じる何かなんだと思うね。

意味わからなくたって、外国語の歌、好きになるのと、
そう変わらないんじゃないか。。。

投稿: さかた | 2007年8月11日 (土) 23時18分

漢訳仏典の「薩婆訶」よりも、サンスクリットの「スーヴァーハー」の「息吹」っていうのかな、あの感覚が好きですね。ユダヤ・キリスト教の「アーメン」に通じるものがあります。

投稿: ウミユスリカ | 2007年8月11日 (土) 23時39分

>ウミユスリカさん
音楽的な要素を多分に持つ「詩」っていうもの、詩に近いものは、
魅力を全て翻訳することは不可能だと思ってます。
翻訳した段階で原語の持つ音楽性、置き去りにしてきちゃうからね。
以前「Tonの日々雑感バックナンバー」(下記URL)の
2005年11月10日にそんなこと書きました。
http://www13.ocn.ne.jp/~tontones/zakkan.htm

投稿: さかた | 2007年8月12日 (日) 07時16分

>ガーテー・ガーテー・パーラ・ガーテー・パーラ・サン・ガーテー・ボーデー・スーヴァーハー(インド式の発音で)

キャーテーギャーテーハラギャーテーハラソーギャーテーボジソワカ ですね、日本語式に発音すると。般若心経の最後の部分。毎日唱えてます。よくわからないけど、何かありがたそうだなという気持ちだけは持ってますね。

いやいや、皆さんが博学なので勉強になります。

投稿: をーつき | 2007年8月12日 (日) 12時05分

>をーつきさん

般若心経の意味、読んだことある? それ知ると、さらにいいよ。意味の骨子としては「存在するもの全てには実体なんて無い、すべて"空"。『色即是空 空即是色』だぜ」ってなとこ。

あくまで僕にとってだけど、般若心経の現代日本語訳でいちばん秀逸なのは、生命科学者・柳澤桂子のもの。『生きて死ぬ知恵』(小学館)って本になって出ています。よかったらぜひ読んでみてください。をーつきさんお住まいの市の図書館、蔵書検索かけたら入ってましたよ(^^)。

投稿: さかた | 2007年8月12日 (日) 12時46分

実態が在るって思想の正体ってなにかっていうと、つきつめれば、物事の皮を剥いていけば、いつかは物事の本質、核になる正体に突き当たるっていう意味合いなんだよね。

ところが仏教が言いたいことは何かっていうと、そんなのらっきょとおんなじなんだよ、いくら剥いても核なんてないんだよ、すべては関係性の網目に光を当てたときに壁に浮かんだ影法師に過ぎないんだよ、ってことなんだよね。

核こそが本質だと思って、皮を捨てるべき些事と見てしまったら、いつの間にか大切なものを捨て去ってしまっている。らっきょの皮を剥いて全部捨ててしまって、途方にくれている小猿と同じなんだよね。

二十歳のころに、当時高校生だった妹の倫理の夏休みの宿題に付き合って般若心経を暗誦して、20年間折に触れ口に出して唱えてみて、18年ぐらいたって、ふっと気がついたのがこのことでした。

投稿: ウミユスリカ | 2007年8月12日 (日) 18時56分

>ウミユスリカさん
「一切衆生悉有仏性」って言葉もあるよね。何事にも「仏性」が宿っている、らっきょのむいた皮にだって仏性、大切なものが宿ってるって考え方。剥くか剥かないかはある一点の目的から見たものに過ぎないんだよね。

投稿: さかた | 2007年8月12日 (日) 20時20分

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