« 好奇心への誠実さ、その純度 | トップページ | 演歌のカタルシス »

2009年3月28日 (土)

新居の下見に行った

「Tonちゃんの荷物の多いのにビックリした」
結婚4ヶ月前に、結婚してから二人で暮らし始める部屋に一人暮らしを始めた僕の引っ越し荷物を見て、カミさんは言った。カミさんは驚くほど荷物が少なくやってきた。結婚式直前にカミさんの荷物が運び込まれた部屋を友だちが見て、「え、女性でしょ? これだけ?」とビックリされた程だったもの。
ただ僕の荷物の多さは仕方がない。実家のあるカミさんは荷物を置いてこれるが、僕は一人暮らしを始めたのとほぼ同時に、父・母は別居した。帰れる実家などない、置いてこれる場所などなかったのだから。

2年前父が死んで父の住んでいた大井町の家も処分し、叔母やイトコたちとの遺産分割も済んだ(父が住んでいたが名義は祖父のままだったから。でもだからこそ僕にはよかった^_^)。で、5月からやっと母と同居ができることになった。父が生きていれば、母との生活をどうにかするのは父の役目。また、父の生きている間に父をほったらかして、母とだけ同居を始めるわけにもいかなかった(父の妹たち〈僕からすれば叔母〉が納得しないだろう)。父も大井町の家を離れたがらなかったし、その大井町の家に、僕ら家族が母を説得してみんなで移り住める程のスペースもなかった。息子たちもこの相模原で友だちができて根が生え始めてる。大人の勝手な都合だけで引っ越せば、いちばんかわいそうなのは、未来のある息子たち。だから僕から言い出して「みんなで一緒に暮らそう」などというワガママはできなかった。
ある意味「親父が死んでくれた」おかげで、シンプルに母と暮らせるようになった。正直父が先に亡くなったのは幸運だった。父との同居はワガママな人間だけに母より大変だったろう。母も76歳、人生の終着駅は見えている。もう一人で置いとくわけにいかない。同居を決断してくれたのはほかならぬカミさん。本当にありがたい。

* * * * * * * * *

さて26日に、新居(とはいえ築7年の中古物件。だが売り主さんが心を込めて大事にされていたのでリフォーム全然いらないほど綺麗)の下見に、僕の母・ウチの家族で行った。僕ら夫婦主導で決めたのだが母も気に入ってくれて大感激、かなり喜んでくれた。

ただ、冒頭で書いた通りに、僕の一人暮らしと同時に父・母・僕で別れた所帯道具。それから16年母も一人暮らししてるからかなり増えてもいる。昨日新居を見た後、母の住む立川の部屋にも家族全員で行って、モノをどう処分し、どれを持ってくるかの話もしたが、昭和ヒトケタ生まれの母は戦時中のモノのない苦労が身にしみているから、モノが捨てられない。それに結婚後爪に灯をともすようにして母が購入してきた道具もある。それでもウチにある道具と重なるモノは、よいモノを残して捨てなければ、新居に入らない。ウチもこれから一緒の生活に入る上でかなり捨てている。僕は心を鬼にして「捨てろ!」と言う(思いはわかるだけに、ほんとに鬼にならないと言えない)。母は泣いて嫌がる。でも僕も年老いた母だからと「いいよいいよ」とは言うわけにいかない。「是は是、非は非」は僕が言っていかないと、困るのはカミさんだ。
昨日はそんな話をして、心が相当疲れた。また立川までレンタカーで家族全員で行く途中で、車に弱い長男が、乗り物酔いして大変なことにもなったりもした。でも10歳と4歳の息子たちおいて行くわけにもいかなかったしね。僕の方針をムリヤリ通させてもらった。

正直いまヘトヘトである。売り切れた。あまりいろいろやる気が出ない。ただこの気持ちのまんまもマズいから、こうやって吐き出して、やる気を戻そうとしてます。

僕ぁ父に似て根がフーテンだ。めんどくさいことなんかイヤだ。歩いて・自転車乗って・ギター弾いて生きていられるならばいちばんいい。正直言えば、全部放り出して、ふらーっとどっかへ行っちゃいたい。カミさんも帰ってきて息子たち寝かせた後、一緒に呑みながらそう言ってた(笑)。僕らの上の世代は仕事を理由に、女房に生活の面倒なこと押しつけ逃げられて幸せだよな、とも思わないこともない。ま、僕も家庭崩壊も覚悟の上で、「ヤダね、俺知~らね!」と逃げちゃうのも選択肢の一つ。だけど、やっぱり、思慮も、自分の女房(僕の母)に具体的な生活設計や指示できる知恵もなく、生活にシカトぶっこいて別居になったバカな父見てたから、「それだけはしたくない自分」の方が大きいんだよね。僕ぁカミさんの温もりが何より恋しい、スケベな寂しがり屋だし。

