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2008年5月13日 (火)

父の飲んでた大衆酒場

Kanban Omise なんのことはない、海老名市柏ヶ谷にある大衆酒場。でもこの店、僕と母の記憶には強烈に残っているお店。父が勤めていた会社(報国チエン、加藤車体工業〈現PABCO〉)はこの近くにある。確か報国チエン時代(僕が10歳まで)だったっと思うが、父はよくこの店で飲んで、ヘベレケになって帰ってきたのだ。帰ると玄関にひっくり返る。まだまだ僕も子どもだったから「ほっとくわけにいかない」と思って、「おとうさん、おとうさん」って揺すって(酔っぱらった父の立場からなら迷惑だったろう・笑)。以後も怪我して帰ったことも数度、とても心配だった。

昨日、大井で父が住んでいた家の家財を業者に依頼して一斉処分した。必要なものは全部親戚やウチがもっていった、その残り。それであっても、今の僕の家族の生活にしまい込むことは出来ないが、僕の思い出を形作るピースのひとつひとつ。だから作業は見るにしのびなく、離れたところで電話を待った。連絡受けて家にはいるともう家財は何もない。2t車3台に乗っている。荷台の家財にお別れをしたら放心してしまった。
で、ふと僕が小さい頃幸せに暮らせていた海老名に来たくなった(この辺の感傷、男だな、と思う)。まだこの店があるかと思って来たらあったのだ。で、一杯やってきた。

父が来ていた話をしたら、すごく喜んでくれた。先にいらしてたお客さん2人(ご夫婦)も近所の人。僕も昭和40年代後半からはこのあたりの景色の記憶がしっかり残ってるから、古い話でとても盛り上がった。

Mado Osinagaki




なんでもこの店は昭和30年代後半に、女将の義父がはじめたとのこと。東京オリンピックの都市計画で立ち退きになった家の部材を運んで建てたとか。店の中にはいくつか当時と変わらないものもある。女将は地元の歴史にも詳しかった。目の前の道は大山街道で、渡辺崋山も通ったとか。さらに僕も知らなかった話は、街道沿いのこの「赤坂」(店の名前は地名から)の地にも、大山詣相手の宿屋が数軒あったとの言い伝え(その宿屋の屋号までおっしゃってた)。

「お母さんも来られたらいいのに…」とお客さん夫婦の奥さんの方が言われた時、つい僕は言ってしまった。「母は、父の酒で苦労させられたから、来るのは嫌かもしれませんね。でも僕は父も酒も好きですから、また来ますよ(^^)」って。笑ってはくれたけどちょっと女将の顔が曇った。悪いことした。。

お勘定しての帰り際、お客さんご夫婦の旦那さんが一言
「おおいママ、カウンターのその花、いくつかあげなよ」
Dscn5232 それは店の裏にある、母屋の庭に咲いていた薔薇。女将は二輪とって、茎をホイルで包んで渡してくれた。「帰って仏壇に供えます」っていったら、とても喜んでくれた。その旦那さんも「おう、さっきとった店の写真、仏壇のおとうさんに見せろよ」って。はい、帰って仏壇にお花も供えて、父にも一献捧げました。思い出は思い出、前に進まないとな(^^)。

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コメント

思い出の切片が繋がるっていうのかなぁ。
骨董のルーツを探る旅(?)にも似てるね。
しんみりするけど、いい話だな。

ワタシが死んだら、みんなでらーめん30に行ってね。(^_^;)

投稿: ジロー | 2008年5月13日 (火) 12時52分

>骨董のルーツを探る旅(?)にも似てるね。
>しんみりするけど、いい話だな。

ありがとう。結局、これが僕の書き口なんだろうね。

>ワタシが死んだら、みんなでらーめん30に行ってね。(^_^;)

大丈夫! 一番最後まで生き残るから。(笑)

投稿: さかた(Ton) | 2008年5月13日 (火) 13時23分

店の主人が喜ぶ気持ち、分かります。
きっと、亡きお父さんも喜んでいるのでは。

その店に言って飲むことは、お父さんにとっても良い供養になるでしょうね。

なんか、小説とか歌の題材にもいいような、「いい話」だなあ。

投稿: 時代屋だんぞう | 2008年5月13日 (火) 14時44分

Tonさん、こちらにカキコおひさです。

お父さんのこと・・・早いですね。
たしかにそこに息づいていたモノたちや
そこに生きていた場所。

人の人生ってそういうところに現れてくるのだと思います。

何気なく読んでいたのに、じんときてしまいました。

お花も写真も、おとうさんはとっても嬉しかったでしょうね。

投稿: あゆっち | 2008年5月13日 (火) 15時32分

泣けた。

もう酔っ払っちまったかな。

投稿: 大黒屋 | 2008年5月13日 (火) 18時23分

私も思わずもらいなきしてしまったです。
親子の血って絆ってそんなふうに繫がっているのね。
もしかしたらお父さんもお祖父さんのことをそんな風にたどった日があるかもしれないですね。
今ここに生きていることは先祖代々・・リレーのように
絆というバトンを手渡されているのかもしれないって思いました

