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2008年3月19日 (水)

僕とフライと骨董で^_^;;;

Photo 「行田 やきそば 飯倉屋 電話百十番」と書かれた骨董のお猪口(左の写真)で始まった、行田の街への好奇心。18日(火)に代休がとれたので行ってきた。休みなのに仕事めいたことしてる僕は、余程の「お馬鹿」なのだろう(笑)。

*博物館で調べる*

JR高崎線行田駅の市営観光案内所で、レンタサイクル(無料!)を借りた。ウロウロしながら鉄塔や家々・石仏をはじめ、様々な風景の写真を撮りまくり市立郷土博物館へ。常設展も素晴らしいが今回の目的は別。常設展図録を買って後で読み直すことにし、例のお猪口の調査をすることにした。

受付でお猪口の写真を見せると、学芸員さんを呼んでくださった。写真を見て曰く、「市史に明治時代の電話帳の翻刻があります。それを見ましょう」。見たら、、、ありました!!! 『行田市史 資料編 近代1』、これの533~538頁に「行田電話開通記念帖(抄) 明治44年12月」という史料が翻刻掲載されている。電話加入者が名字別に「いろは」順で掲載されている史料。これの「た」の項にありました。「一一〇番 田中弥吉 飯倉屋 同(行田) 蕎麦商」と。
この記録にすごくゾクゾクした! でも、だからといってこのお猪口が「明治44年のものだ」とは断言できない。「ここまでは遡れる可能性がある」というだけ。ただ「飯倉屋の屋号を持つ家は田中家であり、明治44年では主人は田中弥吉といった」ことはわかった。明治末期に電話をひけるぐらいだから、そんなに小さなお店ではあるまい。さて今はあるか? 受付でタウンページをお借りし、食堂や飲食店で「飯倉屋」を探したが、なかった。

*フライを食べに(^^)*

行田は足袋の生産で栄えた街。秩父鉄道行田市駅周辺にも、古い大きな煉瓦造りの蔵があったり、町並みからもそれを感じられる。行田の名物料理「フライ」「ゼリーフライ」も、昭和初期に足袋工場で働く女工さんの「おやつ」として人気を集め、名物として定着したものという。
Photo _edited 「フライ」(写真左)は小麦粉を柔らかく水でとき、鉄板の上で薄く焼きながら、ネギ・肉・玉子などの具を入れたもの。「ゼリーフライ」(写真右)はジャガイモとオカラを混ぜ煉ったものを油で揚げたもの(『2007年 行田市勢要覧』より)。両方ともソースを付けて食べる(お好みで醤油もあり)。お猪口にあった「やきそば」もそんな料理の一つ。「フライ&焼きそば」はセットで売られているのも見る。
名物というから商うお店が林立してるかと思いきや、意外に目に付かない。豆腐屋さんや喫茶店、小さな飲食店などでやってることが多い。専門店として商うところは少ないみたいだ。ゼリーフライはお豆腐屋さん(かどや豆腐店)で食べ、フライは「にしかた」さんという、専門店で食べた。
フライははっきり「おやつ」だ。とても素朴な美味しさのある、クレープ風お好み焼き。大阪や広島風のお好み焼きのような華やかさを期待してはいけない。僕が食べたのは肉・玉子・ネギの入った、ちょっと豪華なものだが、足袋工場の女工さんが食べていたのは、ネギだけとかの、シンプルなフライだったんじゃないか。でも街の人の生活に密着している。僕が食べてる間にも、ちょこちょこご近所の人が訪れて、フライを買っていく。

*意外な展開*

フライを食べながら、ここの女将にもお猪口の写真を見せて話してみた。そしたらフライ買いに来たお客さんのおばちゃんがノってくれた(^^)。

おばちゃん「あの門にあった八百屋さんさぁ、たしか屋号は"イイクラ屋"じゃなかった?」
女将「ああ、そうだそうだ。あの鰻屋さんの角の?」
おばちゃん「そうそう。あたしあそこの娘さんと友達だったのよ。でも三〇年ぐらい前までよね、八百屋さんやってたの。その後写真屋さんやったけど、もうそれも閉めちゃったわね~」


