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2009年10月22日 (木)

「才能とは、なにか…

音楽に関していえば、耳である。そして、俺は細田のような耳がなかった。俺はいくら練習を積んだとしても、百メートルを九秒台で走ることは出来ないだろう。それと同様にいくら努力しても超えられない壁が厳然とそこにあった。俺はギターを弾くのが嫌になった。細田は俺とは違う音の世界に生きていたのだ」(花村萬月『笑う萬月』双葉文庫より引用)

ほんと、音楽は耳ですわ。
聞こえてない音は絶対にプレイ出来ません。
才能以上のセンスは、練習したってつきません。
努力なんぞに、あまり意味はありません。
ないものはないんです(笑)。

まぁそれでも、自転車もギターも僕の大切なオモチャ。
出来るだけ周りにご迷惑かけないようには続けますけど(笑)。

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コメント

「楽しむ!」っちゅう才能もありますや~~~ん。
これ、もの凄く重要っす(^^)v

投稿: papa | 2009年10月22日 (木) 22時53分

>papaさん
はい、「楽しむ」、大切です。自転車は、それだけっす(^^)。周りの交通への当たり前の気遣いさえあればそれでいいのがステキです!!!

でも音楽って、部屋の中でやってるだけなら「楽しむ」だけで十分オッケーだけど、いざ「人前で聞いていただく」となったら、果たしてそれでいいのか、いつもスゲー疑問なんです。たまに行ったライブハウスとかで、自分が好きなアーティストぶって気持ちよがってるだけのオナニーパフォーマンス見ちゃうと、とっっても腹立ってくる心の狭い自分がいるんですわ。東京の客はあまりやらないことだけど、僕ぁそいつが配ってたアンケートに「手拍子欲しかったら、お客さんに自然に手拍子させるだけのビートを自分のギターで打ち出せ! もっと練習しろ」って書いたこともあるし。ただ自分の姿ふりかえるとどうなんだろう、と。

ライブハウスでさせていただく縁があった以上、「告知」はします。お客様に来ていただいて、お店に多少なりとも貢献出来て、はじめてそういう空間で他人様の前でやらせていただく資格がありますから。
でも自分の演奏を「聞いてください」とは書けませんわ。自分の今の状況で「やるだけやった」と開き直れるだけの練習はしますが、あなたの貴重な時間を割いてまで「聞いてください」と言えるだけの練習、してないすもんねぇ^_^;;。「気が向いたら、どうぞ」としか言えませんです。

投稿: さかた(Ton) | 2009年10月22日 (木) 23時17分

学問における才能とは、端的に言えば業の深さと体力の二つです。

業の深さは世界における事象を捉えるセンサーそのものであり、体力はそのセンサーで捉えた構造を実体化させるのに不可欠の資本です。

私は業は人一倍深いけど、体力が難病にじわじわ蝕まれて、その点で才能に決定的に欠けている。しかも、その業の深さが難病の苦痛と不可分に結びついているという救いのなさ・・・

投稿: ウミユスリカ | 2009年10月23日 (金) 00時26分

学問における「業」とは、センサーであるという点で音楽における「耳」と同じなのかもしれませんね。この「業」で構造が人より見えてしまうのに、体が自由に動かなくて人にも理解できる実証的な実体化の作業、つまり音楽における「プレイ」に相当する部分が決定的に侵されている。いわば指を切断されたピアニストみたいなものか・・・。

私は「業」はなくても実体化の努力はできる人を、決定的に嫉妬しています。

投稿: ウミユスリカ | 2009年10月23日 (金) 00時33分

>ウミユスリカさん
とにかく自転車で走って感じることとギターを通して音楽すること、この仕事をしながらでも僕はやめられないみたい。これは僕にも業だ。結局仕事の中でも、舞台に関わる(伝統芸能保存)ことに自然に行ってしまう。仕事のこと考えたら論文にすべきなんだろうけど、芸事って文字にしたくないのね。芸人が磨いたものとお客さんとのやりとりが全てだし。どんなエライ先生が書いた伝統芸能論よりも、アーティストの勝手な一言の方が、現在においてパワーあるんだもの。

とにかく、飲んだくれつつも、耕し続けはしますよ。40にしてやっとその徒労との付き合い方に気付いたところですから(^^)。

投稿: さかた(Ton) | 2009年10月23日 (金) 23時52分

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