私も義弟の命日がまたきます。
なんだかお寺でひとり眠っているのではないかな。。
なきそうになりました。
でも義母、主人、私や息子で好きだった野球やさださんの歌
でこちらでも供養しようかなと思いました。
さかたさんありがとう。

投稿: ねも | 2008年5月13日 (火) 19時44分

>母は、父の酒で苦労させられた
私も同じ思いです。

その母も今年の2月に他界して、父一人実家にいます。
もう、自分もいい歳になり、残された親の面倒を見なければいけないと思いつつも、常に子供が最優先になってしまいます。
父が元気なうちに定年になれば、田舎に戻りたいと思います。

投稿: ぴかぴか | 2008年5月13日 (火) 21時33分

tonさん毎度!

私の場合は祖母になりますが、子供時代は祖母の思い出しかないくらい「おばあちゃん子」だったので、亡くなった時は泣くことさえ出来ないくらい意気消沈していました。逆に、ガンで苦しんでいた姿を見なくて済む、祖母は楽になったんだという、安堵にも似た矛盾した感情にしばらく支配されてましたね。

祖母が亡くなるずっと前、老朽化した家を建て替える時に、寂しそうな顔をしていた祖母をふと思い出しました。その土地に住み始めてからずっと歴史を一緒に歩んできたその家が、まさに取り壊されていく。新しい家にも何かなじめないような、違和感を感じながらもそれを隠そうとしている、そんな感じでしたか。

そんな祖母の思い出に浸りながら、オイオイ泣くことがあります。tonさんの言うところの「それが男」というものでしょうか。そういう風に泣ける自分はなんて幸せだ、と思いながら泣いているんですね。普段の生活に引きずるわけではないけど、そういったことにほんの少しでも時間を使っていいじゃないか、そう決めつけております。

誰かいってましたね。「女々しい」というのは男のための言葉。男は本質的に「女々しい」から、それを正すための言葉。こういう時だけ女性を引き合いにして申し訳ないのですが。でも、そういう「男々しい」一面を見せたっていいんじゃないかな、と。そういう一時も実は好きな時間でもあります。

なんかまとまりませんね。失礼しました。

投稿: をーつき | 2008年5月13日 (火) 22時37分

>だんぞうさん
>小説とか歌の題材にもいいような、「いい話」だなあ。
ありがとうございます。でもなぜか、自分では歌には出来ないです。なんかメロディがついて、自分が歌おうものならその瞬間にドラマチックになってしまうようで、しらじらしく感じてしまう。無論、こうして文章にすることも、そういうニュアンスがなきにしもあらずなんですが(伝わるような起承転結も考えないと言ったらウソです)。でも、歌にするよりは自分にしらじらしく感じない。しらじらしくならない、ホントに伝える力を持ったヴォーカリスト、尊敬します。それは、ちゃんといます。

>あゆっちさん
>お父さんのこと・・・早いですね。
>たしかにそこに息づいていたモノたちや
>そこに生きていた場所。

そこで何を考えたのか、感じることって大切ですね。言葉では決して伝わらない何かがあります。だからこそ僕は「歩き・聞き・見て・調べて・書いて」いきたいと思ってます。「歩いて、自分で見に行く」。これこそ親父からもらった、僕のいちばんの資質です。大切にしたいです。


>大黒屋さん
>泣けた。もう酔っ払っちまったかな。
酔っぱらったかもしれませんね(^^)。なんだかんだ言ってあの親父の息子であることは変えられない。家出てすぐ、コンプレックスの持ち方が親父と自分があまりに似てることに気付いて、笑ってしまったことがあります。きっと将来、僕の息子も自分の嫌な所こそが似てて、イヤな思いするんでしょうね。それでいいっす。

>ねもさん
>もしかしたらお父さんもお祖父さんのことを
>そんな風にたどった日があるかもしれないですね。

父方の祖父母の郷里は南西諸島、奄美大島の隣の喜界島です(僕は俊寛の末裔か・笑)。父は10年以上前に行ってます。祖父は生前、僕の母(父の嫁)を郷里でとても褒めていたらしく、自分の女房の評判が高かったて言ってたのを思い出しますね。親父も喜界島に行って何を考えたのだろう。ぜひ僕も行って感じてみたいですね。

>私も義弟の命日がまたきます。
>なんだかお寺でひとり眠っているのではないかな。。

何言ってんですか。ねもさんの家族が忘れてないじゃないっすか。そういう形で生きてます。たしかに生命体同士が具体的に言葉を交わせない。そういう意味で死ってひどく悲しいことです。でも「死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ」(アメリカインディアン、ドゥワミッシュ族の格言)って言葉、僕は父が死んでみてとても理解出来ました。この言葉の出典はエリコ・ロウ著『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』(扶桑社)です。いい言葉たくさんありますよ。お勧めです(^^)。

