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2012年4月15日 (日)

聞いていただく意味

久々にクラスタのフリーコンサートで弾いてきた。飲みに行ったら2つ枠が空いてるから「弾け!」ってことになっちゃって。練習してないから演奏は止まる。当然めちゃくちゃです(笑)。

最近、音楽を「聞かせる」って意識は、僕の身体の中でひどく色褪せてしまった。クラスタで弾くなら、ライブデーでない日に他のお客さんがくっちゃべってる中で、拍手などもなく勝手に弾いている、ってのが気楽でいいなぁ。「聞いてください」って姿勢も、ギターに一生懸命なころ努力したけど、性に合わん。

人前でプレイしたがる人って、よくそれが他人の人生にとって聞いていただくに足る「いいもの」である、と自信が持てるなぁ。俺ぁ無理だわ。
このブログもつまらん泣き言書いてるけど、嫌なら二度と開かなきゃいいいだけだしね。

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コメント

なるほど。自分はどうなのか。ギターを弾きたいのか。弾いた音を楽しみたいのか。それともその音を聞かせてやりたいのか。今は後の2つの間を行ったり来たりしている気がしますね。

人前でライブやるのが好きな人って、実はSなのかもしれない。「どうだ、聴きやがれ。」みたいな。もちろん態度には出さないからそんなことは表面上読めない。でもそうでなければCDで形に残したりというのもするわけないし。芸術家っていうのは基本的にそういった路線なのかもしれません。

ただ、悲しいかな、そうした方向性が必ず受け入れられるとは限らない。よく考えてみればすごい賭けですね。

投稿: スンギ | 2012年4月16日 (月) 15時11分

スンギさん>
言葉じゃ定義できないよね。聞きやがれじゃ「ふざけるな!」だし、引っ込み思案なパフォーマンスもつまんないしさ。
伝えたくてしょうがない想いと、そんな自分を少し引いて見つめる知性が上手くブレンドされればベストだけど、なかなかだよね。
音楽や歌にして伝えたくてしょうがない想いって、僕の場合あまりない。生活のよしなし事にメロディつけたらしらじらしくってね。だからこんな記事書くんだけどね。ブログは「昭和・平成と生きた庶民の生の資料、自分史」として綴ってるかな。

投稿: さかた(Ton) | 2012年4月16日 (月) 17時31分

またまたちょいと書かせてもらいます。

>音楽や歌にして伝えたくてしょうがない想いって、僕の場合あまりない。

確かに言われてみるとそうかなという気がします。お恥ずかしながら曲などというものを作ったことがないので、披露するしないは別として、頭の中のインスピレーションみたいなものがあればそれを形にしてやってもいいのかなというくらいの気持ちはありますが。伝えたくて仕方がないというほどのものではないんですけどね。

今のところ、既存の曲のアレンジで楽しんでるということくらいですかね。で、機会があればそれを批評していただきたい。だけど、伝えたくて仕方がないというのとは違うんですね。

投稿: スンギ | 2012年4月16日 (月) 20時12分

スンギさん>
僕はほめられたいかな。人前でやるなら喜んでもらいたいわ。
だけど無理だしね。だったら聞き流してもらえた方がいい。
いいと思ったものをまず出してみる。
それでいいんだよね。
あとはあなた任せでさ。

投稿: さかた(Ton) | 2012年4月16日 (月) 21時51分

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