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2009年11月 3日 (火)

包丁は応える

まだ飽きずにほぼ毎日研いでる包丁。素晴らしいねぇ。カミさんの料理手伝って、自分でトマトとか切ってみると、惚れ惚れするほど切れる。軽い力ですっと刃が入る。ちょうど料理番組で、プロの料理人が小さめの洋包丁でトマトとか切ってるの見るが、あんな感じ(^^)。

道具ってなんでも、ちゃんと手入れして面と向かって付き合うとしっかり応えてくれる。自転車然り、ギター然り。僕はこういう「道具との対話」が好きなんだな~(^^)。

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コメント

刃物って砥ぎながら使うのが基本だからね。人に渡すときに刃を相手に向けないとかそういう基本的なことと同時に、砥ぎ方を覚えるということも刃物を使い始めるときに基本として身につけるべきことなんだよね。

ほら、小学校で図工の時間に彫刻刀の使い方を教えるよね。でもそのときになぜか正しい砥ぎ方を教えないよね。小学校の教師の多くがそもそも知らないってのが現状なんだろうけど。あれ、まずいよなぁ。切れない刃物で木工をするなんて危険極まりないよ。道具を使うってことの基本も身につかないしさ。

学校教育って道具の表面的な使い方は教えるけど、道具のメンテナンスというものをろくに教えないよね。教育学部という学部のそういうところが僕は好きになれないんだよね。

投稿: ウミユスリカ | 2009年11月 3日 (火) 20時43分

>ウミユスリカさん
セラミックの包丁もあるけど、あれって研げるのか?
もし切れなくなったら捨てるだけなら、あまりに悲しい道具との付き合いだと思うなぁ。

『包丁と砥石』の本は流し後ろの茶だんすにいつも置いてあります。とにかく「返り」の出し方がしっかりわかったのが、いまの僕のレベルでは嬉しい。実際の研ぎの楽しみと、本とを何度も行ったり来たりしながら、味わってきたいですね。
彫刻刀も、小学生の頃買った時、一応砥石がついてたけど、あれだけじゃ研げないよ。片面だけ研げるだけ。道具が足りないよなぁ。

刃物だけでなくどの分野にも深い知恵がある。教員がそれを全部カバーすることは、神様じゃないから出来ない。ただ深い知恵があることは知っている必要はあるね。それと教員がヘタに学者的にパラノイアックになってしまうと、特に公立小学校の大多数の子供はついて来れないと思う。変人にしか見えないもん。普通の俗な感覚も残しつつ、深い知恵の存在を知り、そういう人の話を聞いて読んで、翻訳出来るヒト、こりゃーむずかしいよね。それなりにそれを本気でやろうとすると、僕は息子たち相手でもう精一杯だわ。

ホント「火と刃物」は文明、文化を考える上で基礎だなぁ、と感じだしてきてますわ。刃物って精密工作の基本だものね。

投稿: さかた(Ton) | 2009年11月 3日 (火) 23時48分

どうもすいません!!
爺!は脚の調子が悪いので、包丁研ぎサボってました。

で昨日久し振りに研がさせて戴きました、ついでにと言っては何ですが・・・
まな板も片面だけだけど、削らさせて戴きました!
青森ひばのまな板なんで香りがとても良いです・・・
ちょっと薄くなったので寂しくなったけど・・・
いつまで持つかな?

投稿: 奥武蔵爺! | 2009年11月 4日 (水) 08時51分

>爺!殿
まないたもいいもの使ってますねぇ。
削って手をかければこれも長持ちなんですよね。
ウチはプラスチックのやつですわ。
ほんと爺!はひょっとして料理のプロもやってました?

投稿: さかた(Ton) | 2009年11月 4日 (水) 23時25分

いやぁ、刃物を砥ぐって奥が深いことは深いんだけど、レベルを問わなければ我々の祖父母世代なら家事や野良仕事の中でほとんどの人が当たり前にやっていたことなんだよね。包丁とか鎌とか、砥がないと家事も仕事もできないんだから。僕の父方の祖母も、野良仕事で普通に鎌を砥いでいたわけ。そういう伝統が決定的に断絶しつつある。

だって、機械工学のエンジニアであるうちの父ですら、祖母の野良仕事を思春期まで手伝っていたのに、もう刃物を砥石でまともに砥ぐことができないんだよ。父の名誉のために付け加えておくと、設計図を描くのに使う烏口は上手に砥げるけどね。

なぜか実家の刃物は僕が大学に入学したころからいきなり砥ぎに興味を持ち始めて全部砥ぐようになって言ったんだよね。それまで文化包丁をシャープナーにかけるぐらいだったんだから。