>ぴかぴかさん
>>母は、父の酒で苦労させられた
>私も同じ思いです。
親の世代までの男って、ある種ウラヤマシイ部分もあります。奥さんホント大変です。仕事や男を社会的にあれだけ理由に出来たんですから。でも分担してるからこそ、外で働けるんすから。
「酒と公営競技」、僕は毛嫌いしてました。親父は僕が産まれる前、大井オート(今はない)でスッて生活費を入れなかったことすらあるらしいですから。でもだからこそ公営競技(競艇)やってみました(笑)。江戸川で周年記念をたまたま見物して「水上の格闘技! カッコイイ」と単純に思っただけなんですが(笑)。平和島のSG全日本選手権優勝戦で2000円以上の配当がついた時(200円しか張ってませんでした・笑)、「あ、これで10000円賭けてたら」って気持ちが心のどっかに芽生えた。親父がハマった気持ちがわかりましたね。また就職してから飲み始めて、何故親父が家にまっすぐ帰らずに飲んできたのか、わかりましたもん。母親の価値観の色だけで自分の心を塗るんでなく、親父から受け継いだ自分の弱さを通して親父を感じて、否定感をひっくり返していきたいですね。

>残された親の面倒を見なければいけないと
>思いつつも、常に子供が最優先になってしまいます。

子どもって、「生きている先祖」なんだと思うことがあります。カミさん方・僕方どちらの先祖が誰一人欠けても、その子はその形でいない。そこを健やかに育てることが親孝行なんだと、最近自分勝手に考えるようにしてます。仏壇の供物を忘れてカミさんが「いけない!」とか言ってる時は、僕はそういいます。「今生きてる先祖の証(子ども)を大切にして」って。

>父が元気なうちに定年になれば、田舎に戻りたいと思います。

ウチも実は自分の母との同居、考えてます。荷物たくさんのアパートの一室で暮らしてますしね。いま75歳。家の団らんなどに憧れて生きてきた人が、こうではあまりにも悲しくて。でも、いちばん大変なのはウチのカミさんですしね。母自身の幸せ、カミさんの家族の思い、ウチの家族一人一人の幸せ、ゆっくり聞いて決断したいとは思うけど。。。母は75だし。まよいますね。

投稿: さかた(Ton) | 2008年5月13日 (火) 22時48分

>僕も昭和40年代後半からはこのあたりの景色の記憶がしっかり残ってるから

風景があまり変わっていないというのはいいね。
自分が子供の頃住んでいた場所は、びっくりするほど変わっていて・・・
先日大井町線に10年振りくらいに乗ったのですが、あまりの変わりように愕然としました。

飲み屋さんとか、そこでの人の縁とか、ぜひぜひ大事にしてください。

投稿: Real Man | 2008年5月13日 (火) 23時02分

>をーつきさん
>安堵にも似た矛盾した感情
親父の時もあったな、これ。父母の別居についても「やっと単純に考えられる」って思った。

>老朽化した家を建て替える時に、寂しそうな顔
親父もほんとあの大井の家にこだわって死んでいった。でも、売ることになったけどね。親父も思いがあり過ぎてまとめられなかったのかもなぁ。

>泣く
>「男々しい」一面を見せたっていいんじゃないかな、と。
>そういう一時も実は好きな時間でもあります。
僕もそう思う。これ、必要です。「男なら泣くな」って言葉、現実主義・自己生命維持主義の強い(男から見たらある種冷酷な)生命体の女と違って、男にはそこに耽溺してしまう性質があるからこそ、男にそういう言葉があるのかもしれんが、泣きたい感情は泣かせるべきです。その爆発があるからこそ、整理されていくんだと思います。

>誰かいってましたね。
>「女々しい」というのは男のための言葉。

はーい、僕も言いました(^^)。他にも誰か言ってるの? 教えて(^^)。こないだちとせさんがどこかで聞いた言葉、ってことで書いてらした。
『男の恋は「名前を付けて保存」、女の恋は「上書き保存」』って言葉、スゲェと思った。

>Real Manさん
>風景があまり変わっていないというのはいいね。
いや、海老名も変わったよ。30年という時間はでかいね。

>先日大井町線に10年振りくらいに乗ったのですが、
>あまりの変わりように愕然としました。

親父の通夜の時の話? どのへん言ってる?確かに変わったね。第一快速電車が走ってるもん(ブルーリボン賞あたりとるかな)。それにあわせて旗の台駅は福々線化されるし、ここがいちばん変わったかな。でも、依然、戸越公園と久品仏駅は電車がはみ出してるね(笑)。下町っぽい汚さ(これが好きなんだけど)はあまり変わらないな(^^)。

>飲み屋さんとか、そこでの人の縁とか、
>ぜひぜひ大事にしてください。

うん。お住まいの市ではそういうお店に出会ってる? でも僕らの世代だと家にはまだ寝に帰るだけだから、なかなか出来ないよね。

投稿: さかた(Ton) | 2008年5月13日 (火) 23時24分

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