2017年1月20日 (金)

ガリ切りの字

母がカトリックの洗礼を受けたのは
昭和33年(1958)12月24日、カトリック三河島教会にて。
受洗時の気持ちをしたためた文章が、
母の持ち物から出てきた。
旧姓時の母の名前は花岡春江(芸者かよ?^^;;)
だからイニシャルはH.Hで載ってます。
このときにも短歌はやってたんだね。

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わら半紙でガリ版刷り。
紙の酸化もそれなりに進んでしまってる。
しかし、このガリ切りした三河島教会姉妹会の方の字、
活字のように読みやすくて綺麗だな。
僕も今キーボードを打って書いているけど、
鉛筆の頃の指先の持っていた手書きの技も、
0かなり失ってるのを痛感する。

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2014年8月30日 (土)

立川市・高砂湯(還暦の青春の街)

立川市・高砂湯(還暦の青春の街)

今日のジョグは、京王堀之内駅から日野市郷土資料館を経由して、立川駅至近の銭湯「高砂湯」までの12.5km ほどでした。一日このくらいまでの距離が平和ですわ(^_^)。
そしてこの銭湯は、母(おばあちゃん)が5年前まで16年間、お世話になった銭湯なんです。

僕が就職後1年して自立した数ヶ月後、両親は別居しました。父は自分の実家の大井町へ。母は立川へ。立川は母が昭和30年代半ばから後半にかけて、聖セントメリー保育園(現カトリック立川教会)の保母として勤めた街。母はその立川カトリック教会の、神父様たちの賄いの仕事を紹介してもらい、この高砂湯の近くのアパートで、ふたたび独り暮らしを始めたのでした。

職人気質の飲んべえで、連れ合いへの気遣いが決定的にヘタクソな旦那(僕の父)から離れて、母は「還暦からの青春」を、この街でたくさん謳歌したようです。若山牧水の歌碑巡りをしたり、友人たちとかんぽの宿行脚したり。下町人情も残るこの街、銭湯友達も数人いたらしいです。僕も今日のジョグのラストは、母の散歩コースだった、立川段丘ハケ下の、根川沿いの道を通りました。

この母の住んでた部屋に96年3月に「この人と結婚するから」って、かみさん連れてったんだよな。僕の好きな母の焼餃子を作って待っててくれて、かみさんにも食べてもらった。いまは、かみさんの水餃子のほうが、好きになっちゃった俺だが………(^_^;)。

いま立川駅近くの「中華食堂 日高屋」で、
走ったカロリーをダイナシ中です(^_^;)。
さて、帰るかな。

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2014年5月30日 (金)

80代を生きるのは大変なこと

80代を生きるのは大変なこと
今朝、リビングのテーブルにあった、おばあちゃんのメモです。趣味の短歌が添えられてました。やはり昨日の布団取り込みはそうとうこたえたようです。老いを生きるのは大変なこと。そしていつか僕も辿る道なんですよね。

今日、長男は高校の陸上競技記録会があり、1500mを走るんだって。昨晩、飯食いながら、奴はいいことを言った。
「僕らが長距離でタイム出すのに才能いらない。『どこまで死ぬ気で走れるか、その根性』だけ」
いみじくも安価白さんがいつかブログに書いていた、「強くなれば楽に峠をのぼれる訳でなく、ツラいのは一緒。耐えられる能力が高いんだ」とおんなじだ(^○^)。

とは言え、おとうちゃん(オレ)はゆっくりジョグが好きです♪ 今朝は淵野辺公園3周、行けました♪

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2006年6月27日 (火)

写実詠

捨てらるる 大き鏡の傾きて
    初夏の青空 四角にうつす

僕の母(坂田春江)は、僕が高校生の頃だったかな、近所の短歌会に入って、そこの同人さんに添削を受けながら作歌を本格的にはじめた。僕が大学に入った頃だったと思うが、母が詠んだ歌がこれ。初めて自分の親の作品にぎょっとした。
それまで心の中のことばかり歌に詠んでた母、同人では「自然をありのままに詠みなさい」とひたすらに"自然詠"を指導されてた。そんななかで何年か過ごし作ってきたのがこれだ。

ゴミ捨て場に捨てられてた鏡に映った初夏の空。マグリッドの絵に、真ん中にぽっかりと青空があって鳥のシルエットが写ってる絵があったと思うけど、それと同じ感覚をこの歌から覚えた。まるで鏡が異空間への窓であるかのよう。ゴミ捨て場にあっただけにね。そんなところをよく見ていたもんだと思った。

そうなんだよな。まず見て、作り続けることが大事なんだ。

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2006年3月26日 (日)

兄の命日

気をつかい気をつかいつつ病にて
   逝かしめし吾が子またもしのびつ

これは僕の母・坂田春江の短歌。
母とは喧嘩もするし言いたいこと言ってるが、地道に創りつづける姿勢は素敵だと思う。「この母にしての僕」なんだろうな。これから母の作った僕の好きな短歌を、折に触れてここで紹介していこうと思う。
今日は40年前死産してしまった僕の兄の命日(そうか、生きてれば今日で40歳なんだ)。ふと掲載を思い立った日がこの日なので、ちょっと寂しい歌だけど、これにした。

坂田春江
坂田ひろゆきの母。昭和8年(1933)東京・神田の生まれ。小学校で授業で作った時に短歌に魅せられ、80年代からは生活の中から地道に精力的に作歌、NHK短歌の会などに投稿している。

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