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2008年12月20日 (土)

Sanctus→Pie Jesu

休みの朝、メシ食った後、茶碗洗いながらいきなりフォーレのレクイエムを聴いてる。岩橋さんにもらったジョン・ラッター盤。「朝っぱらから鎮魂歌(レクイエム)かよ?」かもしれんが、聴きたいものは聴きたい。親友のお父様のお葬式に参列した影響も、あるかもしれない。
昨年、第3曲目「Sanctus」が心に響いたのだが、久々に聴き直してみて、第4曲目「Pie Jesu」への橋渡しに改めてじーんときてしまった。Sanctusで天上から降り注ぐ光を浴び、Pie Jesuの許し・慈愛に包まれてゆくようなストーリーを感じる。やっぱ、エエ曲やぁ(^^)。

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コメント

ふーん、今度聞かせてね(・o・)

投稿: 電極観測隊鉄塔隊長 | 2008年12月20日 (土) 11時37分

>隊長
いい曲だよ。少なくともカミさんと僕は大好き(^^)。

投稿: さかた(Ton) | 2008年12月20日 (土) 22時05分

フォーレというと私が初めてきいたのがドリー組曲。
愛らしい小品です~!!ドビュッシーの子供の領分と
よく対比されてますぅ。
いつかひきたいなって思っています。
レクイエム。お休みにじっくり聴いてみます。

投稿: ねも | 2008年12月20日 (土) 23時51分

>ねもさん
フォーレだとあと「シシリエンヌ」が好きですね。メロディにとろけますわ(^^)。ドビュッシーも「月の光」とかギターで出来たら素敵だろうな。岩橋さんあたりがアレンジしてねーかな(笑)。自分ではまだアレンジしてみよう、とは決心できませんが。
「フォーレ/レクイエム」は結婚前にカミさんとデートしていろいろくっちゃべっているうちに、別にどちらに合わせるともなく二人とも好きだった曲でして。当時はカミさんが第4曲(第4楽章?)「Pie Jesu」、僕が第1曲「Kyrie」がお気に入りだった。でも、折に触れて思い出して聞いているうちに、いろいろ魅力に気づきだしているところです。
「Pie Jesu」はカミさんのヴォーカルと一緒にやるためにギター伴奏をつくってあるんす(一度フルートとはやった)(^^)。また練習し直してカミさんとあわせて楽しもうかな。。。

投稿: さかた(Ton) | 2008年12月21日 (日) 12時04分

まぁ~!!何度もおじゃましますぅ。
月の光♪大好きです。とろけそうになります~・
あら~決心したらぜひ~。

奥様と充分存分にあわせましたら~私にも聴かせてくださいね~ワクワク・

投稿: ねも | 2008年12月21日 (日) 19時26分

> フォーレのレクイエム~ジョン・ラッター盤

岩橋も久々に聴いてみました~やはり好きです!
文字通り、清らかで美しい、音楽ですね。

> フォーレ~ドビュッシー

そして、サティやラヴェルも加わるかも知れませんが、所謂、フランス近代(?)の作曲家たち・・・もちろん作風は異なり、クオリティも様々ですが、確実に通底している“薫り”がありますね。
この前、ドビュッシーの“亜麻色の髪の乙女”をソロギター用にアレンジして、それはもう勉強になったのですが、その反面、そこにある、その薫りらしきものは、オタマジャクシを超えたところにある音楽の本質であり、そしてそれは、(この言い方も語弊がありますが)日本人である私には、どんなに恋焦がれても「血肉にする」レベルで吸収することは根源的に困難なのかもしれない、とも思わされました。ただの「教養」として嗜むことは出来たとしても。

・・・って、「日本人は来生たかおを聴いてろ!」という意味じゃなくてね・・・おっと、BBSに書くような内容ではないかしらん。

失礼しました~年末で浮ついているチャラ男でした!

P.S.イタリアのメロディは「血肉にする」ことが出来ると信じてます。

投稿: 岩橋 信之 | 2008年12月21日 (日) 22時22分

>ねもさん
同じ「月の光」でも、ベートーベンの表現とドビュッシーの表現はかなり違いますもんね。でもどっちも月の光を感じる。オモシロいっすね。「Pie Jesu」はまず、PowerTABで譜面つくろうと思ってます。先日My SoundにUPした「The chance you take」も譜面にしなくちゃなぁ。カミさんと落ち着いて合わせられるようになるのもまだまだ先ですしね。

>岩橋さん
>フォーレのレクイエム~ジョン・ラッター盤
>文字通り、清らかで美しい、音楽ですね。

実に敬虔に感じます。神に対してとは言いたくないが、とても謙虚で誠実なるものだ。

>確実に通底している“薫り”がありますね。
>「血肉にする」レベルで吸収することは
>根源的に困難なのかもしれない、
矢野顕子さんは確実にその香りをつかんでる感じがする。そしてさらにアッコ節にして。別にこれ、キョージュの矢野顕子評を踏まえて言うワケじゃなくね。和声の空間(密集度)のあり方にもヒミツがあるのかなぁ。あの「軽み」はなかなかでないね。

>「日本人は来生たかおを聴いてろ!」
>という意味じゃなくてね・・・

わかってるよーん(^^)。国境なぞ作ることが出来ない無線放送が生まれてからは、特に第二次大戦後以降は生まれた地域性なんぞ、あんまり関係ないよ。育ってくるなかで何を感じるアンテナが育って、どんな情報に触れてきたかだけだもん。

>BBSに書くような内容ではないかしらん。

気にせずガンガンにやってくれ(^^)

>イタリアのメロディは「血肉にする」
>ことが出来ると信じてます。
メロディの叙情性の部分に似た部分あるかなぁ。僕サイドからだと、落語の出囃子やら日本の語り物芸能(義太夫、説経)に触れてみて思うんだけどね。イタリアオペラあたりは、「歌い崩しの粋」あたりに共通性を感じる部分があるよ。

投稿: さかた(Ton) | 2008年12月22日 (月) 22時55分

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