こんな風に話が繋がっていくと思わなかった。話はしてみるもんだ。ただ話をしていると屋号は「イイクラヤ」だが、家の名字は別だった。「同じ屋号」はそんなにないはずだし、何らかの縁のある店だったのだろうか? そのお店の跡という場所を聞いて、見ては来た。メインストリートの角地。ただしそこは「テナント募集」と書かれた建物が建ってるのみだった。

*行田は深い*

行田には他にも、忍城(おしじょう)や埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)がある。こちらも見てきたけど、実に刺激的な場所だった。古墳群は規模(墳墓の大きさ、古墳群の立地・範囲)だけでなく、その築造の背景にある土木&測量技術に思いを馳せ、相当ゾクゾクした。
「飯倉屋」だけでなく、まだまだ深い。東松山と繋がる街道もはじめ、古代から関東を理解する上で重要な場所、何度か訪れたい場所だと思った。

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コメント

さかたさん~!まぁ!!
行田にこんなスポットが当たっています!
うれしくなりました。行田はなにを隠しませんが私の両親の実家
~ふるさとです。
母からフライのことはきいてました。
でも実際にたべたこともみたこともありません。
両親の子供の頃紙芝居屋さんが焼いていた
そうです。そのフライを食べるのに泣きの演技に?
懇願と八方手を尽くさないとありつけないのだとか。。
そのフライを買わないと紙芝居は見られなかったそうです。
素朴なおやだったそうですがソースまでつけてもらえるのは
高級!なフライだったそうです。足袋工場の女工さんの大事な
エネルギー源だったのかな~。

行田にはそうです~古墳とそして忍城もあります~
北条家の支配だったそうですね。
残念ながら残っているには門だけだそうで散策するには
いいかもしれないですね。
さかたさんはまた違う魅力をひきだしてくれるかもしれません。

蕎麦猪口からはじまった不思議で楽しい旅のつながり
とても興味深くよませていただきました。
謎はこんなふうに日々の中にも隠れているのですね
しばし探偵気分です~・。
我が家の豆皿の歴史はどうだったのでしょう、、何も字がない
です。いつかこんなふうに自分の買った骨董の生い立ちも調べてみたいです。

投稿: ねも | 2008年3月20日 (木) 11時20分

毎度です。今日は休日出勤。納品作業でした。朝っぱらからブラジャーパンティーの山と格闘していました。

タイトルいいですね。ポールサイモンの「僕とフリオと校庭で」みたいですね。まあ山崎まさよしの「僕と不良と校庭で」より全然センスありますね。

行田は確かに凄いところだと思いますよ。まあ、北関東は館林や足利も含めていろいろありますからね。足利学校は本当に誇るべきものかも知れません。とはいえ、私のいる館林は県民性の一番薄いところ。なおかつ私は市町村境に住んでいるので市民意識も非常に薄い。群馬県民の必須アイテム「上毛カルタ」知らないんですから。ビックリですね。

さて、行田に来る時はご一報下さい。車くらい出しますよ。いや、自転車くらいかな?(笑)

投稿: をーつき | 2008年3月20日 (木) 20時31分

たびたびすみません・
をーつきさん下からしつれいいたします。
私は育成会(子ども会)で埼玉郷土カルタ大会にむけて
子供たちとカルタとりをした覚えが。。。
いまでも少しおぼえてます。(我が町内は一回だけの参加でした。会館のどこかにこのカルタ眠っているかも・・・・)
県の旗 勾玉十六 心の輪

さいたまを 飾る県花は さくらそう(鳥はしらこばと)

荻野吟子 日本の女医 第一号(渋沢栄一もありました)

