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2010年5月31日 (月)

罪滅ぼし

日本経済新聞文化面に「私の履歴書」って連載がある。5月は演劇学者・河竹登志夫。数日前の連載にこんな内容の文章があった。

「ほとんど家にいない私。いたとしても食事を終えればすぐ書斎にはいり出てこない。(中略) そんな罪滅ぼしに(研究旅行かねて)ヨーロッパ旅行をプレゼントした」

みたいなもの。

ただ小市民の僕からすると、「これって罪滅ぼしになるのかよ? 学者って勝手だよな」、と思っちまった。とくに昨晩、カミさんをマッサージしながらふと思った(エッ○はしてないよ)。こんな大きなプレゼントより、僕がやってるような日頃の生活の、小さい思いやりの積み重ねのほうが、普通に母や妻をがんばってる女性には必要なんじゃないか、って。女性にもいろいろいるから、「そんな小物の男じゃつまらん、私のそばになんぞいらんわ」ってのもいるだろうけど。
ちなみにこのマッサージも、僕の小さな小さな罪滅ぼし。土曜日は長男坊の運動会だったんだけど、僕が心の余裕作りきれずに忘れて職場シフトの都合がつけ切れず、休めなかったのだ。次男坊に振り回されつつ運動会観戦してて、カミさんは大変な思いをした。僕は土曜の晩は長男坊とだけ風呂に入っていろいろ話しはした。長男坊・次男坊とは日曜の晩、3人で風呂に入った。

僕のように、家族なんぞにつまらん気を使ってるような小人(しょうじん)は、社会的にはたいしたものにはならん。特に学者やアーティストは、探求・創作の衝動、「業」が止められない。ほかのことなどど正直なんにもやりたくない、ちょっと壊れた人間だ。誰か支えてくれる、大地のように大きな人がいないと(惚れさせるだけの作品なり論文の魅力があるからいいんだろうけど)、花は咲かない。

本気になったらなんでも、家族の幸せとは相容れない。
僕のように生半可に家族を持つなどもってのほかだろう。

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コメント

学者やアーティストに惚れ込んで一緒になった女性は、そもそもそんな罪滅ぼしなんて望んでないと思うなぁ。

投稿: papa | 2010年5月31日 (月) 21時40分

>papaさん
結構多いのよ。学者とアーティストと一緒になって上手くいかないのが、僕の周りに^_^;;;;;。

ほんと創作を欲求する「業」って怖いな、と思う。


投稿: さかた(Ton) | 2010年5月31日 (月) 21時50分

サカタ隊員殿が小人なら・・・
爺!はミジンコみたいなもんだな!
四六時中気を使っているとそれが当たり前になってしまうから!
たまには爆発させた~~~い

投稿: 奥武蔵爺! | 2010年6月 3日 (木) 16時24分

爺!はじめ、ご家族の頑張りに比べたら、僕のスケールはバクテリア以下です。

昨日、母付き添いで通夜行って疲れたので、今日はプチ爆発して、帰りに国分寺のライブバーで一杯やっての帰りです。

かっこよくなぞくそったれ。
おめおめとでも、僕は生きます(^_^;)。

明日は晴れならジテツーしよっかなぁ(^O^)

投稿: さかた(Ton) | 2010年6月 3日 (木) 20時20分

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