がんばりません。気負いません。ちゃらんぽらんな自分らしく、七転八倒しながら折り合い着けていこうと思います。さ、寝よっっと(^^)。

|

« 好奇心への誠実さ、その純度 | トップページ | 演歌のカタルシス »

コメント

お疲れ様!
でもきっとそれは同居への最初のハードルですよね。
住居空間は限りあるものですからね。
我が家同居でないからえらそうなことはいえませんが主人の母をこちらに呼ぶときに見つけた部屋は母には十分な2DKと思いましたがそれでも泣く泣くいっぱい処分してもらいました。
どこにしまってあったんでしょう!というような量でした。
息子さんも中学高校となるとまた増えます。
そのときその時で舵取りというか~話し合っていかれれば。。。
七転び八起きでそうやってなるようになる~~
って思います~。

投稿: ねも | 2009年3月28日 (土) 11時48分

>車に弱い長男が、乗り物酔いして大変なことにもなったりもした。

↑この原因ってもしかしたら、URLにある2004年5月3日記載の内容かもしてませんよ。

投稿: 調 | 2009年3月28日 (土) 14時29分

↑すみません、5月6日記載分でした。m(_ _)m

投稿: 調 | 2009年3月28日 (土) 14時30分

>ねもさん
疲れますね、正直。親子だからこそぶつかってしまう。もう僕も大人になればいいのに、僕の少年・青年時代、親父が息子がやるようなことやってたから僕がいい子を演じざるを得なかった分、いまになって反抗期の甘えやちょっと悪い子をやってる部分もあるかもしれませんわ^_^;;;。アダルトチルドレンなのかな。それでもいいっす。
母が還暦で別居して一人暮らしを始めた頃、「この人と結婚するから」とカミさんを母の住む部屋に連れて行った頃は、もっとモノが少なかったんですけど、いつの間にか増えましたね。
今度の家、収納が結構しっかりしているので、ウチの食器類はそちらに入って茶箪笥が開けられる部分があると思います。その分は母の買い溜めた食器をできるだけ生かそうとは思ってます。家具もリビングにはあまりはみ出させたくはないんですけどね。
次男は結構肝が太いのですが、長男は結構センシティブなんです。たぶん僕の母(彼から見ればおばあちゃん)が四六時中いるってことで、どこかで爆発するでしょうね。カミさんなり僕なりでできるだけ話は聞いてあげて、長男なりの落としどころを見つけて欲しいなと思います。
ぶつかり合いに近い話し合いでもしょうがない。それも愛(お互いの全存在で関わり合う)だと思ってます。かっこつけずにいきます。

>調さん
>乗り物酔い
>5月6日記載分でした。
読ませていただきました。そうかもしれませんね。親ばかですが、長男は味覚はかなりいいモノ持ってます。化学調味料のキツイものは生理的に嫌がりますし。きっと敏感に反応したんではないかな。
先日、前様にもコメントいただきましたが、今度の家、中古物件なのもCS的には結構安心じゃないかと思ってます。

投稿: さかた(Ton) | 2009年3月28日 (土) 16時56分

毎度です。ブログのコメントありがとうございます。

いいな。正直羨ましいです。ここまで夫婦の絆がしっかりしているなんて。うちはそれがダメでしたからね。

今は子供との絆を深めつつ、また一つになれたらといろいろやってます。ただこれを「努力」なんていう言葉でまとめるつもりはありません。得られる結果をもっと心地よくするためには、少しでもネガティブな気持ちがこもった言葉にしたくないですから。

今の仕事はとりあえず続けるとして、独立起業をめざしいろいろと本を読み始めました。けれどこれもマイペース。焦って潰れてしまってはダメ。オレも元はものぐさだからね。簿記もやらなきゃならないし、韓国語中国語も。やることはいっぱいあるけど、きちんと身につける計画を立てての話にしていきますよ。

それではまた。

投稿: をーつき | 2009年3月29日 (日) 19時30分

>をーつきさん
稼ぎは俺、メチャメチャ悪いよ。IT系の仕事してる奴なんかと比べたら、年200万円違うもの(笑)。文化の仕事はほんと世の中の霞で食わしてもらってるような仕事ですわ(笑)。それでも文句言わないボクのカミさんもアホで助かりました。

>努力
この言葉、ヤだよね。僕もできるだけこの言葉で表現するようなことはしたくない。アウトプットが濁るよ。でも、やった工夫で「これは上手くいった!」って自信をそれなりに持てる部分では、謙遜はしたくないね。それはずるい行為だから。「これやってこれはできた自信持ってる」とは言っていきたい。無論それ以上出来る人はくさるほどいるけど、そこで恥かけばまた知恵になるしね(^^)。
ほんとひとつひとつモノにしてゆく、をーつきさんの背中に勇気もらってます。ありがとう!!」

投稿: さかた(Ton) | 2009年3月29日 (日) 23時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新居の下見に行った:

« 好奇心への誠実さ、その純度 | トップページ | 演歌のカタルシス »