「溝ノ口」の徳利
ヤバイ。マジでスイッチが入ってしまった(笑)。
お猪口、湯呑み、と続いた骨董趣味。
また同じ店で、こんなモノを見つけてしまった。
陶器の徳利。
お酒はずーーーーっと昔はこれ持って、酒屋さんに買いに行ったのだ。それに酒屋で注いでもらう。いまよりよっぽどエコだよなぁ。
いつものお店の前を通ったら、店頭にこれがっ!!
「溝ノ口」と書かれた字が、燦然と僕に輝いた。
買っちゃった! 1000円也!
東急田園都市線・JR南武線の駅のある、川崎市高津区の溝ノ口の街は、江戸時代は青山通り大山街道(矢倉沢往還)の宿場町。この大山街道は江戸城の赤坂御門(赤坂プリンスのあたりね)を起点とし、渋谷、二子で多摩川を渡り、溝ノ口、宮崎台の辺りを通り荏田、長津田、下鶴間、海老名国分、厚木を経る道。現在の国道246号の前身と思ってもらえばいい。大山詣が繁栄した頃はたくさんの人が通った道(落語にも"大山詣"ってのがある)。三軒茶屋には不動明王を乗せた立派な道標がある。
この道は僕が歴史系の商売に就くきっかけになった道。さらに溝ノ口は、義父が勤めた会社の社宅があった関係で、カミさんは4歳ぐらいまでの数年を暮らした。そんな「溝ノ口」の地名入りの徳利。一目惚れだった。
買ってきて思い切り洗って消毒して、東急ハンズでコルク栓入手して、早速日本酒入れて使ってます。パック酒だけど(笑)。でもこれでお銚子に注いで燗つけるととても気分がいい(^^)。
さてこの徳利、裏っかえすとこんな字、「岩崎酒店」。しかもこの店は今もある!! 早速行っていろいろ話を聞いてきた。レジカウンターの後ろには僕の使ってる写真の徳利がちゃんと置いてあった。
岩崎酒店は、明治中期からこの溝ノ口で醸造を始めた。だが、昭和19年(1944)、第二次大戦中の食料統制で、二子新地と向ヶ丘遊園にある造酒屋との統合が指導され、やめてしまった。なおかつ空襲対策の間引き疎開で、店舗まで戦車で引き倒されたという。戦争は大切なものを奪うことしかしない。詳しくはこのお店のホームページを見て欲しい。
店員さんに、僕が徳利の写真を見せるととても喜んでくださり、上記のようなお話も聞かせていただいた。この徳利、いつまで使われたものなのだろう。昭和19年以前のものであるのは間違いなさそうだが、酒の瓶としてガラスの一升瓶が普及しだしたのはいつなのだろう。それ如何によっては第二次大戦前まで遡れるかもしれない。
ホームページを見てもらえばわかるけど、お酒の品揃えもすごい。東京ではなかなか手に入らない地酒も結構ある。また溝ノ口駅周辺の立ち飲みのやきとり屋なんかも、下町育ちの僕には相当ソソられた。今度は長距離散歩を兼ねてゆっくり行こうと思う。
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コメント
いい話だな~、これ。
フットワークの良さはさすがだね!
HP見たけれど、これまたサカタとの出会いが運命であったかのような店。
いや、縁ってオソロシイ。(^_^;)
投稿: ジロー | 2008年1月25日 (金) 14時25分
>ジローさん
やっぱりこの徳利も、使ってみて感じること、たくさんあるよ(^^)。
注ぎ口が今の酒だとちょっとタレやすい。
昔の酒の方が粘性が少々高かったのかと思う。
それと一升瓶の製作技術の向上と普及。
また一升瓶の普及には、輸送力の発達と商圏の拡大もあるように思う。
使ってみるって面白いね(^^)
投稿: さかた | 2008年1月26日 (土) 11時30分
ここの前通ったよ、南武線の踏み切り渡ったから・・・
徳利・・・日本酒好きには堪らないだろうね!
投稿: 奥武蔵爺! | 2010年11月30日 (火) 10時05分
>爺!殿
やはり通りましたか。悪くない風情でしょ。そりゃ、木曽路の馬籠や妻籠と比べられたらたまらんですが。ちなみにあの南武線の踏切、「大山街道踏切」って言います。
徳利、こうした古い道具は使ってみて味わうっていいですね。こんな商売してますが、博物館に入っちまったら、「死んだ」も同然なんですよね。できるかぎり使って活かして感じたいと思ってます。農業体験講座受講もそういうおもしろさにあふれていて楽しいですね。そうそう、僕にとっては自転車も「地域を身体で感じる行為」です(^_^)。
投稿: さかた(Ton) | 2010年11月30日 (火) 22時37分