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2007年9月 8日 (土)

歌は才能だ

人と人とが語り合う声までが、そうとは言わない。
愛する人の声はホントに安らぐ。
ただし歌は別だ。歌は才能だ。

一発声が出ただけでドラマの伝わる魅力のない奴が、
ステージセンターで歌ってはいけない。迷惑である。

特に音大出のクラシックセミプロ声楽家のコンサートに行くと笑ってしまう。ここに来るまでにメチャクチャ金がかかってるであろう、大きく滑らかにしっかりとした音程で出せるよう訓練された声、表現上のたゆまぬ努力。でも、ラスト1%の魅力がなければ、それでオシマイ。努力しか伝わってこない。「努力しましたね、ごくろうさま」の拍手をして、つまらなく帰ることになる。芸能は残酷だ。

「誰にでも、歌えば魅力がある」なんて言葉、ウソだ。
こと歌に関しては、ダメな奴はダメ。やってる奴だけが楽しいマスターベーション。アマチュアならいいんだろうけど。
ただ魅力がなければ、僕は世辞を言うつもりはない。

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コメント

またまたの投稿です。

確かに「歌の魅力」というのは誰にでもあるものではないのかもしれませんね。でもその「魅力」は普遍的なものでなくて、時代や文化などによっても差異があるもののような気がします。

でなければ、私が嫌いな歌手があんなに売れるはずがありません。億単位の金をあの「声」で稼ぎ出すのか?一生疑問は解決しないんでしょうね、多分。

悲しいかな、生きているときに評価を受けられず、死んでから評価が上がるアーチストもいる中で、その「魅力」の見方もころころ変わっていく。何とも因果なものであります。

投稿: をーつき | 2007年9月10日 (月) 15時29分

いま「みんなが表現者」の時代だと思う。
カラオケがそうだけど、まず「演じる」「伝える」が先。
だからこそ今、「聴く」ってこと意識しておきたい。
自分から発せられるものは特にね。
「好き」ってだけで、はたしてやっていいのかってね。
それがないと伝わらないのはたしかなんだけどね。

>「魅力」は普遍的なものでなくて、時代や文化などに
>よっても差異があるもののような気がします。

うん。普遍性は存在しないと思う。歌だけじゃないしね。ただその時代や文化の中で、「言葉にならないけど存在しただけで伝わる華」というものはあると思ってる。
そうそう、自分の声が合う音楽自体が好きじゃない場合も悲劇だな。ボサっぽい感じが合う声なのに、ハードロックが好きで歌ってるとかね。そのミスマッチがたまたま魅力になればいいけど(これこそ時代や流行のバイアスが関わるね)、たいていそうじゃない。

>私が嫌いな歌手があんなに売れるはずがありません。

僕もこの人「歌手」とは思ってません(笑)。マスコミが騒ぎ立てようとカリスマとも思いません。世の中にカリスマなんて、誰一人おりませんし。ただ「『商品』としての自分を演じきる」という点で、とても素晴らしい芸人さんだとは思ってます。決して「声」だけで稼ぎ出してはいないでしょう。会社ぐるみでしっかり幻想を作って、それを演じきっているとは思います。

努力は否定しません。自己否定に繋がります(笑)。
でも、ほんとに哀しい。芸の世界はダメなものはダメってはっきりあると思う。そんなものに気付かず超えていくものが、その時代で人の心を揺さぶれるものになっていくんだと思ってます。この残酷性だけはわかった上でやりたい。「好き以外の才能のない」自分としてはね。

投稿: さかた | 2007年9月10日 (月) 22時07分

またまた書き込みです。

さかたさんの言葉、痛いなあ。まさに私にも言えることそのものだから。つい最近ですよ、歌なんか仕事にしたくない、ってふんぎりついたの。だって、「何が表現できるかやっぱりまだわからないな」というのが本音。曲さえ作ろうとしなかったのがその証明かも。

でも、自分なりの考え方は持って音楽に接していきたいという気持ちだけははっきりあります。リスクの大きい業界だけに、その隙間をぬっていけるだけの「器用さ」は必要なんでしょうかね。すくなくともアコギの世界でふんぞり返っている中○○○トさんにはそういう器用さはないんでしょう。(笑)あ、雄奇異にリノギタリストだったらごめんなさい。私あの人大嫌いです。

投稿: をーつき | 2007年9月10日 (月) 22時27分

>をーつきさん
大嫌いって言葉も、ウソつかずに言っていいと思う。
ここで下手にウソつくと、自分の好きなものがわからなくなって。
縁があったにもかかわらず、ホントに響かなくなる。
僕もバッハは最初聴いた時、眠くて大嫌いでした。
でもその時ウソつかなかったからこそ、
縁のあった今、ホントに好きになれたと思ってます。