読み方の指導もうけたおぼえが~。

投稿: ねも | 2008年3月20日 (木) 23時09分

>ねもさん
>両親の子供の頃紙芝居屋さんが焼いていた
>(中略失礼)
>女工さんの大事なエネルギー源だったのかな~。

貴重な聞き書きの歴史、ありがとうございます。
こうしてこの記事もふくらんでいきます(^^)。

>行田にはそうです~古墳とそして忍城もあります~
>北条家の支配だったそうですね。

ここの中世城主の成田氏は、鎌倉時代と室町期で出自が違う。
結構数奇な運命辿ってますね。いま『後北条氏』なる新書も読んでますが、関東の中世を知る上で、上杉氏と後北条氏の関係は複雑だけど面白いです。あと多摩は青梅の新町という場所があるんですが、ここを江戸時代初期に開いた吉野織部之助という人は、もとはこの忍城の成田氏の家臣でした。多摩とはとても関係があります。

>謎はこんなふうに日々の中にも隠れているのですね

はい。こうしてミクロな歴史を解き明かすことって、とても楽しいです。

>我が家の豆皿の歴史はどうだったのでしょう

食器は使ってると割れることもありますよね。でも僕はその時もチャンスに変えようと思ってます。割れたからこそ見える陶器の断面、そこには元になった土、かけられた釉薬の情報があります。そこからわかる何かを調べてみたいなとは思ってます。

>埼玉郷土カルタ
をーつきさんお住まいの館林は群馬だからなぁ(だから上毛)。さいたまのとは、ちょいと違いますよ~。僕が育った海老名には古代に相模国国分寺がありましたらから、やはり郷土カルタがありました。僕もをーつきさん同様、覚えてないや。伝説自体はいくつか覚えてるんですけどね。


>をーつきさん
>朝っぱらからブラジャーパンティーの山と格闘していました。

まさか「使用済みのもの」ですか?(爆、失礼)。知らない人がいきなり読むと「なんだ?」とおもうよね。ブラジャーやパンティーのデザイン・制作・販売をやってる会社だものね。

>ポールサイモンの「僕とフリオと校庭で」みたいですね。

ありがとう! ジローさんか、近藤か、をーつきさんに、こういうツッコミ、期待してました(^^;;;)

>なおかつ私は市町村境に住んでいるので市民意識も非常に薄い。

行政界なんて、自治体の責任範囲の明示でしかないものね。僕もそんなのもののために、自分の心の中に縄張り意識を持つことはしたくないですよ(^^)。足利学校も、ばんな寺も、館林の茂林寺も、行田の忍城・埼玉古墳群もトータルな北関東の生産性といった、もっと広い視野で捉えるべきだと思う。多摩を理解する上でも、北関東は歩かなきゃいかんなぁと、思いを新たにしました。

>車くらい出しますよ。
車は速すぎて、僕の景観認識&思考処理スピードを遙かに超えてるからキツイね。この行田の街のレンタサイクル、すごくいいよ(^^)。館林にはある?

投稿: さかた(Ton) | 2008年3月21日 (金) 09時15分

この記事おもろいわ~!
こーゆーのもっとやって!

タイトル>う~む、先にツッコミ入れられてしまったか…。
では今度「僕とサカタと鉄塔で」…原型とどめてないや。(^^ゞ

投稿: ジロー | 2008年3月21日 (金) 12時24分

>ジローさん
行田あたりまで走ることはある? だったらぜひフライ&ゼリーフライは食ってください。懐かしい味っす(^O^)。

>をーつきさん&ジローさん
利根川と荒川を繋ぐ武蔵水路沿い走ったことある? 埼玉古墳群脇の埼玉スバルの敷地内に「T-1Bジェット練習機・初鷹」が静態保存されてる(^_^;)。知ってる? 見つけた瞬間は「は? なんでここに?」ってなった(笑)。まぁ「スバル」ってだけでお二人には腑に落ちるとは思うけど(^_^;)。

>僕とサカタと鉄塔で
これ絶対やろうね。隊長はプロンプトンでよろしく。北関東がいいね。行田でもあっさりと撚架鉄塔を見つけましたよ(^o^)/。

投稿: さかた@携帯 | 2008年3月21日 (金) 20時11分

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