確かにその伝統の継承を学校の現場に押し付けるのは、荷が重いのかもしれないけど、砥いで使うものだってことだけは簡単にでいいから子供たちに伝えてもらいたいんだよね。

投稿: ウミユスリカ | 2009年11月 5日 (木) 00時16分

>ウミユスリカさん
>レベルを問わなければ
>ほとんどの人が当たり前にやっていたこと

うん。いまやってみてそれを実感してる。仕上げの美しさは別にして、僕の砥ぎでも切れるようにはちゃんとなるんだよ。道具がちゃんと道具として機能する。しかも毎日やれば包丁一本3分程度で済む。趣味にしてよかった。喜ばれるし(^^)。「砥がないと3日で切れ味落ちるね」ってよ○ちゃんに言われる(その程度の砥ぎの腕です)。けど、それがわかるってのはむしろ僕でも、瞬間的には切れる包丁を提供出来てるのかな、って自己満足があります(^^)。

>そういう伝統が決定的に断絶しつつある。
だからこそ「包丁」だね。これだけは生活にまだまだ密着しつづけるし。烏口もお父上の「生きる」に密着してるからこそ、その技術が生き続けてるんだろうしね。文化包丁をシャープナー使って砥いでたこと、僕もあるけど、やはり砥石使ったほうが切れがいいようにに思う。

>伝統の継承を学校の現場に押し付けるのは、荷が重い

やはり、親の仕事だとは思うな。生活の中で「生きる」ってところと密着してるからこそ、生きるんだと思う。長男の奴、よ○ちゃんの料理、ちょこちょこ手伝ってるんだけど、僕の研いだ包丁が「すごい切れる」って言ってたし、そうした体感を伝えていけるのがまずはいいのかなと思ってる。
でも教員が、それぞれなにか一つライフワーク的に追求する物を持つ必要なはあるとは思うな。それが基礎になって、さまざまな分野の深い知恵の翻訳者になれるのだと思うし。小手先の学級経営や自治体教育委員会とのやりとりに神経をすり減らされちゃうんじゃ、悲しいよね。
そうそう長男の学校でも「友達だけと学区外に遊びに出ちゃいけません」なんて決まりあるけど、フザケンナと思うよ。こんなの守ってたら、バカにしかなりません。僕ぁ無視してます。ただし、一緒に自転車で走った時などは実践的な交通ルール遵守に僕は厳しいし、「冒険する以上は、一生懸命注意を払え」とは言うけどね。

>砥いで使うものだ
家の道具はみんな直して使うものなんだよね。その知恵ぐらいは僕の行動で僕なりに息子たちに見せてやります。息子らのオモチャも僕の余裕があって、知恵の及ぶ範囲では、目の前で直して見せてやってるしね。

投稿: さかた(Ton) | 2009年11月 5日 (木) 23時27分

>> でも教員が、それぞれなにか一つライフワーク的に追求する物を持つ必要なはあるとは思うな。それが基礎になって、さまざまな分野の深い知恵の翻訳者になれるのだと思うし。

最近、こういう教員って少なくなったよね。そのせいだと思うんだけど、県単位で編成されているような生物学会とか昆虫研究会、郷土史学会の会員の高齢化が留まる所を知らないよね。もともとこの手の会はライフワークを持った教員に多くのところを支えられていたからね。

やっぱり、学生時代を振り返ってみても、こういう教員って持っているオーラがちょっと違うんだよね。僕は行っていた高校が音楽コースがある学校だったせいか、ライフワークを持っている教員率がすごく高かった。年1回、そういう教員のライフワークを還元する学年・学級の枠をぶっ壊した講座だって開かれていたんだから、中堅ちょっと下クラスの公立高校としてはちょっと異例のことだったと思う。

投稿: ウミユスリカ | 2009年11月10日 (火) 00時25分

>ウミユスリカさん
>会員の高齢化

多摩のある博物館の学芸員さんと話したことがある。地域研究を支えていく人たちって、僕らの世代での層がとても薄い。これから先大丈夫なのか、ってね。足元から日本全体へ、世界へ、宇宙へ、地域博物館は視点を提供できるはずなんだよね。

>こういう教員って持っているオーラがちょっと違う

前も書いてくれたよね。でもこういう教員、一般的に煙ったいかなぁ。僕もそういう教員が高校でいてくれたおかげで、こうした仕事に就いている訳なんだけど。やはり、人には本当に愛している物しか伝わらないんだよ。

投稿: さかた@レス遅れちゃった^_^;; | 2009年11月11日 (水) 12時31分

>> 地域研究を支えていく人たちって、僕らの世代での層がとても薄い。

だいたい、地域研究を支えている人材って、ライフワークの研究に踏み込んだのが中学~高校生ぐらいの多感な時代であることが多いんだよね。で、今の50代以上の世代ではそういう世界の研究をしている青少年の文通ネットワークが全国レベルで展開していたことが多くて、同時にこのネットワークが大人のプロの研究者やセミプロクラスのアマチュア研究かと接続していた。

でもね、このネットワークって我々の世代で壊滅状態に壊れているんだよ。その要因はまだ僕も完全にはつかみかねているんだけど、ひとつは親や教師がそういうネットワークに深入りすることを、受験戦争の阻害要因として嫌い、盛んに牽制をかける力学が、我々の思春期のころに一番大きくなっていたんじゃないかなと見ている。

