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2008年5月 2日 (金)

僕が音楽する意味

昨晩、クラスタでテルイショウ楠幸樹のライヴを見てきた。
お客様は8割方女性で超満員。二人はガットギター2本での共演。曲もオリジナルあり、クラシックスタンダードあり。テルイさんのエロティシズム溢れるコードワークは大好き。音楽的にも進行も大変面白いライブだった。
二人とも音楽に対するストイシズム・誠実さがあり、またとても楽しんでいる。それが二人の存在としての色気の背骨になってゆく(恰好だけの人間はすぐ飽きられます)。3年前にこの二人(+もう一人いた)でちょこちょことライブはじめた時よりも更に魅力が増している。志を持ち磨いている人は本当に伸びる。こういう人たちこそライブをやるべき人間なんだろう。

比べてみれば、僕はほんとただ好きでやっているだけ。丁寧・誠実だが(謙遜しません)、それだけ。面白み・心を揺さぶるものが現時点で少ない。単に「自分がもっともっと音楽を好きになる」ために、自分が愛するものを自分で演奏しているに過ぎない。クラスタフリーコンサートのような人前演奏道場・宴会的なノリでちょろっと弾くには自分で自分を許せるが、ライブハウスなどで枠をとってやる資格、そうまでしてお伝えしなければならないものに自分の音楽を感じられない。
でもいまはそれでいい。自分に納得できないのはまだ耕せる可能性があるってことだもん。まずは自分が耳コピや採譜・習作アレンジ・楽曲制作のために作り出せる時間の中で、音楽に正面切って向かい合う良い聞き手(Yesばかりの「都合の良い」聞き手ってことじゃない)になろうと思う。ただ聞くだけじゃなく、「採譜してみる」「作ってみる」「演ってみる」って、音楽の感じ方を倍加してくれる行為だもの。ホントに必要とされるパフォーマーには、存在感や声などに才能のある一握りの人間にしかなれません。努力を過大評価するつもりもない。やる気はあってもそれは最低条件、芸能には才能がなければダメです。でも才能も磨かなければ飽きられます。「いい聞き手」「素晴らしい人が生まれてくる土壌の一成分」なら、誰にだってなれる。僕はちゃんと耕されたホンモノのいい土になろうと思う。

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