>「何が表現できるかやっぱりまだわからないな」というのが本音。

僕もそうだね。これ。
で、ね、最近をーつきさんのブログでとてもいい言葉だな、響いたと思った言葉がある。「output training」って言葉。語学の話しだったと思うけど、学んで身体に入れることは必要だけど、それをどう出すかをちゃんと意識していないと使えるようにならないって意味だったかな。
最近コピーも淡々とやるけれどもそれはその人の歌い廻しでしかない。だから曲も少しずつでも作るようにしてたから、とても響いた。音楽のoutput trainingだよね。自分なりに使ってみないと、自分の知恵、音楽的語彙にならないもん。稚拙でも出し続けることによって形が出来上がっていく部分、あると思うし(仕事もこうありたいと思う)。音楽と語学って、似てるよね、すごく。

>自分なりの考え方は持って音楽に接していきたい

いちばん近くにいる客に自分自身。まずはこいつを満足させるクオリティには近づけていきたいとは思ってますね。これがかなりズボラなんだけど(笑)。

>すくなくともアコギの世界でふんぞり返っている中○○○トさん

新宿のback in townにももかん&岸部眞明ライブに行った時、中○○○トさんいらしてて。ももさんとお話ししながらご挨拶してちょっとお話しした。気難しそうな方ですなぁ(笑)。をーつきさんに気を遣うわけでもなく、今、好きでも嫌いでもないね。ヘッジスの影響後にパーカッシブな演奏になる前の方がいいかなぁ。最近の曲、あまり面白くないなぁ、ってのが正直な感想。躍動してないんだわ。「エバーグリーンミュージック」ってマニアックな音楽番組がTV東京で10年以上前あったんだけど、和田アキ子が"どブルース"歌う(これがすげぇ良かった)バックバンドでイ○△さん弾いてた。これは良かったね。

でも、誰もアコギのソロギターをやらない頃に、偏屈にも続けてきたって功績はあるんじゃないかな。決して好きで弁護するんじゃなくてね。押尾コータローさんは、長男が5歳の時TVではじめて見た時に、僕が言わせたわけでもなく「まいける・へっじす~」って言ったほどのコピーモデルだけど、あそこまでモノにしたのはスゴイとおもう(をーつきさんもスゴイと思う)。自分がやってみただけにね。押尾さん、芽は出した。あとはここからどう花開いていくか。押尾さんもイ○△門下で、あの奏法を具体的に研究出来たわけだし。風が吹いてきた時やる気になった人間が芽を出せる、イ○△さんそういう土壌になった功績はあるとは言えるんじゃないかなとは、思ってる。

投稿: さかた | 2007年9月10日 (月) 23時21分

こんばんは。一言だけ。

そうですね。私は○サ○さんの好きなところが見つけられないんですね。多分好きな人は好きなところを見つけて、そこを好きになってるんでしょうけど。

確か以前素人のホームページに関して、自分のページ上でこき下ろしたのがことの発端。私も読みましたけど、「あんたそこまでいう筋合いあるのか?」というもの。やりたいヒトが勝手にやってるんだから放っておけば、的な話でした。人様に迷惑かけてないんだからそこまでバッシングするかなあ、ということだったので、まあ見たくなければ見なければいいんじゃないかと。私もメールでそのこと言ったら逆ギレ。まあ他のファンの方から諭されて、最終的にページ上の発言を削除したんですけどね。ただでさえ作品が好きになれなかっただけでなく、対立する意見に対しての対応の仕方も加わって、顔も見たくなくなりました。まあそれはそれでいいんでしょうけど。

おかげでイ○トさんのファンとはお話しがしづらくなりました。だって、「あの人のどこがいいの」といきなり切り出してしまいそうですから。(爆)

一言っていって長くなってしまいました。すんません。

投稿: をーつき | 2007年9月11日 (火) 22時16分

>をーつきさん
そっかぁ、かな~り濃ゆい、否定的な縁があったんだね。イ○△さん、大人げないなぁ、たしかに。それならそこまで「大嫌い」も、わかる。僕は2,3言交わしただけだからね。それだけじゃ好きにも嫌いにもなれない。

でも音楽であれ何であれ、自分にとってのいいものってさぁ、入ってくる時は一瞬、だよね。理屈じゃない。ギターとの出会いもそうだけどさ。

投稿: さかた | 2007年9月12日 (水) 08時32分

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