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2008年6月22日 (日)

歌は歌、ギター曲はギター曲

「桜色舞う頃」ソロギターアレンジ習作、やっとできた。5月頭に取りかかって1ヶ月半ちょっと。公私とも忙しかったり体調崩したりで、朝起きられず、思いのほか時間がかかってしまった。

ここのところ「さだまさし/孤独(ソリティア)」「川江美奈子/桜色舞う頃」と、歌(詞とメロディがセットの楽曲)をアレンジしてみて、感じたことがある。それは歌は歌、ギター曲はギター曲だ、ってこと。詞(言葉)の持つパワーってやはり大きい。その抜けた分をギター一本で埋めるとなるとかなりハードだ、ってこと。

聴き手である僕の頭にも、まず映像を浮かび上がらせる力を持つのはこの「詞」。ソロギターアレンジするとなると、この力が楽曲から抜け、メロディだけの力になってしまう。聴き手が原曲を知っていれば、詞を思い出して頭の中で付け足して聞いてもらえるかも知れないけれど、それを期待するのはおかしい。まったくはじめての人がソロギターバージョンを聞くと、メロディが全てなのよね。ソロギターでやろうとして自分で勝手に抜いてしまった詞のイメージ想起力を、ギター一本で、メロディを奏でながら加えるバッキングで、感じてもらおうとすると、それはたいへんだ。ギターでやるなら、ギターの特性を活かす、ギターでやる意味のある形でやらないとダメ。"原曲をいかに忠実に再現するか"では単に曲芸。ギターでやる意味全然ない。歌は歌、ギター曲はギター曲だわ。ギターで何ができるか(フィンガーピッキングもフラットピッキングも)も、しっかり体に通す必要も感じた。でも仕事・家庭かかえながら、そんなにできねぇよ(^_^;;)。

耳コピ&採譜にしろギターアレンジにしろ、次に取りかかる曲はまだ決めてない。僕の耳の奥に自然に鳴り響き、それが当分続くことが選定の基準(それだけの魅力がないと腰をすえて1ヶ月以上対峙できない)。いまそれがない。だが先日「Pat Metheny Songbook」なる楽譜集を手に入れた。パット・メセニーは僕、大好き。この楽譜集で「The truth will always be」(アルバム「Secret Story」所収曲)のコード進行をポロポロ弾いていたら、もうそれだけで切なさと美しさに打たれてしまった。当分、この楽譜集でパットのコード進行を味わいつつ、次にやることを探そうと思う。
ただソロギターアレンジは当分やらないだろう。アレンジやるなら伴奏のアレンジがしたい。ソロギターアレンジは引き算なのね(これ南澤大介さんが言ってた。それがよくわかった)。普通のギターの弦は6本しかない。どうしてもコードトーンのどこかを犠牲に、すなわち「音を引き算」しないと物理的に演奏不可能になってしまう。上記のパットの譜面でもその想いが強化されたけど、ソロギターアレンジやってるうちに、もっとコード進行の大きな流れをコードトーンを余計に端折らずしっかり味わいたくなった。だから伴奏のアレンジがしたい。

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コメント

毎度です。ブログのコメントありがとうございます。

>ソロギターアレンジは引き算

なるほどそうですね。ソロとして曲を書く場合は、メロディーを全体に潜り込ませることが出来るから何とか音数を少なくせずに誤魔化せたりしますね。歌の場合は、メロディーが歌手の役割を全部背負っているから、それをギターだけにやらせるのはやっぱり無理が出てくる。

あ、ふと思ったんですが、変則チューニング使って伴奏のアレンジしてみてはいかがでしょうか?MHのまねごとにもなってしまいますが、所詮コードだけ探っていても面白みがなくなってくるのではと思います。Woman of the worldとかFollow throughとか聞いてると、何であんなにきれいな和音と躍動感が出るのかと不思議でたまりません。123弦が同じ音というチューニングも型破りですけどね。

言いたいこと言いました。失礼しました。

投稿: をーつき | 2008年6月22日 (日) 16時49分

>をーつきさん
>コードだけ探っていても面白みがなくなってくるのでは?

わははははは、これ同じこと、別の音楽仲間にも言われてるよ(^^)。二声なら二声、三声なら三声、しっかりスタイルを踏襲する形で作らないとムラがあるって。でもまだコード進行ってやつにこだわってみたい。まだそれをぶっ壊すほど仲良くなってないんだ。もうすこしコード進行にこだわってあれこれやってみた後に、クラシックの対位法の理論をかじってみたいと思ってる。その前段階としてはコードとコードの間の二声・三声の音の流れをしっかり感じようとしてみるって意識は持ってる。

>変則チューニング使って伴奏のアレンジしてみては?

使ってやってはみてるけど僕のレベルだと、まだまだやってみてもいい結果にならないと思う。僕がやるとDADGADならDADGAD、「あーあのチューニングの曲ね」って呪縛、そのチューニングのもつキャラクターから逃れられない。
MHなんかだとまず曲想があって、それの和声がギター弾く以前に頭の中のイメージや譜面上でついている。それをどうやってギターで表現するかってところで、ああいったチューニングが生まれてるじゃん。RagamuffinなんかもDADGADだとは思えなかったもん。Bensusanなんか弾いていても、コード理論で生まれてないなって感じがする。対位法的な手法から生まれてるんじゃないかって。MHは現に弦楽四重奏ぐらいはアレンジ出来るだけの対位法を使いこなす教育受けてるしね。
コード理論は対位法の考え方を、サウンドの変換点を大づかみに捉えて簡略化し、わかりやすくしたもんじゃないのかとかいうイメージ持ってる。対位法に入って「なーんだ、このことか」と気付くためにも、もう少しコードってやつと戯れてみたいと思ってます。

投稿: さかた(Ton) | 2008年6月22日 (日) 21時29分

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