« オペラ、聴いてみた | トップページ | シューズ&ペダル Part2 »

2008年5月31日 (土)

さだまさし親子の共演

6月14日(土)放送のMusic Fair、さだまさしデビュー35周年記念企画で、様々な歌い手さんと協演するらしい。平原綾香の歌う「つゆのあとさき」は興味深い。平原綾香はマジさださんの曲が好きらしい。「夏、長崎から」のラストライブで歌った「向い風」(「つゆの…」にしろ、なんとマニアックな選曲だこと)。僕もソロギターアレンジしたことあるぐらい大好きな曲。聴きたかった。松浦亜弥が「19歳」を歌うってのもびっくり(この選曲もマニアック)。あややは仕事ってだけじゃなく、さだまさしを聴くんか?

いちばんびっくりしたのはさだまさし親子の共演。山口百恵が歌ったことで有名な「秋桜」のバックに、長男・佐田大陸がヴァイオリン、長女・佐田詠夢がピアノで協演するらしい。さださんが五十肩を患った時のレコーディング、ピンチヒッターで大陸さんがヴァイオリン弾いたって話は聞いたことあるけど、娘さんもピアニストだったんだ。

二人のお子さんはどんな顔をし(よくは知らん)、どんな音を奏でるの? さださんは子ども達の前でどんな表情で出演すんの(^^;;;)?
これは見たいぞ(^^)。

|

« オペラ、聴いてみた | トップページ | シューズ&ペダル Part2 »

コメント

毎度です。

さださんはあまり聴かないのですが、親子競演というのはとても興味を惹きますね。2週間後というのが待ち遠しいです。

「つゆのあとさき」は私の知らない曲ですが、tonさんの好きな曲ということでかなり興味津々です。あとでいろいろまた書かせていただきます。

投稿: をーつき | 2008年6月 1日 (日) 07時52分

>をーつきさん
さて、ご存じと思うけど、さださんのpop音楽の大きなルーツの一つに、僕らの好きなPaul Simonがある。「たかが音楽いつでもやめられる」と言ったPaul Simonに腹を立て、「どういう意味か」と聞きにNYまで行ったぐらい。そしたらPSは「ましし(PSは"まさし"と発音出来ない・笑)、音楽は常に過去に向かって進行しているんだよ」ってさださんに言った。それで納得したという。僕、これ、まだ腑に落ちてないんだよね。
さださんの「前夜」聴くと笑うぞ。モロ「American Tune」だから。

>「つゆのあとさき」
この曲、僕にはもう一個思い出があってね。僕がさださんを聴くようになったのは極めて不純な動機、中学2年の頃好きだった女の子が、さださんのファンでそれで聴くようになったんだ(^^;;;)。その子が「当時大好きだった曲」なのね(^_^;;;;)。昨日久々に、この曲が入ってる30年ぐらい前のアルバム「風見鶏」を聴き直しちゃったよ。まっさん、声、若い(^^)。
結局「さだまさし」というアーティストは、その子と話す口実だけじゃなく、アコギそのものの音色やアコギアンサンブルの美しさを知るきっかけになり、ポール・サイモンやヘッジスに繋がっていくんだよね。

投稿: さかた(Ton) | 2008年6月 1日 (日) 08時26分

またまた毎度です。スゴイレス付ける時間短いな。

>「ましし(PSは"まさし"と発音出来ない・笑)、音楽は常に過去に向かって進行しているんだよ」ってさださんに言った。それで納得したという。僕、これ、まだ腑に落ちてないんだよね。

これは感覚的な問題だろうけど、理屈抜きで何となくわかる。PSが「過去に向かっている」というのは、事象や感情を切り取った時点でそれはすでに「過去」だし、それに共感する自分はすでに「過去」にいるということか。つまりもともと音楽というか、芸術全体が「過去」を対象としている気がするんですね。もちろん「現在」の自分が芸術的対象に対して「感情の動き」を示すわけだけど、それは明らかに感情というものが「過去」に向けられていて、それに時間の流れが呼応しているというだけではないか、と。偉そうなこと言ってしまいましたが、そんな気がしてなりません。

>アコギそのものの音色やアコギアンサンブルの美しさを知るきっかけ

なるほど。私の場合それが直接PSだったということですね。納得。でも、ヘッジスの場合はただ音が「きれい」というだけの興味対象ではなかったですね。特に衝撃的だったのは「ミュート」、いかに音を消すか、という、音を出す作業とは逆のものでした。音のない状態が如何に「重要」か思い知らされたアーティストでした。

投稿: をーつき | 2008年6月 1日 (日) 08時38分

>をーつきさん
>それは明らかに感情というものが「過去」に向けられていて、
>それに時間の流れが呼応しているというだけではないか、と。

いまあるものも生まれた時点で過去に存在することになる。それさえちゃんと見ていれば新しいものは作ることはできる。だからいつやめたって大丈夫だ、って理屈なのかなぁ。ちょっとわかってきた気がする。

>音のない状態が如何に「重要」か思い知らされたアーティスト

これ、僕にとってほんとうに味のあるミュージシャンってみんなそうだね。余計な音は決して出さない。いまもう一度こだわってみたいと思ってるのはここだね。自分がなんの音を出したくて、何の音を出したくないのか、ってとこ。

投稿: さかた(Ton) | 2008年6月 1日 (日) 22時49分

今観てます。(笑)親子競演なんて羨ましいですね。こういう贅沢を私もしてみたいもんです。まあ、ミュージシャンなんか慣れるわけないとはわかってますが・・・。

それにしてもナオタローさん声域狭すぎですね。もうちょっとボイストレーニングをやった方がいいと思います。それがいいという人もいるんでしょうけどね・・・・。

投稿: をーつき | 2008年6月14日 (土) 18時23分

>をーつきさん
見られなかった(T_T)。

>親子競演なんて羨ましいですね。
どんな顔してた? さださん、大陸さん、詠夢さん。
プロだから表情は作るだろうけどさ。

>まあ、ミュージシャンなんかなれるわけないとは
>わかってますが・・・。

うん。お互い。(下手な世辞は言わんよ)
ちゃんとメシ食えるプロは、神様からギフトをもらい、ちゃんと磨いた人だけがなる。自分を筆頭に、アマチュアのほとんどは、知り合いでもないごく一般の聴き手からしたら「人前での演者として必要ない中途半端な人たち」です。知り合いは気を遣ってわかろうとしてくれるだけに過ぎません。(たまに気合いで全ての境界をつきぬけるときはあるけどさ)
でもいい聴き手になるために、音楽も演劇もやってみる・やり続けることは必ず意義があります。聞いて感じられる深みが段違いにありますもん。

>ナオタローさん声域狭すぎですね。
でもファルセットになったときの声、笑っちゃうくらいお母さんそっくりね。骨格ってすげぇなと思う(^^)。

投稿: さかた(Ton) | 2008年6月16日 (月) 00時09分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: さだまさし親子の共演:

« オペラ、聴いてみた | トップページ | シューズ&ペダル Part2 »