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2018年11月28日 (水)

カトリックの「主の祈り」(文語体)と母

天にましますわれらの父よ、
願わくは御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨〔みむね〕の天に行わるる如く
地にも行われんことを。
われらの日用の糧を
今日〔こんにち〕われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、
われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え

カトリックの「主の祈り」(文語体)です。現在、これはミサでは唱えられてません。2000年に口語体のものに変わったそうです。しかし、昭和33年(1958)のクリスマスにカトリック三河島教会で洗礼を受けた母にとっては、これが「主の祈り」として身体の中に染みついています。

* * * * *

認知症の母を見舞いにいく時間は、面会時間終了の20時直前の19:30頃が多いです。だいたいその時間は母はもう眠いんです。聖書みたいな重たい文章なんか聞けません。
「ご飯食べられてる? よく眠れてる?」を聞いたら、肩を揉んで、掌や脹ら脛をさすって。これが気持ちいいようでウトウトしてます。そしてこの主の祈りを耳元で唱えます。

これは幼い僕に、母が子守唄がわりに唱えてた祈り、しっかり、母は覚えてるんだよね。合唱になります。最初、母に聞かせて合唱になったときは、認知症になっても覚えていること、そして自分の幼い頃の思い出とが相まって、僕は泣いてしまいました。しかし僕ももう泣かずに合唱できるようになりました。そして、僕も思い出してソラで唱えられるようになっちまいました(笑)。

座禅なりお念仏なりお題目なりに限定した鎌倉仏教じゃないけど、いま母が神とイエズス・キリストに向かい合うには、これひとつあればいいのかも知れません。

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