だから、我々の世代でライフワークの研究に踏み込み出していた人間は、出版済みの書籍の古い情報を書店や図書館で探して、独学でちまちまと進めるしかなかったことが多い。やっぱり同世代のライバルやすでに先端で研究を進めている大人の刺激を受けなかったハンデはものすごく大きい。

それに加えて、自分の研究の関心方向、性格にあった研究室への進学情報や、早いうちからのその研究室との付き合いの欠如が、博打的な運試しに頼った進学に頼らざるを得ない状況を余儀なくさせたんだよね。

ところが、今の20代前半ぐらい以降の世代になると、インターネットの力を借りて再び同世代やプロの研究者、セミプロ研究家とのネットワーク形成をする人が増え始めている感じがするんだよね。でも、なにか思考力の深さとか、交流の人間的付き合いの濃密さみたいなものが、手紙文通世代と比べてかなり浅く薄い感じがするんだよね。

>> 一般的に煙ったいかなぁ。

あぁ、教師時代のファーブルがそうだったみたいだよ。

教え子には絶大に支持されて、卒業後の教え子で一生の付き合いが続いた人たちが少なくないんだけど、同僚や上司には本当に煙たがられて孤立していたらしい。

投稿: ウミユスリカ | 2009年11月11日 (水) 21時01分

>ウミユスリカさん
>受験戦争の阻害要因
>盛んに牽制をかける力学が、
>我々の思春期のころに一番大きくなっていたんじゃないか

あれ、なんだったんだろうね。でも大学入って「あ、ここは卒業するためにいる場所じゃない」とは思った。でも、当時の僕は親の引力圏からまず離脱するために出ざるを得なかったけど。

>やっぱり同世代のライバルや
>すでに先端で研究を進めている
>大人の刺激を受けなかったハンデはものすごく大きい。

プロでやるとなると確かにそうだね。

>博打的な運試し
「何をどう学ぶか」といういちばん大切なところが確実に欠如していたね、あの受験戦争は。ただ、その中でも割と健康な志望校の選び方(学びたいことを学べそうなとこを少ない情報の中からでも選ぶ)はできていたのかとは思う。そういう意味で、あの高校にいたのは、僕にとっても大きいな。

>インターネットの力を借りて再び同世代やプロの研究者、
>セミプロ研究家とのネットワーク形成をする人が増え始めている

手書き、ってハードル、良かったのかもね。加除訂正が大変な分、キーボード打つより書き始める前に思考のまとまりが要求されるもの。

>> 一般的に煙ったいかなぁ。
>教師時代のファーブルがそうだったみたいだよ。
やっぱりねぇ。でもほんとに愛していることを語る人って、魅力的なんだよなぁ、誰でも。そういう人の話を聞くことが、僕ぁまず好きだね。

投稿: さかた(Ton) | 2009年11月12日 (木) 12時23分

>> でも、当時の僕は親の引力圏からまず離脱するために出ざるを得なかったけど。

僕は、結局のところ、そのために遠くの大学院に行ったら、自分でも気がつかない持病を抱えたまま、研究室としての生きというか活性というか、そういうものが衰退しつつあり、中での古株院生のモラルも崩れつつあった、権威とプライドばかり高い研究室に飛び込んでしまっていたというのが大失敗だったね。あれが持病を悪化させ始める第一歩だったよ。

>> ただ、その中でも割と健康な志望校の選び方(学びたいことを学べそうなとこを少ない情報の中からでも選ぶ)はできていたのかとは思う。

僕も、学部で学べることのレベルとしては、非常にいいところに行けたと思う。だから、1~3年は天国だったね。でも、卒業研究のゼミで所属するところで自分に合っている場所はあそこにはなかったんだよね。

>> 手書き、ってハードル、良かったのかもね。加除訂正が大変な分、キーボード打つより書き始める前に思考のまとまりが要求されるもの。

今の僕は、キーボードを打っていても、こういう文章の打ち込みをするようになる前に、指のペンだこがものすごく厚くなるまで鉛筆やペンで書きまくった影響が今でもしっかり残っていることを実感している。

大学の学部生の段階でいきなりキーボードで大学レベルのレポートなどを書き始めた世代とは、やはり大きな断絶を感じるね。

投稿: ウミユスリカ | 2009年11月12日 (木) 15時56分

>ウミユスリカさん
>権威とプライドばかり高い研究室

よ○ちゃんともよく話すけど、まずは「ありのままを見ること」がいちばん大切だものね。よ○ちゃん、いま、聖書を旧訳・新約をいったりきたりしながら、生活者の視点から、すごくまっすぐに読んでるよ。言葉になる前のイメージの段階、それを積み上げるって大切だわ。

>いきなりキーボードで(中略失礼)書き始めた世代

これでも乗り越えてくる天才はいると思う。それ以前の人間(自分含めて)は、土となってつぶれればいい。デジタル化は、情報の一般化・共有化を目指して僕らに一世代前の人たちが目指した世界だしね。そこで飛躍してくる天才はきっといる。基礎研究の分野こそ、こういう情報集約出来るツールの存在って大きいような気がする。

投稿: さかた(Ton) | 2009年11月13日 (金) 00時33分

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