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2018年11月26日 (月)

宗教はどれも神に帰る踏み石のひとつ

最近、認知症で入院しているクリスチャンの母の代わりに、カトリック教会のミサに行ってます。幼い頃連れられて参列してたから、手順はわかってるんです。
昨日は「王であるキリスト」の祭日でした。祈りもいつも以上に歌が多く、お香も焚きしめたミサで、これは幼い頃から今まででも初体験。祭祀感いっぱいのミサでした。

 キリスト教ってやはり唯一絶対な考えなんですよね(^_^;)
神とその子キリストの愛のみが絶対で、これの前に全てが一つにならなくては、って考え。ましてや昨日は「王であるキリスト」とまで謳った祭日でもあって、それが特に色濃く感じました(^_^;)

キリスト教の神だけが絶対だ!と宣教され、自分の神様を否定されようもんならおせっかい(^_^;)

これじゃ戦争は絶対なくならんよなぁ()

僕はやはり「宗教はどれも神に帰る踏み石のひとつにすぎない」って、ネイティブアメリカンの考え方のほうがしっくり来ます。日本人ですね。いろいろな宗教でカリスマはやってきてる(それは単に「人」です)。救い主はイエズス・キリストだけじゃない。大切なのはひとりひとりが大いなるもの(宇宙=神)に対して恥じない生き方ができるか、その縁(よすが)が宗教。生き方の見本としてそれぞれの宗教で愛されているカリスマがいる。できるだけそのお方の生き方に近づいて生きようとできるか。どんな宗教でもそれがいちばん大切なんではないかいな。

しかしね、幼い頃、母に連れられてたミサ。大いなるもの(神)を意識し、心落ち着けて対峙する機会として、教会の聖堂にいる時間は、大好きなんです。

僕も50歳。
その「心落ち着ける時間」のいとおしさをとみに感じます。

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